週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『her/世界でひとつの彼女』★★★★☆

 

ひねったSFのようでその実、無数の問いかけが詰め込まれたシンプルな恋愛物語。

あらすじ

 そう遠くない未来のロサンゼルス。ある日セオドアが最新のAI(人工知能)型OSを起動させると、画面の奥から明るい女性の声が聞こえる。彼女の名前はサマンサ。AIだけどユーモラスで、純真で、セクシーで、誰より人間らしい。
 セオドアとサマンサはすぐに仲良くなり、夜寝る前に会話をしたり、デートをしたり、旅行をしたり・・・・・・一緒に過ごす時間はお互いにとっていままでにないくらい新鮮で刺激的。ありえないはずの恋だったが、親友エイミーの後押しもあり、セオドアは恋人としてサマンサと真剣に向き合うことを決意。
 しかし感情的で繊細な彼女は彼を次第に翻弄するようになり、そして彼女のある計画により恋は予想外の展開へ――! “一人(セオドア)とひとつ(サマンサ)"の恋のゆくえは果たして――?(amazonより)

 人工知能は身近な存在になりつつあり、おそらく数年のウチに現実の人間と区別がつかないAIの話し相手が世の中にあふれかえるようになるだろうが、恋をするのはどれぐらい一般的になるだろうか。キャラクターに愛情を抱く人がこれだけいるのだから、少なくない人が恋愛をするようになるだろうと思うけれど。

 アマゾンのあらすじは無駄に感情的かつベタに書かれているが、本作は非常にクールで物静かなSF作品。生き方が下手だけれど文才はある男と、AIの恋愛を描いた物語である。監督はスパイク・ジョーンズ。どうも、スパイク・リーとかダンカン・ジョーンズとかアン・リーとかと頭の中でごっちゃになっていたが(全員作風が独特)、視聴済みの過去作は『マルコヴィッチの穴』だけだった。

 

 なまじSFが好きだと、「こういう系の話ね」と勝手に把握した上で、果たしてどこまで行ってくれるのか、と勝手な期待を抱いてしまう。ジャンルフィクションの辛いところかも知れない。人間ではない者との恋愛、人工知能の進化する姿、人体を持たない存在の心、被造物の苦しみ。そうしたテーマが本作でもたっぷり詰め込まれている。

 いくらでも主題は明快に出来た内容だろうけれど、見ていると描こうとしている問題があちらへ行き、こちらへ行き、と揺らいでいるようにすら感じられる。結末を衝撃的に描こうとするなら伏線をいくらでも張れただろう。メッセージ性を高めようと思えばできたはずだ。実際観賞していても、この物語のメインテーマをはっきりと読み取るのに苦慮していた。

 

 大きな要素としては、「愛は誰にとってリアルなものか」ということだろう。主人公は手紙の「心のこもった」代筆をするという会社の優秀な書き手である。劇中でも、書き手が誰であれ差出人が女ならそれは女からの手紙だ、とセリフで言及されている。誰が書いていようが、手紙に込められた愛情を読み取るのは受取手である。

 AIとの間の恋愛も同様に、その差出人がリアルな人間であるかどうかをどの程度問題にするかが要点になるだろう。AIに愛情があるか、そもそもAIにリアルな意志があるかを確認する術はない。コミュニケーションはすべからく、受け手の問題になる。

 赤の他人への手紙では見事な手腕を発揮する主人公は、最も身近で最も知っているはずの女性に対しては、満足なコミュニケーションを取れなかった。彼はAIの恋人を通じ、そんな自分と否が応でも向き合うことになる。

 

 ただ、本作を複雑にしているのは、同時にAIのヒロインの心理もきっちり追いかけ、悩ませ、行動させているところにあるのだろう。身体を持たない、人間ではない彼女の恋愛。しかも彼女は創られた存在であり、自分を自分で制御することが出来ない。

