週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。一部ネタバレありなのでお気を付けください。

『ゲーム』★★★★☆

 

ゲーム [DVD]

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  デヴィッド・フィンチャー監督作品は大好きなのだが、この作品はまだ観れていなかった。どうやら日本の配給元が他作品と異なるらしく、扱いが悪い状態が長年続いているため未だに国内でブルーレイ化もされていない。ネットフリックスに入ったのでようやく視聴。

 途中までは評価に悩んでいたが、終盤三十分ほどでようやく納得した物語。万人に勧める気にはならないが、最終的には嫌いではない作品だった。

 

 フィンチャー監督作品の中でも特に言及回数が少ない作品なので、内容に問題でもあるのかと不安に感じながら見始めた。そのせいもあってか、全体の半分近くまでは退屈にすら感じられるシーンが続く。起きる出来事の凡庸さ、単純なサスペンス、あまつさえ安っぽいロマンス。97年の作品で『セブン』の2年後なので、若手とは言え妥協のない作品作りはすでに知られている時期のはずだと訝しんだ。

 ところが、そうした「くだらなさ」自体が作品の仕掛けであり意味がある、と次第にわかるにつれ、緊張感は高まっていく。あえてネタバレは避けるが、どこまでもインフレを起こしていくことで全てに対する不信と不安を高めていく。安心と停滞の中に生きていた主人公を、段階を踏んで追い詰めていくために「くだらない」とすら感じられるサスペンスフルな過程が必要だったわけだ。

 

 終盤の盛り上がりと絶望は面白く、そこからの開放感はあってよく出来てはいるものの、「だからどうした」と感じる人も少なからずいるだろう。内容的には星新一ショートショートでもありそうだし、彼の作品ならもう少し気の利いたオチを付けているかもしれない。

 また、作品冒頭でも言及があった自己啓発セミナーや、カルトの手口との共通点もあるので、このエンディングを真正面から受け止めるべきではないかも知れない。結局は馬鹿馬鹿しい「ゲーム」を徹頭徹尾見せつけられたに過ぎないからだ。そもそも主人公は性格の悪い金満家、という感情移入困難なタイプなので、彼が多少救われたところで他人事なのに変わりは無い。ストーリーそのものはハッピーエンドに見せているが、フィンチャーがそんな素直なことをするかどうか(スタジオから要求されてそんなエンディングを用意したとしても)、違和感は残る。

 その疑問や不信感も含めて、最後には楽しめる作品だった。

『ジョン・ウィック:チャプター2』★★★★★

 

  『マトリックス』は公開当時リアルタイムで観ていた。中二心の塊のような世界観で、なんかよくわからんがカッコイイ魅力に充ち満ちていたので、未だに自分への影響は大きい。その後、キアヌもウォシャウスキー姉妹もパッとしないまま二十年ほどが経過していたが、キアヌのほうが先に脱出に成功したのが本作の前作、『ジョン・ウィック』だった。

 

  こちらも以前鑑賞していて、★3つといった印象だった。筋立て自体は薄味で、妻と大切にしていた犬を殺された復讐に元殺し屋の男が闘う、というだけ。一作目の時点では予算もおそらくそこまでではなかったのか、それほど印象に残るシーンも無い。アクション映画としては平均よりやや上、魅力的なのはキアヌの存在感ぐらいか、といった印象だった。映像そのものは綺麗だったが。

 しかし、2作目になって一気に魅力が増したのには驚いた。

 

 まず、アクション自体がこの作品、非常に独特だと感じる。緻密に組み上げられたアクションほど、ある種のダンスのように見えてしまいがちだ(こと、『マトリックス』はそうだった)。しっかり練り上げたからこそ、本当に闘っているようには見えなくなってしまう。実際に殴り合いをしているときはやりながら考えて、相手に手を出しているので、動きは少しずつどんくさく見えてしまうのが本当だろう。実際の格闘技を観ていてもそのように見えるが、映画の闘いはこの手が出たら次はこう、というのが決まっているのだからある程度は仕方ない。

 しかし、本作は動きがいい意味で洒脱ではないのだ。最初、1作目を観たとき、キアヌも老いて動きが鈍ったか、と思ったのだが、おそらくそうではない。ジョン・ウィックは痛めた身体をきちんといたわり、足を攻撃されたあとはしばらく引きずり、闘うときは次の一手を考えながら攻撃している(ように演技している)。おかげで、他の作品とは少し違ったリアリティが生まれている。

