『グラディエーター』★★★★★
せっかくの休みなので長い映画2連発。完璧に組み上げられた古代ローマの歴史映画。期待通りの名画だった。
ストーリーは非常にシンプル。『バーフバリ』などと同様の貴種流離譚(まあ将軍レベルだけれど)で、復讐物語なので非常にわかりやすい。基本的にはマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝崩御後のローマを描いているが、ストーリーはほぼフィクションの模様。一部は『ベン・ハー』(ウィリアム・ワイラー版)を思い出させる描写もあり、画面の全てが美しく作り上げられていて目が飽きる暇が無い。
演出、演技は冴え渡っており不満に感じるポイントは皆無。ラッセル・クロウは人柄はいささか問題あると聞いたことがあるが、演技は(彼自身が言うとおり)文句なく素晴らしい。感情を内に秘め、ローマと妻子のため命を賭ける1人の男の生き様を演じきっている。愚帝コモドゥス役のホアキン・フェニックスは極めて明瞭に「愚かな2代目の王」を演じているが、やりすぎに感じないのは彼の抱える哀れさもきちんと見せているからか。
興味深いのは、この作品が描く政治の姿である。
コモドゥスは議会から突きつけられる現実的な問題には目を向けず、民衆が求めるのは勝利の感覚であり、「ローマのイメージ」が大切なのだ、と言いつのる。そして実際、政策でも人徳でもなく、ただひたすら剣闘士によるお祭り騒ぎを続けることで民衆を喜ばせ、剣闘士たちの死でもって民衆の不満を逸らし、自分に刃向かう者は投獄し、処刑する。
人心は離れていくが、合理性も論理性もない彼に何をされるかわからないので周囲の政治家たちは誰も立ち向かえずにいる。近いうちに議会は解散させ、自分の独裁を敷くのが理想である、と強弁する、そんな彼が欲しくても得られなかったのは「父の愛」である。彼はその空白を埋めるため、空虚な権力をひたすらに求めるのだ。
どっかできいたような話が頭から終わりまで展開され、次第に憂鬱な気持ちに駆られていったが、『U・ボート』同様、なかなか示唆に富んでいる。物語の最後には、愚かな皇帝は己の愚かしさに溺れるが、果たして現実のほうはどうなるのか。
『U・ボート ディレクターズ・カット』★★★★★
2019年1本目は、あまりの長さに普段はそうそう見られない作品をチョイス。3時間半という長丁場、殆ど全てのシーンを潜水艦の内部のみで描ききる第二次大戦中のドイツ海軍の群像劇。
CGに頼れない時代に実物大のセットとミニチュアワークで、オール実写の凄まじい迫力で描ききった傑作。俳優陣は全員ドイツ人なので知名度についてはわからないが、どの人物も本物の軍人としか思えないほどの凄絶な表情と動きで演じきる。特に、機関長役と艦長役の眼差しは脳裏に焼き付くほど。
異常に困難な作戦を強いられたU・ボートの乗組員たちの死闘をただただリアルに描いた作品なのだが、冒頭では、対チャーチルの憎悪感情や、ヒトラーに対する怒りの混じった思いなど大局的な思考を吐露していた人物たちが、物語が進むにつれ、目の前のどうしようもない現実に取り込まれていく様がことさらにリアルだった。
それは登場人物たちの外見も同様である。次第次第に海水、汗、垢などの汚れに塗れていき、髪はべとつき、服はくすんで身体に張り付き、髭も伸びて誰が誰なのかわからなくなっていく。潜水艦そのものが一体となって窮地を乗り越えていくのと呼応するかのように、全ての登場人物たちは逃げ場のない状況で一塊の群像とかしていく。
しばしば戦争映画では、後日の歴史研究の結果を盛り込んだ台詞や展開が登場し、客観的に戦局を当時の人々が読んでいたかのようなシーンが出てくることがあるが、本作は見事なまでにそれを排除している。作中の台詞にも登場するように、現実に支配されていく人々の物語なのだ。
劇中で、しきりに戦場での英雄譚を聞きたがる人物が登場するが、乗組員たちは誰も取り合わない。まだ彼らにとって戦いは物語になっておらず、誰かに語れる娯楽にもなっていないのだ。
夢も希望も未来もなくなり、降ってきた作戦に従う以外出来ることもなく、ただただ目の前の現実に傷つけられ、発狂し、壊されていく若者たち。今現在、のうのうと安全な場所で為政者視点でものを言っている人々(どう見ても戦時に為政者ポジションに立てるとは思えない人ばかりなのだが)は、この映画に描かれている程度のことも想像できないのだろうか。
『告白』★★★★☆
『来る』から続いて中島監督作品を鑑賞。
確かに、これがベストフォームでの作品だとすると『来る』はかなり上手くいっていない作例だったのかも知れない。非常に緊密にくみ上げられ、映像美も文句のない一品。