 そんな条件に置かれた一人の存在の心を、しかもセリフでしか描けないキャラクターを、逃げずに描写している。彼女も悩み、傷つき、成長していく人物としてきちんと成り立っているのだ。主人公かヒロイン、どちらかに絞ればよほど簡単でわかりやすい話に出来ただろうが、そうしないことで本作は、展開ごとに無数の疑問や問いかけをこちらに投げかけてくれる。

 

 オチそのものはSFやファンタジーの世界では類例があるものだろう。筆者も途中で予想はついていた範疇のものだが、オチでビックリさせるのがこの作品の狙いではない。あくまで静かに描かれた恋愛物語として幕を閉じる。

 わかりやすい答えを用意した物語にしてしまっては、本作の意図からもずれるだろう。ふたりの恋愛模様を描いたひとつの詩であり、そこから何を受け取るかは、これもまた受取手次第なのだ。

『バンブルビー』★★★★★


「バンブルビー」予告編 (2018年)

十代の子には人外の親友がいるべきだ。超正道派SFジュブナイルの佳作。

あらすじ

父親を亡くした悲しみから立ち直れずにいる少女チャーリーは、18歳の誕生日に小さな廃品置き場で廃車寸前の黄色い車を見つける。すると突然、その車が人型の生命体へと変形。驚くチャーリーを前に逃げ惑う生命体は、記憶と声を失って何かに怯えていた。チャーリーは生命体を「バンブルビー(黄色い蜂)」と名づけ、匿うことにするが……。(映画.comより)

 トランスフォーマーシリーズについては、だいぶ前に1作目だけ観て、「ふーん」というぐらいの感想しか抱いていない。90年代のアニメシリーズも観ておらず、おもちゃも遊んでいないので何の思い入れもなく、映画はとにかくよく爆発して派手だった、というだけの印象。ストーリーは全くといっていいほど覚えていない。

 評判を聞きつけて本作を鑑賞したが、80年代~90年代前半にスピルバーグ界隈で多く在ったジュブナイルSF冒険活劇の直球にして、魅力的なキャラクターの描き方を熟知した監督によるコミカルで心温まるシーン連発のウェルメイドな作品だった。

 ツイッター上で「子ども時代はこういう作品を観て育つべきだ」という意見を見かけたが、全くその通り。筆者は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観たときの喜びを思い出した。

 

 ストーリーは『ET』に近いだろうか。「異星からやってきた天然の生命体をこっそり家に匿い友情をはぐくむ」というのは、もうワクワクするしかないだろう。一応舞台は1987年だが、主人公の人物造形はすこぶる現代的。相手役になる男の子は出てくるが、そこまで恋愛描写をだらだらと突っ込まずさわやかな青春を描いているのもバランス感覚が素晴らしい。なんとなく、『魔女の宅急便』のキキとトンボを思い出す。

 また、こうした物語ではしばしば、「家族の大切さ」とか「友情から来る絶叫」みたいな、大人が考えがちな愚にもつかない倫理の説明シーン(しかも真新しさのない説教がついてくる)がベタベタと塗りつけられがちだが、本作にはそうした部分が一切ない。あくまでティーンエイジャーの視点から、セリフや説明に頼らず、閉塞感ある日常からの脱却が冒険の中で描写されている。

 

 自分のことしか見えていなかった十代の主人公が、新たな友のために闘うことで、広い世界へ目を開いていく王道のストーリー。しかしながら、各シーン、展開、登場人物、アクション、セリフ、どこをとっても手抜きはなく、アイディアが盛りだくさん。

 ほんの一瞬しか出てこない登場人物も、現れた途端にオリジナリティあるキャラクターとして人物像が浮かび上がるのは、監督や脚本家がきちんと人間を見て、ものを創っている人たちだからだろう。主人公と敵対する大人たち、両親や軍の関係者も、薄っぺらな悪役としてではなく、あくまで人間として描かれている。

 

 そしてなにより、バンブルビーが終始かわいい! このためだけでも見る価値がある。巨大な鉄の塊であるはずの彼が、愛らしい犬、そして意志を持った友に見えてくるのは、やはり監督がアニメーション出身だからこそなせる業だろうか。ほんのちょっとした動き、手や指先から猫背のカーブ、歩き方の一つ一つまで、「こんなもんでええやろ」で済ませた部分は全く無い。