 

 そしてそのリアリティがこの作品の場合、非常に大切である。世界観自体が少年漫画のように荒唐無稽なので(NYの住人の半分くらいは殺し屋なのだろうか)、アクションや演技がリアリティを感じさせなければならないのだ。そのギリギリのラインを付けているので、馬鹿馬鹿しさに醒める瞬間がない。

 くわえて、この世界観を説明しないのがよい。いろいろと背景に秘密やルールがありそうな殺し屋の世界が登場するのだが、展開上必要なこと以外は何も説明してくれない。おかげで「たぶんこういうことなんだろう」と想像するしかなくなり、説明しない分破綻もなくなる。

 さらに、前作から引き続いて「妻との思い出」を執拗なまでに破壊されるジョン・ウィックの姿を観て、本作の狙いが非常に明確になった。手に入れたはずの日常を嘲笑気味に壊され、徹底的に傷つけられる主人公の悲しみ、暴走するしかない感情を前作から引き続き積み上げて描写している。

 

 1作目を観たときはてっきり、繰り返し系の作品(007的な)かと思ったので、毎回こんなことを繰り返していろんな復讐をやっても飽きるだけだよな、と誤解したのだが、このシリーズはどうやら、一度引退した殺し屋が全てを失いながら他の殺し屋たちと闘わざるを得なくなる、崩壊の物語のようだ。果たしてこのままどこへ辿り着くのか、3作目も観たくなった。

 言うまでもないがアクションの質は絶品で、目を疑うような動き、どうやって撮影しているのかわからないハードなバトル、カーアクションもクールだが『ボーン』シリーズほどハードでリアルになりすぎない、程よい「おとぎ話感」を残している。ちなみに3作目の予告編はかなりぶっ飛んでいて、期待出来そう。

 

『クリード/炎の宿敵』★★★★☆


『クリード2』予告編 (2019年)

 ロッキーシリーズ大好きなので我慢出来ずに早速観賞(以下、ネタバレは避けてます)。過去作の個人的な評価を並べると、

 

『ロッキー』★★★★★(余裕で人生ベスト10入り)

『ロッキー2』★★★★☆

『ロッキー3』★★★★☆

『ロッキー4/炎の友情』★★☆☆☆

『ロッキー5/最後のドラマ』★★★☆☆(あのオチさえなければ・・・・)

ロッキー・ザ・ファイナル』★★★★☆

クリード/チャンプを継ぐ男』★★★★★

 

とまあ、シリーズ物としては異様なほど満足度が高い。『4』は「なんだこりゃ」という印象ではあるものの、愛すべき娯楽映画、という感想なのでそこまで悪くは無いと思う。そして前作『クリード』はもう大傑作で、部屋で観賞していて1人あまりの熱さに感涙していた。

 そこからの続編なのでどうしても期待は上がってしまう。残念ながら前作の監督

・脚本を手がけたクーグラーは外れてしまい、今回はシリーズ伝統のスタローン脚本ということで、果たしてどうなる、と思いながら映画館に足を運んだ。

 

 総評としては、「ロッキーシリーズの安定感ある1作」に落ち着いた、という感じ。前作はクーグラー監督の凄まじい情熱が炸裂し、脚本も恐ろしく緻密、演出も「一体どうやって撮ってるんだ」というレベルのワンカット撮影が連発、そして胸に突き刺さる「負け犬の命を賭けた思い」の描写。ロッキーの人生も大きく動き、個人的には完璧な作品だった。それに対して、やはり今回は良くも悪くも原作者・スタローンによるシリーズ正統続編で、ダメなところはないが驚きも少ない、という印象。

 そう、ダメなところは全く無い。むしろよく出来ている映画で、今回がほぼデビュー作に近いケープル監督もいい仕事をしている。作風としては『ファイナル』以降のドキュメンタリー調の非常に生っぽい映像で、飽きがこない現代的な不安感が終始漂っている。老いたロッキーの描写は相変わらず切なく、スタローンのキャリアベスト級の演技は前作から変わらない。

 ストーリーも前作からきっちり進んでいて、シリーズ物としての停滞感は感じられない。ただ一点、前作でロッキーに起きた「出来事」の描写が非常に薄かったのは今回気になったのだが、全く触れていないわけではないので、もしかするとこれは次回作で本格的に描くつもりなのかも知れない(筆者は今回、「その出来事」が起きるのではないか、と想像していた)。

