週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『ディザスター・アーティスト』★★★★☆


The Disaster Artist Teaser Trailer #1 | Movieclips Trailer

「いつか何かが出来るはず」という夢の果てに出来た"駄作"の価値とは

あらすじ

“史上最大の駄作”としてカルト的人気を集めた2003年製作の映画「ザ・ルーム」(日本未公開)の製作過程を、「127時間」などの俳優ジェームズ・フランコの監督・主演で映画化。1998年、サンフランシスコ。俳優を目指す19歳のグレッグ・セステロは、演劇クラスでトミー・ウィソーという風変わりな男と出会い、その型破りな言動に興味を抱く。同じ夢を目指す仲間として意気投合した2人は、俳優としての道を切り開くべく一緒にロサンゼルスへ引っ越すことに。しかし現実は厳しく、2人とも成功とは程遠いまま月日だけが過ぎていく。しびれを切らした2人は、自分たちで映画を制作することを思いつき、実行に移すが……。(映画.comより)

 この映画、実話であってどういうことが現実に起きたかを知ったあとで観たほうが、おそらく面白いだろう。ウィキペディアで『ザ・ルーム(2003年の映画)』の項目をざっくりとでも読んだほうがいい(2015年の映画『ルーム』ではない)。

 上記のあらすじの通り、謎の男が多くの人を集めてわけのわからない映画を撮り、あまりのわけのわからなさにファンがついた、という実際に起きた出来事を題材にした映画である。日本で言えば『シベリア超特急』と大体同じだ。

 

シベリア超特急 コンプリート DVD-BOX

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  コンプリートボックスが出ていたとは知らなかった。

 芸人にたとえればコウメ太夫あたりかもしれないが、異常なまでにダメなものは一周回って味になってくる。もちろんわざとやっているのではダメで、ガチンコで面白いと思って作っていないと興ざめである。

 

 本作はアメリカでのそうした映画制作を題材にしている。本当にあった出来事だけあって、前半の痛々しさはかなりのもの。個人的にそういう描写を観ると共感性羞恥にやられるのでなかなかしんどかった。映画俳優になりたい二人がどうしても上手くいかず、嫉妬に駆られ、自分たちで何も知らないのにプロのスタッフを金で集めて映画を撮り始める。苦難を乗り越え、最終的に作品はできあがる。

 ただ、こういった物作り系作品にしばしば観られる流れ(『僕らのミライへ逆回転』や『カメラを止めるな!』)のように、「次第に情熱が周囲の理解を呼んでなんだかんだで良作ができあがる」というような感動的なことは、全く無い。現実にもそんなことは起こらなかったのだから当たり前である。

 

 それではどうやってまとめているのか。言ってしまうと、上記のような類作よりも遙かにビターである。現実同様、駄作はあくまでも駄作であり、奇跡が重なって名作になることなどない。創ったものは創ったとおりにあとに残る。

 けれど、本来思っていたのと全く違う形であっても、愛されるかも知れないし、価値を生み出すかも知れない。悲惨で歪なそれを受け止められるのか、自分の思い描いていた理想と違う形になっても、自分なりに認めることが出来るのか。1人の人間の人生のようかも知れない。

 

 また、ものを創ったことがある人は皆わかると思うが、どれだけ周囲から滑稽に見えても、本人は本心から傑作だと思っているものである。本作の主人公、トミーもふざけているのでもバカなのでもなく、本気でいいものが出来る、出来ている、自分の脚本は素晴らしいと思っているのだ。

 そして、もしかしたら自分もトミーかも知れない、とは誰でも疑いを抱く。自分が作っている、あるいは作ろうとしているものは、実はとんでもない駄作かも知れない。周囲から観れば失笑ものの意味不明な品かも知れない。それは自分自身からはわからないことなのだ。それでも作り続けることに価値はあるのか。いや、それでも作り続けるしかないのだろう。

 

 「頑張っていればいつか必ず」なんてことはない世界である。それは劇中でも言及されている。夢見ていたような成功は永遠にやってこないかもしれない。その可能性のほうが高い。けれど、生み出したものはきっと何かを与えてくれる、のだろう。それだけでも、続ける価値はあるのかも知れない。