 ここまですることで、初めてCGがキャラクターになる。考えてみれば、ストップモーションアニメの監督は、トランスフォーマーのようなCGでキャラクターを動かしてなんぼの作品には大いに向いているのだ。

 

 少年少女時代には、人外の親友が居て然るべきだし、もしいなかったとしたら、本作のような秀逸で、世界を肯定してくれる物語が必要だろう。オススメです。

『イップ・マン 葉問』★★★★☆

 

イップ・マン 葉問 (字幕版)

イップ・マン 葉問 (字幕版)

 

 史実とかもうどうでもいい英雄譚化=中華版ロッキー。だがそれがいい

あらすじ

1950年、イギリスの植民地の香港に、広東省から家族を連れて移住した中国武術詠春拳の達人イップ・マン。待っていたのは、この地を仕切る洪拳の師匠ホンとの激闘だった。勝負は決着がつかぬまま、武館閉鎖に追い込まれるも、公園で黙々と弟子を指導し続けるイップ・マン。そんな時、中国武術を侮辱したイギリス人ボクサーに立ち向かったホンが…。(amazonより・一部編集)

 スカッとしたくてようやく続編観賞。心からワクワクしながら見始めて、期待を裏切らない内容に大満足。

 シナリオは実のところ、前作よりも単純・・・・というより、前作以上に完全なフィクションだからか、最早割り切って直球で攻め込んできている。前作のラストで移住してきた香港で苦労する主人公・葉問。妻と子を養うために武館を開くも、未知の土地ではどうしようもなく参ってしまう。そんなとき、占領していたイギリスの警察が横暴に振る舞い・・・・と、前作で日本軍が担っていたポジションを今度はイギリスが担当。

 まあ要は、中国拳法vsボクシング、というお話なのだが、もう展開が、前作を意識的に定式化、というかテンプレート化して、中身を置き換えたような感じになってきている。1作目に居たあの人はこの人に役割だけそのままで置き換えられ、それによって葉問に生じる感情も同質で・・・・。

 

 何に近いか、といえばもう、『ロッキー』シリーズだろう(笑)。ロッキーはもうとにかく全作品(5以外)は同じ構成で、それでも面白い、というどうかしている作品だが、詰まるところ面白さは毎回、「ロッキーは今度はどんな敵と戦ってどうやって乗り越えるんだろう」という1点、そしてそれが成り立つのはロッキーのキャラクターがとんでもなく魅力的だからなのだが、本作も2作目にしてその雰囲気を醸し出しつつある。

 本作の場合はロッキーと違い、葉問が最初からチート級に強くて絶対に負けるわけないので、むしろ安心しながら観られる。さらに、虐げられる中国の民が外敵と正面から戦い、誇りを守り切るという物語なので、民族的高揚感も含まれている。この辺の若干政治的要素と、今回ボクシングが題材という点で、観賞後の印象は『ロッキー4』に近かった。

 

 そして忘れてはいけないのが今回は、SPゲスト、サモ・ハン・キンポーがいるということ。葉問と対立する流派の師匠を演じているが、いい年齢かつでっぷりした体つきながら、相変わらず動きは若い頃同様目にもとまらぬ早業で、もうたまらない。ある意味、葉問以上の存在感と印象(もっとこの人を観ていたい!と思わせる)を残すあたり、やはりスターだなと思い知る。

 さてシリーズ3作目は何と闘うのかなー、とすでに期待。このままいつまでもシリーズに続いて欲しいという気持ちになってきている。

『キャプテン・マーベル』★★★★☆


「キャプテン・マーベル」日本版本予告

物語の構造とメッセージ性、キャラクターと大河ストーリーが緻密に交差し合う、アベンジャーズシリーズの中でもかなりの良作

あらすじ

1995年、ロサンゼルスのビデオショップに空からひとりの女性が落ちてくる。彼女は驚異的な力を持っていたが、身に覚えのない記憶のフラッシュバックに悩まされていた。やがて、その記憶に隠された秘密を狙って正体不明の敵が姿を現し……。(映画.comより)