終始描かれ続けるのは人から人に向けられる「悪意」の連続。復讐、怨念、憎悪は断ちきられることなく、どこまでもどこまでも続いていく。具体的に「誰が悪い」と言い切れるほど単純な問題は一度として描かれない。
救われる人物は誰一人おらず、学校の教室という悪意が密閉された瓶のような環境で、人生が破壊されていく人物が幾人も幾人も「告白」を繰り返していく。果たしてその告白は誰に向けられ、何の意味があるのか。贖罪でもなく、吐露でもなく、ただ、本当なら隠し通したかった秘密の暴露が続けられる。
手放しで褒めたい美しい作品、なのだが、一点。作中に登場するある病気の描写について、個人的な倫理観からどうしても肯定する気になれない。
原作から存在している描写であることはわかっているのだが、果たして、この病気をこのように描写しなければ成り立たない作品だったのか。たとえば同様のフィクションの病気を設定して描くことは出来なかったか。
こうした場合、重要になるのは「この病気でなければ描けないと認められる内容かどうか」になる。たとえば病気が社会的にどのように受容され、どのような影響を及ぼしているかが作品内容に不可欠な要素であり、他の病気にすると込められたメッセージ性、文学作品としての価値に深刻な影響を及ぼすのであれば、あえて病気を、傷をえぐるように描く意味が生まれるだろう。
しかし筆者が見た限りでは、本作はこの病気そのものに焦点を当てた内容とは思えなかった。軸は別の部分にあり、また病気の登場過程などから考えると、他の病気に移し替えることも容易としか考えられなかった。
この違和感がぬぐいきれないのが理由で、★1つマイナス。しかし、秀逸な作品であることに変わりはない。
『来る』★★★★☆
またも誘われて苦手なホラー映画を鑑賞。先日の『へレディタリー』と並べて映画館で話題になっていたので、果たしてどんな物だろう、とドキドキ。一部ではホラー版『シン・ゴジラ』と言われていてわかるようなわからないような、という気持ちで観に行った。
結果として、最後には大いに楽しんで帰った。もっと言うと、こんだけ毎週毎週映画を観ている人間としてもかんじたことがない、よくわからない面白さ(褒め言葉)が詰まった作品だった。一言はっきり言っておく。上の動画のサムネはえらく怖いし(こんなシーンあったっけ)、ホラー映画として宣伝されているが、これはホラーではない。
ホラーではないというのは正直な感想で、見終わったときは、よくもまあ日本映画でこれだけの布陣と予算を集めてB級カルト映画を撮れたもんだと深く感心した。
ツイッターでの感想を見ると意外と怖かった、といった言葉が散見されるが、筆者のような生粋の恐がりでも頭から終わりまで怖いと思うシーンはひとつもなかった。『へレディタリー』のほうがよっぽど怖い。ではこの映画は失敗作なのか。
実は途中までは「この映画選んだのは失敗だったか・・・・?」と悩みながら見ていた。徹頭徹尾ありがちなシーン&説明セリフの乱舞、キレのない演出、オリジナリティ皆無のリア充描写の連続(監督(もしくは原作者)はチャラいイクメンとか大っ嫌いなんだろうなあ)。テンプレを見せつけられるのはとにかく苦痛。その上、オープニングシークエンスは明らかに『ドラゴンタトゥーの女』を意識しているな・・・・と思っていたら、本当にリスベットっぽい女の子と、フリーライターの男が出てくる。
主人公が誰なのかよくわからずに観ているうちに、何か恐ろしい現象が起こり始める・・・・のだが、起こる現象そのものもいきなり驚かしてくる系以外は、ポルターガイストレベルのことしか起こらない、というか、映らない。「何か」が来ているようなのだが何が来ているのかさっぱりわからないので怖がりようがない。
実は一応どんでん返し的な物が起こるのだが、これがどうにももうひとつ上手く機能していない。最初のシーンで起きた出来事が違う形で解釈される、ミステリー的な展開であるのだが、なにせ他の要素がごちゃごちゃ大量に投入されているので、謎が解けた快感は伝わってこない。また、ネタバレを避けて言うと、どんでん返し前の描写が十二分に胡散臭いせいで、そのシーンの「真実」が明かされたところで、「ああ、やっぱりね」としか感じられない。くわえて、超常現象と人間がやったことの境界線がはっきりしないので、どこからが肝心の「ぼぎわん」が来たせいなのかがよくわからない。もやもやが解消されないのだ。
一体どういうテンションで観ればいいんだ、いったい誰に感情移入したらいいんだ、というもやもやした感情で半ばほどまで映画を観ていた・・・・が、途中、リスベットっぽい女の子の姉が本格的に動き始めたあたりから、超展開が始まる。