 

 ただ、あの傑作『クリード』から考えると、ボクシングシーンの描写に革新的なところは見当たらなかった。むしろ前作の尋常ではない攻め方から考えると、ノーマルな描き方に終始していたとすら言えるのは残念。『ファイナル』は本物のボクシング会場と観客を使って、実際のボクシング中継としか思えない映像を作り出すことに成功し、前作に至っては観客をボクサー視点に完全に同期させて緊張感を生み出していたことを考えると、今回もまたそうした新しさ、驚きをどうしても求めてしまう。

 今回の敵役であるイヴァン・ドラゴの息子、ヴィクター・ドラゴは本物のボクサーであり、その身体、繰り出されるパンチの圧はとても映画とは思えない恐ろしさが伝わってきた。マイケル・B・ジョーダンももはや人気俳優で、彼に求められる役作りのレベルが完全に俳優がやることを超えてしまっているのも壮絶で目を見張る。のだが、その辺は『ロッキー3』あたりで一度味わってるんだよなあ・・・・という気もする。

 

 というわけで、シリーズ中の1作としては上々ながら映画としてはやや「並」という印象・・・・だったが、終盤の「とあるシーン」には完全にやられた。今回の映画でスタローンが何をやりたかったのか、繰り返される「父と子」というモチーフが辿り着いたのが全く想定外のシーンだったので、参ってしまった。そう、これは「クリード父子」「バルボア父子」だけの物語ではなかったのだ。この予想外の方向からのパンチ、物語の構図の逆転劇に、劇場も涙を流す人が多かった。

 盟友にあれほどの花を持たせるスタローンはさすが。この作品はある「呪い」の物語だったのだ。そしてこのシーンがロッキーにとってどんな意味があるのか、想像するだけでたまらない思いに駆られる。そう、本作は一連のシリーズの中でもしっかりとした存在意義がある1作なのだ。一貫しているのは「何のために闘うのか」。

 ロッキーシリーズは基本的に構造が全て同じなので、ラストに「どうやって勝つのか/負けるのか」というバリエーションを持たせるのもなかなか大変なのだが(しかもやれるのはボクシングの試合のみ)、ここに来てこれをやってのけるスタローンはやはり脚本家としても優秀な人なのだな、と感心ひとしきりだった。

『くすぐり』★★★☆☆


David Farrier on why "Tickled" is much darker than expected

 ネットフリックスオリジナルマークは確かついていなかったが、日本では劇場公開されていないドキュメンタリーフィルム。YOUTUBE上に上げられている、男性が男性をひたすらくすぐる「競技」の動画に興味を持った記者がその制作者を追ううち、深刻な問題に辿り着いてしまう、という作品。

 

 まず題材は上々。ただただ人がくすぐられている、という内容は一見すると罰ゲームめいていて笑えるのだが、その背後に何の意図があって、何のために「くすぐり競技」をやっているのか判然としない、という不気味さ、異様さが漂っているのが、展開に期待を持たせる。同時に、早い段階でくすぐり競技の運営者にあたる人物が、異常な情熱で記者を攻撃してくるのも、意味や狙いの不明瞭さが手伝ってミステリー的に見える。

 さらに、このたぐりにくい取材困難な題材を、記者たちは相当丁寧に関係者を捜し当て、話を聞いているのも好感が持てる。くすぐり動画制作者、くすぐりスカウト、など不可解な職業の人物が続々出てくると、世の中にはいろんな食い扶持があるものだと感心してしまう。

 

 とおおむね面白いのだが、肝心の「犯人」への接近が物足りないのが残念。いや、ほぼ真相に辿り着きかけているのだが、「犯人」の動機についての描写は皆無に等しい。そこが一番気になるので、犯人の人となりや犯行のきっかけが知りたいのだが、そこは手が届かなかったようで(犯人の直近の知人や関係者への取材がほぼ不可能だった模様)、結局最後まで「不気味」で終わってしまう。

 犯人の義理の母までは迫れたのでその気になればさらなる取材も可能だったはずだが、ここでやめてしまったのは何か事情があったのか、それとも何らかの偏見を助長しかねない事実が出てきたのか、あるいは完全に裏取りができない状態に陥ってしまったのか。怪しげに描写しようと思えばいくらでも出来ただろうから誠実に作ったのだろうが、やはり「犯人」が何者だったのかは、ある程度の落としどころを作って欲しかった。