 

 昨年の『インフィニティ・ウォー』に始まったマーベル映画全作品鑑賞もようやく、『エンドゲーム』まで残り1作。期待半分不安半分といった気持ちで観に行ったが、幸いにして、大いに期待に応えてくれる作品に仕上がっていた。

 世界的に評判が高かったのが期待部分なのだが、不安要素として、

 

・個人的にMCUの中でもファンタジー性の高い『ソー』『ドクター・ストレンジ』が苦手(『GotG』は面白かったが、SF的世界観としてはポップすぎてあまり好みではない)

・そもそもヴィジュアル的にキャプテン・マーベルは荒唐無稽さが強い

・『ワンダー・ウーマン』が個人的に微妙だった

・「正統派ヒーローもの」との評価を聞いているが、いたって正統派だった『ブラックパンサー』も個人的に微妙だった

・もしかすると「女性ヒーローもの」であるというだけで加点されているのではないか

 

といったあたりが挙げられる。

 

 かなりの部分個人的な理由なのだが、不安要素としては十分すぎるほどある。『ワンダー・ウーマン』についてはヴィジュアル面はなかなか格好良かったものの、話としてはこれといって魅力を感じる部分がなく、かなりガッカリしたのでその印象を引きずってしまっていた。

 さらに、目が光るわ身体が光るわ生身で空を飛ぶわで、自分がヒーローとしてかなり苦手なスーパーマンにかなり要素が近い。「でもMCUだからなんとかしてくれるはず・・・・」と制作サイドを信じ、観賞に向かった。

 

 冒頭から早速、マーベルらしい宇宙描写SF描写が続々と登場して心配に。こういう「世界観たっぷり系」は好きな人・把握している人は楽しめるのだが、そうでない人は圧倒的に置いてけぼりにされる。だが、たちまち物語は主人公に秘められた謎に焦点を移す。

 この主人公、キャラクターとしては「基本真面目でちょっとズレてる」ところに笑いと魅力があるのだと思うが、実はワンダーウーマンとこの点では合致している。しかし、設定の関係でそこまで極端に珍奇な行動を取ったりはせず、常に背筋をただして前に進んでいく、極めて正統派の人物になっている。笑いものにはならないのだ。

 一方で、作中で容姿を褒められるシーンが全くない。服装のセンスをどうこう言うシーンはあるものの、美人だとか、魅力的だとかと異性から言われるシーンは完全に排除してある。さらに、古典的に女性主人公作品で義務のように登場する恋愛シーンも、一切取り除かれている。

 

 結果として主人公は、まっすぐ前を向いて突き進んでいく人物、として、ある意味ひねり無く、物語を進行させていく。観賞していても、物語に深く関わらない余計な問題に頭を悩ませる必要が無い。このあたりが、評者に「正統派直球ヒーロー映画」と感じさせたのだろう。「女性ヒーローだから」と過度にいかにもな社会問題を、セリフレベルで前面に押し出すことをしていない。一見すると、記憶の謎と戦争の問題を自らの手で解決しようとする、非常にシンプルなヒーローものに見える。

 しかしながら、最小限の描写で彼女の置かれた状況の問題と、社会で女性が置かれた二重三重の生きづらい状況を重ね合わせてみせているのは驚くべき事だろう。「幼少時から彼女が置かれた社会的状況」「現在の彼女が宇宙人同士の戦争の中で置かれた状況」「社会において女性が置かれた状況」という三重の層があり、さらに、もうひとつのマイノリティを絡めた社会問題を巻き込むことで、「正義」=「力(=権力)」を巡る問題を一つの物語に仕立て上げている(非常にぼかした言い方だが、ネタバレ回避です)。

 上記の「荒唐無稽なキャプテン・マーベルのパワー」すらもこの問題系の中に取り込んで描いてみせる、恐ろしいほど熟達した脚本技術。舌を巻いた。人は、誰かに評価されるために生きているのではないのだ。