柴田理恵演じる尋常でなくキャラの濃い霊能力者が出てきたあたりから「・・・・?」と感じ始めてはいたのだが、それ以降、何か知らんが派手に死ぬ登場人物、ガンバル霊能力者、怯える岡田准一、というシーンが順番に訪れ、よくわからないがとにかくやべえ状況である、ということが伝わってくる(何がどうヤバいのかは一生懸命観ていても判然としない。ぼぎわんが何なのか全くわからないため)。
ストーリーが進むにつれ、「この物語は愚かな男に振り回される女性の絶望を描こうとしているのかな・・・・」とか「好意的に解釈しようとするものの、収入源を失ったはずの登場人物がなぜか超高級分譲マンションから退去しないなど不可解な描写が続き、マジメな解釈を妨げる。細かいところを観ているとこの手の明らかに常識を逸脱した場面が連続する上、感情移入しやすいまともな人物が1人も登場しないので、これもまたどうしたもんだろうか・・・・でも何か禍々しき者はとにかく強大になっているご様子。
そしてメインキャラクターであったはずの夫婦が退場してしまい、緊張感はやたらと盛り上がったけどこの大量に詰め込まれたテーマやらホラー要素やら登場人物の憤りやら何やらをどうやって処理するのかと思っていたら突然の「そんなことより除霊しようぜ!」のウルトラ超展開がやってくる。
説明は困難だがとにかく除霊を始める。未だかつて観たことない規模のものすごい除霊が始まる。日本各地からやってきた一流の宗教関係者らが命がけで除霊をスタートする。このあたりの強キャラ大集合感は『アヴェンジャーズ』に近い。すげーやつらがやってきたぜ!からの、なんてこと無いオッサンおばさんJKたちが続々変身していく謎のかっこうよさ。意味がわからないと思うが、本当にそんな展開だから仕方ない。
その後はもう、観てもらったほうが早いと思うが、とにかくすげー除霊が続く。この辺、目を見張るほど金が掛かっているので異常に盛り上がるし、わざわざマジックアワーに撮影しているおかげで映像的にも美麗。混乱を極める岡田准一も、よくまあ演じきった物だと感心する。そして柴田理恵がかっこいい。
総合すると、『バーフバリ』に印象が近い気がする。いろんな可能性に広がりうる要素・物語の種・アイディアをしこたま詰め込んであっちに振り、こっちに振りして、ホラーかな?サイコサスペンスかな?と思わせた挙げ句、最終的に全ての可能性を力強くぶん投げて異能力バトルものになって終わった、というすこぶる斬新な映画。何度でも言うが、いい意味でこんな映画、観たことない。
これ狙って作ったのだろうか? だとしたら相当凄い。原作を読むのが楽しみ。
***********一応ラストシーンネタバレ************
ラストのオムライスの国については、観たときは「え?」という印象であったが、アレは一応、子どもの内側にはもうぼぎわんはいません、ということをビジュアル的に見せたかったのかなあ、という気がする。にしても衝撃的だったけれど。
あと、個人的にはラストシーンで、子どもにもイラッとさせようとしているのかな、と感じた(笑)。あのヴィジュアルを見せられれば、あれだけの人を死なせながら1人勝手に脳天気な子ども、というオチになって、子どもが助かったいい話、という印象は残らないだろう。きっと監督は、ありとあらゆる奴が大嫌いでむかついているんだろうなー、と思う。中島監督の他の作品を早く観てみたい。
『ラッシュ/プライドと友情』★★★★☆
ラッシュ/プライドと友情 スペシャル・エディション [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2015/10/07
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログ (7件) を見る
名匠ロン・ハワード監督の作品。F1レーサー二人の長きにわたるライバル関係を描く。演じている二人が実際のレーサーに非常に似ているので、エンディング近くで登場する実際の光景の写真が本物かどうか判断に苦しむほどだった。
さすがの安定した演出で、生き様が全く真逆の二人を描ききる。常人には理解出来ない本物の勝負師たちが、どんなレベルで戦っているか、命を賭けて戦うとはどういうことかが、まるで本物のレースを観賞しているかのように映し出される(どうやらレースシーンは基本的にCGではなく実写らしい)。
この手の専門分野での対決は、どうしても問題が細部に及ぶため門外漢が興味を失いやすい。レースも一戦一戦の勝敗のみならず、最終的にはポイントでの対決になってきたり、あるいは車両の改造もどこをどう弄っているのかなどは詳しい人間にとっては面白いが、大半のF1に興味がない人間にはどちらでもいい問題になる。
それを最小限の知識だけ印象に残るように周到に計算された脚本のおかげで、今起きていることがどの程度重要なのかが迷わず伝わってくる。問題はF1レースを通じて起きた出来事、それを中心に男二人がどのように人生が変化していったか、むしろメインはそちら側にある。