『ゴジラVSキングギドラ』★★★★☆

ゴジラVSキングギドラ

ゴジラVSキングギドラ

 

 ハリウッドSF要素ごった煮サービス満点ゴジラ、荒いがこれもまたよし

あらすじ

日本に未来人の乗るUFOが飛来し、ゴジラによって日本が死滅されることを予告する。それを阻止するには、かつてゴジラがまだ放射能におかされていなかった恐竜として密かに生存していた1944年の太平洋戦争下にタイムワープし、ゴジラを消滅させるしかない。しかし、そこには未来人の陰謀が隠されていた…。(amazonより)

 

 自分が一番なじみがあるのが平成ゴジラシリーズ。特に、VSキングギドラ以降はリアルタイムに映画館で見ていたので思い入れも強い。なので、たぶん客観視は出来ていないだろう。オススメ度合いもそのバイアス込みで観て欲しい。

 何十年ぶりかに観たが、やはりこの頃からのゴジラはスタイルがよくてカッコいいし、キングギドラも美しい。ミニチュアの出来もよい。シナリオも、やりたいことをとにかく全部盛りにしていて(収拾ついているかは別にするとしても)、熱さ若さを感じて面白かった。

 

 『未知との遭遇』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ターミネーター』、あまたの戦争映画、さらになぜか『鉄男』と、オマージュが大量に詰め込まれている。一個一個の完成度も意外と低くないのだが、わりと元ネタがはっきりわかる形で引用されているので、知らない人(子どもの頃)は楽しかったのだが知ったあとだと微笑ましくは感じられる。

 また、タイムパラドックスもそうだが、細かい部分を詰めていくと登場人物の行動の狙いなどにも詰めの甘さが残る。様々な合体させた要素に収拾を付けるための狂言回しとして月刊ムーに寄稿しているオカルトライターが主人公として登場するのだが、彼も強く感情移入するほど状況に巻き込まれていない(切実に事態を解決しなければならないほど問題に関わっていない)ので、常に他人事感が漂っている。

 ゴジラ自体も、わざわざタイムトラベル&ワープなどを駆使して存在を消滅させようとするという熱い展開があるにもかかわらず、結局やろうとやるまいとゴジラは出現してしまう、という一体そこまでの努力は何だったんだオチが待っているので若干脱力感が残った。

 

 だが、元日本軍の兵士である登場人物には、長い時間を描いた作品だからこそのドラマ、ゴジラだからこその奇妙な縁の物語が用意されていて非常に味わい深い。生と死をゴジラという非日常的存在に支配され、あの日、死んだはずだった人間が再び巡り会う運命は、SFならではの描写だった。ここをもっとフィーチャーすればかなり厚みのあるストーリーに出来たと思うのだが、さすがに題材として渋すぎるか。

 また、旧日本兵とSFを組み合わせた物語というのは映画だとあまり見当たらないのではないかと思うのだが、そういう意味でもオリジナリティがあってよい。

 

 さらに、終盤の新宿での対戦はがっつり豪華な巨大生物同士の争いを描いていて見応え抜群。細かいことは気にせず、ゴジラカッコいいなあ、怪獣映画楽しいなあ、で満足したい人には、シリーズ中でもかなりオススメの1作と言える。

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』★★★★☆


GODZILLA 2: King of the Monsters "Super Godzilla" Spot & Trailer (2019)

言いたいことは山ほど在るが、格好良かったから結果まあヨシ

あらすじ

前作から5年後の世界を舞台に、モスララドンキングギドラなど続々と復活する神話時代の怪獣たちとゴジラが、世界の覇権をかけて戦いを繰り広げる。また、それによって引き起こされる世界の破滅を阻止しようと、未確認生物特務機関「モナーク」に属する人々が奮闘する姿を描く。(映画.comより)

 

 久々にネタバレあり、なしでわけて書こうと思う。

 期待しながらIMAX3Dで観賞。前作は観たあと知人の特撮オタクと話し合った結果、「いろいろ引っかかるがまあ頑張った内容」と上から目線の評価をまとめた記憶が在る。その後、『シン・ゴジラ』で「これが本当に観たかったヤツや!」と大満足したので、2014年版のハリウッドゴジラは中の中くらいの満足度になっている。