『アントマン&ワスプ』★★★★☆

 

  レンタルスタートしたのでようやく鑑賞。『エンドゲーム』まではあと1作。

 正直、期待の高さからすると弱いところも多数。風呂敷を広げたおかげでSFとして突っ込みたくなる要素も増加。しかし後半のアクションシーンの愉しさで総合点はよし、という印象。脚本は前作のほうがよかった。

 

 MCU作品を今のところ全作品観ているのだが、2本目が面白い物はなかなか少ない(たぶん『キャプテン・アメリカ』ぐらい)。アントマンは1作目がSFコメディとしてかなり秀逸な作品だったので期待していたのだが、今回はやや切れ味に鈍りを感じた。

 まず物語の開始時点は前作の続きではなく、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の続き。主人公たちが仲違いしたところから始まり、その解消が物語の全体を貫いているのだが、いかんせん彼らの対立のきっかけが別作品にあり、回想シーンすらないので、この作品単体で言うと何に対して怒っている/怒られているのかがややぼやけている。そのため感情的な動機が今ひとつ薄い。

 

 もう一つの軸は前作からの積み残し、量子世界に30年前取り残されたヒロインの母を取り戻す、というところ。こちらについてはSFとして理屈にいろいろわからないところが多い。「量子世界だと30年間飲まず食わずでも生きられるのか」「母はどうやって現実世界へとメッセージを送ってきたのか」「『母の身体に蓄積されたエネルギーを使って云々』ってどういうことか」などなど、筆者が量子力学を知らないことをさておいてもなんだかよくわからん理屈が乱舞する。

 『アントマン』シリーズ自体はライトなSFなので、ドラえもんぐらいのシンプルなSFアイテムが出てくることに文句はないのだが、前作は「とにかくスーツを着たら小さくなれる」という最小限の理屈だけがあれば全体の筋が通っていた。本作はその時その時の筋を通すために突然出てきた理屈が山ほどあるので、「?」とおもっているうちに話が進んでいってしまう。

 

 今回は物体の縮小拡大が自由自在に行えるようになっているのも、細かいところが気になってしまう。ビルを縮小して持ち歩くと、中に入っているものは散乱してしまうのだろうか(笑)。くだらない指摘かも知れないが、そういうことをちゃんとしないとSFは破綻していくと思うのだ。質量保存の法則もやっぱり気になってしまう。

 今回のヴィランは身体の分子が離散する体質になってしまい、様々な物体をすり抜けることができてしまうというキャラなのだが、それならどうして服を着れるのだろうか。どうして地面に落ち込んでしまわないのだろうか。

 

 それと今回、コメディ要素が空回り気味だったのももったいない。笑わせる目的のシーンが定期的に挟まるのだが、そのやりとりが物語の進行に関わらない、完全に挿入されたシーンなので、その間ストーリーが停止するのだ。面白いセリフは、通常退屈しそうな説明シーンなどにこそ組み込むべきものである。

 後半のアクション&カーチェイスを連打するあたりから、うまくアイディアと絡み合って楽しいヒーロー映画になっていくので総合すると楽しい映画だったが、どうも前作をなぞりつつ弱まっている、という印象。もちろん、エンディング以降の「いつものアレ」は期待通り、というか期待以上の内容だったので、ワクワク出来てよかったのだが。

『LION/ライオン 25年目のただいま』★★★☆☆

 

 「ネタバレに注意」みたいな触れ込みでこの作品の話を聞いて、興味を持ったように記憶している。この触れ込みって本当によくなくて、変な期待感や予想をつい持ってしまい、結果、そんなたいそうなオチがないと、そこまで悪くない作品でも肩すかしに感じられてしまう。邦画でしばしば売り文句を「衝撃のラスト!」とか付けているものがあるが(小説でもある)、衝撃のラストはほとんどの場合予期せず訪れるから面白いので、やめたほうがいいと思う。

 本作はあいにく、そうした意外性のあるオチを持つタイプの作品ではないが、しっかりと作られた美しい1作。同じインドが舞台の『スラムドッグ$ミリオネア』のようなフィクションとしての圧倒的力を持ってはいないものの、子役の存在感、そしてインドの情景の美しさを味わえる佳品。

 