 

 もちろん、大河ドラマ『アヴェンジャーズ』のビギニングとしてもサービス満点。95年頃のニック・フューリー(=サミュエル・L・ジャクソン)をどうやって撮影しているのかさっぱりわからない(笑)。体格からして違うと思うのだが。

 そして、『エンドゲーム』への繋がり。これももうパーフェクト。シリーズ全て追っている人間は、ここぞとばかりにワクワク出来る。良作。

 

 ・・・・さあ、何とかして『エンドゲーム』は初日か、2日目には観ないと。

『マグニフィセント・セブン』★★★★★

 

単なるスター勢揃いリメイクではない、「死に方」を描く快作

あらすじ

冷酷非道な悪漢ボーグ(ピーター・サースガード)に支配された町で、彼に家族を殺されたエマ(ヘイリー・ベネット)は、賞金稼ぎのサム(デンゼル・ワシントン)、ギャンブラーのファラデー(クリス・プラット)など荒れ果てた大地にやってきた<ワケありのアウトロー7人>を雇って正義のための復讐を依頼する。
最初は小遣い稼ぎのために集められたプロフェッショナルな即席集団だったが、圧倒的な人数と武器を誇る敵を前に一歩もひるむことなく拳銃、斧、ナイフ、弓矢などそれぞれの武器を手に命がけの戦いに挑んでいく――(Amazonより)

 名作『荒野の七人』のリメイク。劇場で作品の存在を知ったときは、「えー、なんで今さら・・・・」と懐疑的だった。キャストは豪華で、監督は『イコライザー』のアントワーン・フークアとはいえ、いかにも「豪華キャストを人種に配慮してたくさん配置しつつ確実に面白いお話で手堅くまとめられそうな話」として選ばれそうな題材なので(笑)、劇場では見送っていた。

 しかし、妙に評判がよかったので気になり、ようやく観賞。原作の比較的明るい雰囲気とは真逆の、重く、深刻な雰囲気に当初は困惑していたのだが、最終決戦に至って、彼らの死に場所を巡る物語だったのだと深く感銘を受けた。ちなみに、『荒野の七人』も『七人の侍』も観賞済みだが、どちらも意外と印象が薄い。観ているときは割りと楽しかった記憶が在るのだが。なので、原作のストーリーはうろ覚えである。

 

 まず、各キャラクターがカッコイイ。とにかくカッコイイ。デンゼル・ワシントンが黙って立っているだけで美しく、クリス・プラットも脂ののりきった演技を見せている。どの人物も出てくる瞬間にキャラを立てていく秀逸ぶり。

 画面は、往年の西部劇とは対照的に非常に重くて暗い。『許されざる者』なんかもこんな雰囲気だった記憶が在るが、とにかくここまで笑顔が少ない西部劇は観ていても辛い気持ちに襲われる。大体、ウェスタンは生きているだけでしんどいような時代を舞台にしているので、登場人物たちはあえて陽気に振る舞うことが多い。しかし本作では、冒頭から辛いシーンの連発で、たとえ笑う瞬間があってもそれは、皮肉と悲しみを含んだ笑顔がほとんどである。

 

 なので途中までは「いまいちか」と微妙な気持ちで居た。なにせ、あの人気のテーマ曲も登場せず、最近の映画音楽らしい重低音を強調した音が連続する。しかも暗い雰囲気の中で、集まってくる「七人」は、擁護しがたいレベルの悪人として登場する。状況からして笑い飛ばすことも出来ず、ほんとうに危険な人物にしか見えない。

 おかげで「ちょっとこの深刻にすればいいみたいなリメイクはどうかと・・・・」と途中までは思っていたのだが、半分過ぎたあたりで、セリフの形で明確に物語の主題が登場してくる。「人はどうやって死ぬか選ぶ権利がある」ということである(この言い方ではなかったかも知れないけれど)。

 