 

 ネタバレなしで語るなら、「怪獣のカッコイイバトルが観たいヤツ集まれ!」という感じ。巨大生物、もっといえば巨神たちの闘いの美しさ、そしてそれに何も手出しが出来ない愚かな人間たちの姿、という神話的(それもギリシャ神話や日本神話的)な光景の魅力は存分に描ききっている。

 海外のレビューで「人間ドラマが手薄」というような話があったが、そこまででもなく人間たちの様子は描けていたと思う。でも、そこというよりは「人類がまだ知らないおそるべき者たちがこの世にはいて、彼らが目覚めたとき我々はどうすることもできない」ということを見せる、クトゥルフ的恐怖を描くことには見事に成功している。

 

 個人的にもゴジラシリーズにはこだわりがあるので言いたいことは正直山ほど在るのだが、特にキングギドラが格好良かったのでこんな感じの評点に。前作よりも日本の過去作への目配せが多かったのも印象よかったです。

 

 ネタバレナシだとここまで。以下、ネタバレありです。

 

 

 

 

 

 

 

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 さて。

 本当に言いたいことが山ほど在るのだ! 正直言わせてもらえば、人間ドラマは手薄なのではなく、描き方が間違っている。これでは面白くなるはずがない。にもかかわらず、どうでもいい家族愛親子愛夫婦愛の偽善的なドラマにだらだら尺を割いているので「手薄」な印象になってしまうのだ。

 口が悪くなってしまったが、実際怪獣たちの闘いと家族の不和の問題がほとんどかみ合っておらず、後ろで大怪獣たちが闘っているのに手前ではただの家族喧嘩、劇中の言葉を借りるなら「おらこんな両親いやだー(こんな言い方してないけども)」になってしまう。

 

 個人的な意見だが、「怪獣」に対置出来るのは基本、「社会」であって、個人が直接立ち向かって満足のいく描写は出来ない。ごく普通のエイリアンやジョーズ、あるいはジュラシックパーク的モンスターなら個人の物語から描くことも出来るかも知れないが、超巨大怪獣は人間を襲うのではなく街や国を襲うので、一個人の私的な問題だけに回収するには大事過ぎる。彼らは基本的に、人間とは何の関係もなく暴れているのだ。

 なので、何らかの形で社会を代表する人物が対置されて欲しい。科学者(第1作)、政治家(『シン・ゴジラ』)、軍人(平成ゴジラ)、巫女(平成ガメラ)など、一個人と言うよりも人類代表として、マスな視点で物事を語れるポジションの人物がいてほしい。私人としての問題はさておいて、人という種の話をしてほしいのだ(そうでなければ、エヴァのように異常に私的な問題に帰着させることで登場人物の異常性を見せることになる)。この点、『パシフィック・リム』でのデルトロ監督はさすがだった。

 

 だが、ハリウッド版のゴジラはハリウッド映画にありがちな個人の物語に持ち込んでしまっており、もう圧倒的に間違っている。プロデューサーあたりに「入れないとダメだ」とでも言われたかのように、父親、母親、子どもの問題を均等にまんべんなく入れているのだが、どれもこれもちゃんと展開しきらないうちにキングギドラにわやくちゃにされて終わるので達成感もない。

 これ、修正は簡単だ。もっとも異常な行動を取っている母親の物語に絞り込んで、父親や子どもはサブに据えて、かつて息子を失い誤った信念に導かれた人物の暴走と悔恨、そして贖罪の物語にすれば充分成り立つのだが、ボビー・ミリ―・ブラウンをどうしても主役に据えたかったのか、単にろくでもない両親の間で翻弄されるかわいそうな子供の描写が長時間展開されるので据わりが悪い。父親に至っては特に描かなくてもよかっただろう。

 こういう、まさしくシン・ゴジラが切り捨てた要素を入れざるを得なかったのが残念だった。初代ゴジラの芹沢博士のように、人間の絶望と苦悩を大怪獣と相似形で描けるレベルまでフォーカスすれば(今回の場合は、怪獣に子どもを奪われた母親の狂気)、もっと面白いものになり得たのに。