 評価そのものは非常に迷った。よく出来た映画なのは間違いないが、問題は本作が実話を元にしている、ということ。驚くべき実話を下敷きにしている場合、正直言って素直にそれを描けば、上手いストーリーになってしまう。だからどうしても、実話を再話する以上の内容、つまり、「その実話を通して何を描くか」という部分に期待を抱いてしまう。たとえば『アメリカン・スナイパー』、たとえば『ザ・ウォーク』のように。 

 そうした観点で言うと、本作が「描く価値のある実話」であるのは間違いないが、ではそれにプラスして何を描けているか、というと、ドキュメンタリーフィルムで描ける以上のことを描いているか疑問には感じる。実話物は、仮に事実に忠実に演出したとしても、実際に起きたこと以上の普遍的な内容を描くことは可能なのだ。

 演出も演技も見事であり、また、「迷子」という主題をオーストラリアで暮らすようになった後も展開し続けているところまでは期待を抱けた。地理的な迷子のみならず、自らのアイデンティティ、生き方、存在意義、人間関係、全てにおいて迷子になってしまう主人公。その根源には、世界規模での経済的不均衡、金銭的な力関係が横たわっている。安直に「家族」を素晴らしい物として描かないストイックな姿勢も好感を持てた。恋人に馴染みきれない主人公の複雑な心情を逃げずに描くのもよい。

 

 でも、もう一声欲しかった。あのラストで何もかも解消した、ということでよいのか? 『ハドソン湾の奇跡』で感じた、「実際に起きたハッピーエンド」が問題の全てをかき消してしまうことへの違和感が、ここにもあった。主人公は答えを見いだせて、本当によかった、なのか? 彼はもう迷子ではないのか?

 ネタバレは避けるが、エンディングの後の人間関係は果たしてどうなったのか、めでたしめでたしといったのか。2012年に起きた出来事を2016年に映画化すれば、それは確かに掬いきれない要素が多発するだろう。実話を慌てて映画化するのは、こうした物語化が不完全な状態になってしまいかねないので、惜しさを感じてしまう。

『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツオトナ帝国の逆襲』★★★★☆

 

  子ども時代から下ネタが苦手で、金曜の夜はクレしんよりも断然ドラえもん派だった。テレビで流れていても観ないことがほとんどで、結果劇場版も全てスルーしてきている。名作と呼ばれる作品が何本もあるのは知っていたが、なかなか観るきっかけが出来ずこの歳まで来てしまった。

 Netflixに入っていたが近日配信終了ということで慌てて観賞。実は期待したほどではなかったのだが、説教臭くなりすぎずきちんとギャグアニメの範囲内で作っている。

 

 どこからかやってきた「イエスタデイ・ワンスモア」という組織の手で開催される20世紀博の世界に、大人たちが囚われてしまう。とーちゃんかーちゃんが連れ去られた今、懐かしい時代の匂いにしんのすけたちが立ち向かう!というのがあらすじ。

 この作品が作られたのは2001年ということで、昭和懐古ブームが起きた『三丁目の夕日』あたりよりもかなり前。もっと言えば、オリンピックだの万博だのを再度招致しよう、などという身も蓋もない方向に政治周りが進む前だった。予言がここまで当たってしまうのにはうんざりしてしまうが・・・・。

 

 アイディアが抜群にいいのだが、クレヨンしんちゃんそのものはギャグ漫画原作、アニメは更にギャグ度が高いこともあり、合間合間に笑いを取るためのギャグシーンが入ってくる。コメディの場合は展開と絡めての笑いが可能だが、ギャグはネタを挿入する形を取るので物語りそのものはそこで停滞してしまうのは致し方ない(ストーリー展開で笑いを取るのは複雑すぎて子ども向けとしては不適切だし)。

 観賞するまではもっといっそ大人向けに振り切っている作品なのかと思い込んでいたが、実際はきちんと子どもが楽しめる場面を組み込んでやるべきことはこなしている。繰り返されてきたひろしの足がくさいネタと昭和の世界を組み合わせる方法も見事。視覚や聴覚以上に、匂いは人間の思い出に関わっているのは間違いないし、何より、映像で匂いは表現出来ない、ということを逆手に取っているのだ。鑑賞者ごとに思い浮かべる匂いは違い、だからこそ目の前で描かれる画以上の効果をもたらしている。

 

 実写リメイクの企画もきっとあるだろうし、まだまだ広げようのあるネタだと思うのだけれど。『20世紀少年』があるから不要になってしまったような気もする。