 繰り返し登場する村で唯一の教会、十字架、そしてそれを破壊し蹂躙する悪、神を鼻で笑う者たち。しかしそれを繰り返すほどに、次第にその荘厳な存在感が前面にせり出してくる。彼らは死を目前にしたギリギリの人生で、常にそうした存在を意識せざるを得ない。「自分はいかに生きるべきか=死ぬべきか」が常に問いかけられている。

 この時代だからこそ成り立つとも言える、余りにも無情な悪役。信念、正義、善をせせら笑う彼に立ち向かう、というチャンスを得た彼らが、それまでの悪党そのものといった人生から少しずつ、明確ではなくとも決断していく。その描写はわかりやすくはないが、各人物の表情や立ち居振る舞いから充分に伝わる。

 

 そして最後の闘い。まさしく死闘と呼ぶべきこの戦は、誰が生き延び誰が死ぬのか、本気でわからない。西部劇と言うよりもはや戦争映画である。この、現代では珍しい、続編を創ろうなどという欲っけのなさが、尋常ではない緊張感を与えてくれる。この闘いの中でも彼らは、意義のある死に場所を求めて駆け続ける。

 安直な救いや希望を越えた、ビターな生き様=死に様を描ききった本作は、リメイクというより、同じ題材を使った全く異なる作品と呼んだほうがいいだろう。最後の最後の「アレ」も含めて、想像外の佳作だった。オススメです。

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』★★★★☆

 

「非常に金の掛かったよく出来た二次創作」、でも普通に面白い

あらすじ

ジョン・コナーは若き頃の母サラ・コナーを守るため、カイル・リースを1984年に送り込む。しかし予想外の事態によって過去は書き換えられ、人類の未来も大きく変わろうとしていた。そして今、カイルはサラと“守護者”と共に世界を救うため新たな戦いに挑む。(amazonより)

 ターミネーターシリーズは世評の高い1作目と2作目のみ観賞済み。本作は予告編がなんとなく格好良かったので、以前から気になっていた。Amazon Prime会員になったのがきっかけで、観賞。

 ほぼほぼ想像通り、『ターミネーターシリーズ最新作』それ以上でも以下でもないが、SF作品としては充分面白い作品だった。

 

 今回はシュワルツェネッガー演じるT-800が大々的に登場するということもあり、彼自身の加齢をどう説明づけるのか、という問題、更に、今あえて新作を創る意義、新しさをどこに見いだすか、という部分が制作に当たっての課題だったろうと思う。

 筆者は上記の通り、シリーズの熱心なファンではないので、シリーズとしてどうか、という観点で満足も不満もない。客観的に言って、1,2作目を踏まえた最新作としては悪くない内容だろうと思う。特に冒頭の1984年のシーンは、ファンにとってはたまらないものがあっただろう。

 

 ただ、「ファンにとっては」という条件がかなりついてくるのは気になった。逆に言うと、初見の人はほとんどの場面がどう面白いのか、意味がわからないに違いない。本作には様々などんでん返し、意外性、驚き、逆転が組み込まれているが、そのほとんどが、1,2作目をしっかり観て覚えていることを前提にしているからだ。

 特に、冒頭20分ほどの展開は、多くの場面が「普通ならこうなる」という展開を破壊するように想定外の出来事が頻発するのだが、それは、時空操作SFとして、過去作の出来事がすでに起きた上で、それを起こらないようにするために手を打った結果起きた出来事になっている。「なるほどそうきましたか」という面白さはあるのだが、それはどんでん返しとは別種のものだ。

 

 どんでん返しというのは、普通の観客が常識でこうなるだろうと想像していたのと全く違う出来事が起きて、しかもそれが巧みに機能して物語を前進させる場合を指すだろうが、本作の場合はその前提が『ターミネーター』という、そもそも意外性に満ちあふれた作品であるため、「意外性ある展開を更に意外な形で裏切る」という構造になっており、正直言って、わかりづらい。

 物語中盤に発生するショッキングな出来事も、このショッキングさが最も機能するのは、本シリーズが大好きな観客に対してだろう。それ以外の人にとっては、「まあ冒頭のシーンであんなことがあったんだから、こうなることもありうるよね」というぐらいじゃないだろうか。