 

 あわせて、前作から変わらず存在している大きな問題として、モナークがある。あいつらは、いったい、何をやりたい組織なのだ! 観ていても全くわからない。怪獣に立ち向かいたいのか、保護したいのか、再封印を目指したいのか、怪獣を研究したいだけなのか。頼むから明示して欲しかった。

 モンスターバースがMCUのようになれていないのもここが大きいだろう。アベンジャーズやニック・フューリーが何をやりたいのかはよくわかる。しかし、彼らはそもそもどこにどう所属している何の財源のどういう組織なのか。世界中に謎の施設を大量に設置することは出来る一方で、米国政府の公聴会ではIMFのように叱られていたりする。

 あえて怪獣保護を目的としている、ならそれはそれでいいのだ。狂信的に怪獣を保護しようとするならいいし、殺そうとしているならそれでもいい。はっきりしないからこいつらを信じていいのか疑っていいのか、期待していいのか憎んでいいのか全然わからない。

 

 さらに、ニック・フューリー的ポジションの芹沢博士とその横に居るサリー・ホーキンス演じる博士。彼らは何をしに、あんな世界中あっちこっちに出向いているのだ。前作でもさっぱりわからなかった。その上今回は、大物二人の出演料削減のためか、二人とも居なくなってしまう。サリー・ホーキンスの無駄遣いもいいところである。

 あと、今回の展開についていえば芹沢博士の行動、核爆弾でゴジラを目覚めさせる、というのは、もう、ゴジラという怪獣の成り立ちを考えればあり得ないし、芹沢という名前を背負っているキャラクターには絶対にやって欲しくなかった。『ダークナイトライジング』を観たときも感じたが、未だにアメリカでは核兵器に対する認識が、ちょっと強い爆弾程度なのだろうか。

 あんな至近距離で核爆弾が爆発したら、潜水艦内の人々もただでは済まないだろう。核爆発寸前のゴジラの周辺をうろうろしていたら、登場人物たちは尋常ではなく被曝しているだろう。怪獣の出自からしても、そこはきちんとしておかなければなるまい。

 

 怪獣の暴れる場所も、今回は市街地はほとんど無く、大半が南極とどこかの海と山である。これは好みも分かれるが、面倒でも街で闘っていただきたかった。怪獣のアクションは、破壊される日常を伴ってなんぼである。作品の内容から言っても、きっちり文明を破壊せねばなるまい。終盤、大量に怪獣が出現しているにもかかわらず、ほとんどディスプレイ上の描写で済まされてしまっているのはさすがに予算と時間の限界があったのだろうか。

 

 また、単純にサスペンスの盛り上げ方が下手なのもよろしくない。怪獣復活作戦は主人公の母親の科学者自身が立案した、というなかなか衝撃的な展開なのに、それが流れの中でさらっと語られるのでカタルシスが全く無い。音楽なりセリフなり演出で盛り上げながら、味方だったはずの人物が実はそもそも敵だった、ということを描くべきなのに。

 ここに限らず、人間の感情描写、盛り上げの演出がどこもかしこも上手くいっていない。親子三人のドラマに全く入り込めないのも、ひとつにはこの下手さが影響しているだろう。一方で、怪獣の感情描写は非常に達者だった(笑)。これは本作が史上最もやり遂げていたポイントだろう。どの怪獣もしっかり感情が感じられ、ゴジラモスララドンキングギドラの首の一本一本にも性格が見て取れる。

 

 このあたりは昭和の子ども向けゴジラのような人間味で、好き嫌いは分かれるだろうが、ギドラの見せ方はなかなか魅力的だった。ただ、ラストのライオンキング的な描写は、むしろゴジラを矮小化させかねず(既存の動物の性質レベルに収めてしまっている)、いかがかな、と思ったが。

 おそらくなのだが、監督はあまり、人間に興味が無いのだろう(想像だけれども)。ないならないで別に構わないのだが、だったらうかつにおざなりで薄味な人間描写などせず、大怪獣映画に特化させてしまったほうがよい。人間は怪獣が踏みつぶすためのおもちゃに過ぎない、と割り切ったほうが、たぶんいいものが創れる。ただ、そのためにはゴジラを題材にしないほうがいいだろうし(ビッグバジェット映画は八方美人を求められる)、難しいところである。

 

 ・・・・とまあ、言いたいことが本当に山ほど在って、もっとあった気もするのだが、とりあえずこれぐらいにしておく。こういうことを観賞しながら大量に思ったのだが、でも、「キングギドラ格好良かったしなー」で★4つ、である。あ、ゴジラのテーマからの12音階の引用、さらにまさかのモスラの唄の引用まで入ってきたのも得点高い・・・・でもオキシジェン・デストロイヤーの雑な扱いはいかがなものかと・・・・。

 こんな感じで無限に感想が湧いてくる。我ながらどうかと思うが、ゴジラ映画にはやはり思い入れが強すぎた。

 ようやく、エピソード8を観たあとのスター・ウォーズオタクの気持ちが理解出来た気がする。「やりたいことはわかるがこれは違う」という複雑な気持ちとともに、また新しいゴジラが公開されたら劇場に足を運んでしまうのだ。

『キングコング対ゴジラ』★★★☆☆

キングコング対ゴジラ

キングコング対ゴジラ

 

よくもないが悪くもない、ザ・怪獣プロレスにして昭和のコメディ

あらすじ

日本のテレビ局の思惑で、南海の孤島ファロから連れてこられるキングコング。そして、北極の氷が解けて蘇ったゴジラ。やがて両者は日本の地で衝突し、壮大な闘いがくり広げられる。(amazonより)

 

 次のハリウッドでのゴジラ映画は『ゴジラvsコング』らしいのだが、こちらは五十年ほど前にすでに日本で実現していた二大怪獣対決もの。当時はキングコングのほうがネームバリューが高かったからか、コングの名前のほうが先に来る。

 1作目の監督、音楽担当が復帰し、初のカラー作品、クオリティは2作目よりも大幅によくなった3作目、なのだが、とりたてて「是非観るべき!」というべきポイントもない。

 

 ストーリーはキングコングの基本、「商業目的の一段がカメラを持って南方の島へ行ってそのまま連れ帰ってくる」の中に、ゴジラをねじ込んだような形。現代では絶対に出来ないような「南の島」の描写が出てくるが、伊福部昭による楽曲が強烈で印象深い。

 前作(第2作)で北海道沖の島の氷の中に沈んだはずのゴジラは不思議なことに北極の氷の下から発見されるが、これはもう大した理由もなく日本にやってくる。ただ、今回は都会よりも田舎の大自然を闊歩しているシーンのほうが多く、悪くはないがミニチュアセットの迫力には欠ける。

 

 そして対決。アンギラスほどダレはしないが、やはりキングコングが借り物の怪獣(アメリカの権利会社に金を払って使わせてもらっている)であることもあって、描写に遠慮があるのが「ゲスト」という感じで面白い。いかにも相手側に気を遣っているような、「いや、キングコングがこのまま負けっ放しのワケはありませんよ」みたいなセリフが頻繁に出てくるのだ。

 マンガでたまにある、他の作品とのコラボ作品のような雰囲気で、失礼なことを言わせるわけにいかないのはわかるが、しかしこういうのはその手の遠慮が透けて見えると、普通にやるより面白くならない。どうして本作は『キングコング対ゴジラ』なのか不思議に思っていたのだが、向こうさんを立てるためなのだろう。本作でも怪獣の特性上、殴り合いつかみ合いが相次ぐのでゴジラの重厚さは感じられず、プロレスっぽさは強い。

 

 というか、このあたりの対決を観てみると、平成あたりのゴジラシリーズのように、「ゴジラ主体で何をぶつけるか」という発想ではなく、どちらかというとほぼ対等な人気怪獣をぶつける(この次のモスラや、次の次のラドンのように)、アベンジャーズに近い発想のシリーズだったのだろう。

 監督は1作目と同じなのだが、上記のような事情もあってか、雰囲気は昔の日本のコメディ映画、といった感じで、愉快なところは現代の視線からも多数あるものの、深み厚みは特にない。1作目のような哲学は付けるつもりすらなく、完全なお祭り映画として制作されているのがわかる。

 