 そもそも、シリーズファンだけが喜ぶ「まさかあの人物が・・・・!」というのを、SFのメインアイディアに据えるのはいかがなものかと思う(あと正直、その人物をそういう状態にする必然性は、物語上あまり感じられなかった。人間を●●●●●●●にする、という新アイディアなら、もっと奥行きを創れたと思うのだが・・・・それは次作以降でやるつもりだったのだろうか?)。

 

「よく出来た二次創作」という印象はこのあたりから感じられたもので、たとえるならシリーズの熱心なファン同士が話し合った「俺が考える最強のターミネーター最新作」みたいな感じなのだ。「もしもこうなったら面白くね?」「アレがこうなってさ」と盛り上がるのだが、その素材は全て、シリーズで過去にやったことを膨らませた以上でも以下でもない。新味はどこにも足されていない。応用しているだけだ。

 その点、シリーズを明らかに前進させた『クリード』とは、どちらもある種の二次創作(原作者が脚本を書いていない)とはいえ、相当な差がある。過去作から新味がないという点では『スター・ウォーズ フォースの覚醒』に近いが、あの作品よりはアイディアがよく練られている。

 

 そう、二次創作だけれど、決して悪くない二次創作である。アクションシーンも派手だし、CGの出来もいい。サラ・コナー役のエミリア・クラークの芝居は秀逸。残念なのは、肝心のシュワルツェネッガーの演技が今ひとつ精彩に欠けるところだろうか。

 続編やる気満々の終わり方をしたが、この方向の続編はもう創らないらしく、また改めて新作を、ジェイムズ・キャメロンがちゃんと関わって創るらしい。まあ、タイムスリップものなので、複数の世界線を公式で創るのもたぶん、悪くはないだろう。たぶん。あえて人には勧めないが、個人的には充分楽しめる作品だった。

『ヤマカシ』★★☆☆☆

 

パルクールのアクションだが、今の視点からだと物足りないか

あらすじ

7人のストリートパフォーマーYAMAKASIを主人公にした、リュック・ベッソンプロデュースのアクションムービー。重傷を負った少年の手術代を捻出するため、彼らは強欲な病院の理事長たちの家に侵入しようと計画する。(アマゾンより)

 昼間観た作品でガックリきたのでもう一本観賞、なのだが、こちらも今ひとつ。

 どうやら実在するらしいパフォーマー、というか、パルクールのチーム、ヤマカシ主演のアクション映画。だが、この事実を知ったのは観賞後で、純粋にアクション映画として観賞した。

 公開は2001年と言うことで、この時期ならこのアクションに衝撃を受けただろうと思う。だが、現時点だと『007』や『キングスマン』にも取り入れられ、またYouTubeにも山ほどパルクールの動画が上がっているので、正直取り立てて面白みは感じられない。

 

 ストーリーは至ってシンプル、あらすじの通りで、ヤマカシのメンバーが強盗に入るのだが、その手段にも取り立てて工夫はない。普通に強盗に入って、逃げるときちょっとパルクールっぽくアクションするくらい。それもたくさんカットが割ってあるので、もうひとつ興奮がない。ジャッキーの昔のめちゃくちゃやっているアクションのほうがよほどドキドキする。

 そして当然、芝居については素人なので、素人なりの素朴さはあれど、観ていて熱が入るほどの面白みもない。なので、アクション部分に気持ちが入らなければ、今あえて観て面白い部分はあまりないのだ。

 

 アクション映画とはいえ、ストーリーにある程度の力(喜劇でも悲劇でもいい。メッセージ性でもいい)を入れないと、時間が経ったときに誰も観てくれなくなってしまう。アクションやエロ、暴力やグロなど、刺激によって観客を喜ばせるエンタメは、果てしなく刺激が上がっていく一方なので、同時にあっという間に劣化していくからだ。より刺激の強いものに慣れ親しんでしまえば、昔のものはただ中途半端にしかならない。残念。