 ただ、登場人物の描写はなかなかしっかりしていて、どのキャラクターも印象に残るのは好印象。特に製薬会社の宣伝部長は強烈にキャラが立っていて、あくどい割りに憎めないのはジャクソン版キングコングジャック・ブラックに近いものを感じる。

 言っていることもやっていることもろくでもないのだが、出てくるともっと観たい、と感じるのは、馬鹿馬鹿しいキャラでもしっかり演じきっている役者の技量だろう。意外と人間サイドのシナリオも、些細なお遊びに見えた要素がちゃんと伏線になっていたりもするので、決して手抜きではない。

 昭和のゴジラはここからどんどん大衆向け⇒子ども向け路線をひた走るだろうが、果たしてどこまで観賞することが出来るか。さすがにこうも連続していると疲れてきた(笑)。

『ゴジラの逆襲』★☆☆☆☆

ゴジラの逆襲

ゴジラの逆襲

 

突貫工事で作り上げられた凡庸の極み

あらすじ

再び現れたゴジラは、新たな巨大怪獣・アンギラスと格闘しつつ海中へ。政府はゴジラの本土上陸を阻止せんとするが、脱走した囚人の起こした火災がゴジラアンギラスを大阪に誘導してしまう。(amazonより)

 

 好きなゴジラ映画でこんなことは書きたくはないが、本当なのだからどうしようもない。見出しの通りの感想である。

 確か、第1作のゴジラの大ヒットを受けて5ヵ月で作り上げられた、という話。現代劇ならともかく、特撮を含む映画を5ヵ月で作るのは正気の沙汰ではないと思うが、ともかくやり遂げたわけだ。そして、その通りのクオリティに仕上がっている。

 

 脚本自体は支離滅裂ではないが、しかし面白みは全く無い。特撮が入らない分の間を埋めるために、面白くもなんともない一般人の会話が延々引き延ばされている。その内容は特に、ゴジラの抱えている問題と関係はない、ごく普通の(それもこれといって奥行きもない)色恋沙汰である。

 第1作のようにゴジラという存在そのものと複雑に関わってくるような人間ドラマの展開はなく、特徴も無く、意外性もなく、ただただ普通のセリフを喋っているだけ。無理やりゴジラと闘う理由を作ろうとしている様子だが、ごく普通の漁業会社の飛行機操縦士がゴジラに決死の覚悟で立ち向かうまでの強い関心を抱くのはさすがに無理がある。

 

 一方で肝心要の特撮のほうも、非常に厳しい。新怪獣アンギラスの登場はさすがにテンションが上がったが、シリーズでもトップクラスに地味で特徴の薄い怪獣なので、戦い方もまさしく「プロレス」であって観ていてもあんまり面白くない。さらに、どうもフィルムの回転数を間違えたらしく、普通の人間のとっくみあい以上に動きがちまちましている。これが妙な味(怪獣の異常性)を与えてはいるのだが、褒める気にはなれない。

 唯一よかったのは大阪の巨大セットで、これはなかなか見応えがあった。でも魅力と呼べるのはここぐらいだろう。ゴジラの顔のアップも、1作目よりも表情があるのは悪くない。

 

 さらに。音楽が伊福部昭ではないので、あのゴジラのテーマは流れない。それはまあよいのだが、今回の音楽が実に地味で、ほとんど流れない。

 その結果として妙に記録フィルムじみた雰囲気はあって迫力に若干繋がってはいるが、でも映画としてみるとやはりマイナスだろう。ワクワクもドキドキもない。やたら暗い重低音が鳴り続けているだけだと、これもまた異様さの演出には繋がるが、解決や解消が無いのでもやもやするばかりである。

 

 そしてゴジラの倒し方は現場での思いつき。計画性などまるでない。

 その他、登場人物も少なくロケもほとんど無く、予算も時間も無かったことが画面の広がりのなさからも窺える。当時の事情は大いに理解出来るが、とはいえ、今さら観るのは筆者のように、全作品観ようと覚悟を固めた人間だけで充分だろう。

『プロメア』★★★★★


映画『プロメア』ロングPV 制作:TRIGGER  5月24日〈金〉全国公開

頭から終わりまで「最終回」の連打。おバカが作ったに違いない(褒め言葉)

あらすじ

 突然変異で誕生した炎を操る人種「バーニッシュ」の出現をきっかけに、未曾有の大惨事である「世界大炎上」が起こり、世界の半分が焼失した。それから30年後、一部の攻撃的なバーニッシュが「マッドバーニッシュ」を名乗り、再び世界を危機に陥れる。これにより、対バーニッシュ用の高機動救命消防隊「バーニングレスキュー」の新人隊員ガロと、マッドバーニッシュのリーダー、リオという、それぞれ信念を持った熱い2人の男がぶつかり合うことになる。(映画.comより)

 

 テレビアニメを最後まで鑑賞しきれることがなかなかない。面白くても尺が長すぎて、途中でダレてしまうのだ。12話なり24話なり鑑賞しきった時の興奮は他に代え難いものがあるのだが、なかなか習慣づけられるほど最後まで興味を持続できない。これは自分の集中力のなさが原因だし、だからこそ2時間で済む映画ばかり見ているのだが。

 そんな人に朗報である。このオリジナルアニメ映画はちゃんと冒頭からお話が始まるにも関わらず、2時間ずっと「最終回」が描かれ続けている。説明し難いが、本当に始まってすぐに「最終回的状態」になり、それからラストシーンまでとにかくずっと「最終回状態」である。

「あーいい最終回だった」というあの感情だけを味わいたい、なんてわがままな欲望を叶えてくれる、極めて特殊な作品といえる。

 

 先に書いたようにすごく特殊な作品なので、いわゆる「ちゃんとした」シナリオ、「ちゃんとした」ドラマ、「ちゃんとした」人間感情を味わいたい、という方には一切オススメしない。ちゃんとしてないからである(笑)。

 ストーリーは過去の熱血アニメ、ロボットもの、ヒーローもの、戦隊モノなどなどありとあらゆるジャンルからの引用が相次いでいる。この辺りは『キルラキル』と同様。したがって、あえて「引用ですよ」というシグナルもなく突然何かを元ネタにしたシーンや展開、あるいは「あるある」が連発されるので、そういうのが全くわからない、という人には鬼門かもしれない。

 

 冒頭から5分ほどでテンポよく設定が見せられ、「もういい? わかったね? じゃあ始めます」と言わんばかりにあっという間に怒涛の激アツ展開に突入。そのあとは、満足にキャラクターの説明もなく、「見りゃだいたいわかんだろ?」といった勢いのまま最後まで駆け抜ける。

 この「だいたいわかる」の加減が本当にギリギリで、人によっては置いてけぼりにされることもあるだろう。筆者も中盤、若干置いてかれている感(他人事感)があった。感情移入できない状態で熱血物語を展開されるとそうなりがちなのだ。

 

 しかし、これは本当に画期的な感覚だったのだが、置いてけぼりも加速していくと一周回ってやっぱりわかるような感覚になる(笑)。ものすごい勢いで先に行かれてしまうのだが、それでもやっぱり物語を見続けていると愛着が湧いてきて、結局感情移入してしまうのだ。

 また、勢い任せのギャグも(『キルラキル』ほどではなかったが)要所要所に入れ込まれていて笑わせてくれる。そんな中であまりに「最終回っぽい激アツ展開」が乱舞するので、だんだんいま、映画の何割ぐらいか、何分くらい経ったのかがわからなくなってくる。

 

 だいたい映画を見ていると、展開から言っておそらく三分の一ぐらいだろう、半分ぐらいだろうという見当がつくのだが、本作についてはそれができない。もう今度こそ最後、ラスト展開か、と思い始めてからが本番、という作品だからだ。

 ちなみに、メッセージがどうとか、考えさせられるとか、そういうのとも無縁な内容なので、そこも予めご了承願いたいところ。『マッドマックス』などもそうだが、意味を破壊していった先に残る高揚感を描く作品というのもこの世にはあっていいと思うのだ。

 正直言えばもっとゆっくり、2クールぐらいかけて観たかった、という気持ちもなくはない。でもそうなると、『キルラキル』とやることは変わらなくなってしまうだろう。2時間で最速加熱、どこまで熱くできるか挑戦して、純度を極限まで高めて精錬した作品といえるだろう。

 

 ちなみに、芸能人キャストの松山ケンイチ早乙女太一堺雅人の演技は素晴らしいの一言。実力ある声優陣の演技の中でも全く浮いていない。絶叫が多い、アニメ以外では表現されない感情が飛び交う内容にも関わらず、最後まで見事に演じきっていた。

 特に堺雅人の芝居は、これまでアニメで聞いたこともないような幅の広さでまさに脱帽。もっと堺雅人出てこないかな、と思わせてくれた。イチオシ。

『ゴジラ×メカゴジラ(2002)』★★★★☆

 

ゴジラ×メカゴジラ

ゴジラ×メカゴジラ

 

 強い意志を持った主人公による巨大ロボットものとしてのゴジラ作品

 あらすじ

政府は、対ゴジラ用兵器の開発に着手し、1954年に死亡したゴジラの骨をベースに生体ロボット、3式機龍(=メカゴジラ)の製造に成功、対特殊生物自衛隊の中に機龍隊が結成される。再び日本に姿を現したゴジラを超攻撃型メカゴジラが迎え撃つ。(amazonより)

 

 『デストロイア』以降のゴジラはほとんどリアルタイムで観てこなかったので、今回まとめて観ていくと意外なほど面白くて楽しい。ぱっと見のゴジラの外見やストーリーのコンセプトがライトで当時は観たくなかったのだが、なかなかよくできている。

 本作はまさに想像を大きく超えていて、大勢の登場人物を動かしながら無駄のない脚本、入り組んだ人間ドラマの作り方、ゴジラの恐ろしさ、そして、主人公の造形と演技の見事さが際立っていた。

 

 いうまでもなくゴジラの主人公はゴジラである。なので、人間サイドの主人公はあまり存在感がないことが多い。しかしながら、本作は釈由美子演じる自衛官メカゴジラのオペレータを務めるということで、直接ゴジラと対決する人間というなかなか珍しいポジションにつく。

 この主人公の演技が、失礼ながら驚くほどしっかりしている。当時の人気グラビアアイドルによる主演ということもあり、まあ、期待するのも無理があるというぐらいに思いながら身始めたのだが、きちんと自衛官らしさを感じる「少々堅物で真面目だが優しく、そして危険に立ち向かう勇気のある人物」という人物造形をきちんと表現していた。

 

 訓練シーンやアクションシーンもあるのだが、スタントを使っているとはいえ顔の見えるシーンも多く、そこもきっちりとこなしている。「それらしく」見せるだけでも大変なはずだが、違和感はなかった(もちろん演出のうまさでもあるのだが)。

 キャラクター設定的に寡黙、かつ表情も抑えめのシーンが多いのが奏功してか、ゴジラに尺を取られて人間描写が短い中でもどんな人物かよく伝わってくる。そして終盤の叫びを伴う演技も、「かっこよく叫ぶ」のは非常に難しいのだが、ちゃんと魂のこもった限界状態の人間の絶叫になっていた。

 

 主人公を今回女性に据えたのは、もしかするとハム太郎との同時上映という関係で、女の子にも楽しんでもらう目的だったのかもしれないが、見事に成功していると感じた。

 元ネタとしてはエヴァンゲリオンパトレイバーあたりだろうか。特にエヴァは、ゴジラの生体情報をもとにメカゴジラを作るという設定、終盤の展開からも強い影響を感じた。

 

 今回改めて、ゴジラというキャラクターで格闘シーンを演出することの難しさがよくわかってきた。そもそも、ゆっくり歩くことしかできず、放射火炎以外の攻撃法を持たず、使えても尻尾程度、という怪獣に、毎回華のある戦いをさせるのはとても難しいのだ。つまり、相手にどんな怪獣を配置するかで映画の内容がほとんど決まってくる。

 しかし、怪獣というのはほぼ意志や動機がない。なので外見上の多様性を出す以外、手がないのだが、怪獣を介在させながらもきちんと人間が戦う、という形式をとれば、わずか1時間30分程度のゴジラと怪獣の戦いにドラマをもたらすことができる、ということが本作を見てよくわかった。