命を賭けて戦うということにこだわり、目の前で生を燃焼することに全てを注ぎ込むか、それとも徹底して計画と計算の元に歩み、理知的で必要以上の危険を避ける人生を選ぶか。ふたりの人間に起きたある大きな出来事は、結果的にそんな彼らの普段の選択とは、正反対だった。
その時、いけ好かないと思っていた相手の選択が、生き様が、自分自身を変えていく。「プライドと友情」という日本語版サブタイトルは、本質とはズレているだろう。彼らは頑なだったプライドを捨てることすら厭わなくなり、そして彼らが互いに感じていた物は「友情」というシンプルなものでないことは、ラストシーンを見ても明らかだ。
普段のハワード監督の絵作りと違う、ハードな色合いも魅力。人生の交わる瞬間を活写した佳作。
『へレディタリー/継承』★★★☆☆
ホラー映画苦手な恐がりがホラーを観賞するシリーズ第三弾ということで、現在非常に話題のホラーを観賞。観た人からは「観たことを後悔した」「終演後立ち上がれなかった」「でも観たほうがいい」という評価が多数な上、観賞直前に観に行ったホラー好きの知人が「凄く怖かった」と褒めていたのでものすごく不安になりながら映画館へ。
正直言えば、結構拍子抜け、といった印象だった。
内容的にネタバレ的要素があるので途中で区分して書こうと思うが、冒頭のとあるシーンの前後までは非常におもしろかった。個人的にも好みの展開で、「厭な」出来事が神経を苛んでいくサスペンスは、デヴィッド・フィンチャー作品や、邦画だと『CURE』あたりがとても好きなので、「おー、この路線か」とおっかなびっくり目を細めながらもワクワクしながら観ていた。
そしてセカンドパートの途中、新たな登場人物によって思いがけない展開へ進むのも「おっ」と思い、何が起こるのか、怖がりながらも期待して観ていたのだが・・・・。
セカンドパートの最中に、次第にあれ・・・・?と置いてけぼりにされていく厭な感覚があり、あれよあれよという間に、「???」という気持ちにされ、「え? この理解でいいの? 自分が読み違えているの?」と疑問に感じるくらいシンプルな真相が明らかになっていく。自分の頭の中で想定していた「答え」の中ではたぶん、一番単純な、「まさか違うだろ・・・・」と思うものだった。
そしてそのまま、エンディングへ・・・・という、置いてけぼりのままの終了、というのが個人的な感想。怖いところは確かにいろいろあったのだが・・・・真相がわからない、期待を持っている間のほうがよほど不安で心配だった。『IT』でもそうだったが、大体の方向性が見えてしまうと拍子抜けしてしまうのだ。
トラウマ級に重い個人的ベスト作品、『CURE』は最後の最後まで怖かったが、これは自分の理解出来ない領域の悪意が永遠に作動し続ける、という絶望が描かれているからだと思う。
今回の作品における悪意は、「やりたいこと」が明瞭で理解出来るので、そこで怖さが終わってしまったのだ。
*********以下、ネタバレ**************
観た人には明らかだが、上記の個人的に一番盛り上がったポイントは、「妹の首が飛んだ下り」。おー、『アウトレイジ』みたい、と思ったことは内緒だが、ともかくこの下りは期待を煽った。特に、これをやらかしてしまった後の兄貴のリアクション、「何も考えず帰宅して寝る」が、まるで自分のことのようにあり得そうな行動で、生っぽくリアルで秀逸だった。さらにその後の母親のリアクション。ここで期待がマックスまで上がった。正直この方向の「家族内絶望殺戮サスペンス」のほうが怖かったかも知れない。
その後、降霊術のあたりで「あれ? オカルトを前面に出していくの?」と疑問を感じさせ始め、そして父親が燃えた後は「?????」と完全に置いてけぼりにされてしまった。正直、「お祖母ちゃんがやってたの悪魔召喚っぽいけど、まさかそんなそのまんまのわけないよなあ・・・・」と思っていたので、「当たりなの!?」と唖然としてしまった。そっちに行くなら、もっと全然違う物のように見せかけておくとか、おばあちゃんは善意で何かをやろうとしていたように見せるとか・・・・もっとやりようは会ったと思うのだが。
なにぶん、前半の盛り上がりがオカルトと全く関係ない形で起こるので、「現実で起こりうる厭なこと」のインパクトが「現実ではあり得ない怖いこと」を圧倒的に勝ってしまい、怖さが期待を越えてこないのだ。母親がぶら下がって首を自分でのこぎりで切っている、とか見せられても、「凄い頑張ってるなぁ・・・・」としか思えない。リアルな不幸、自分の身にも起こるかも知れない絶望のほうがよっぽど怖かった。
構成で言うと、途中で視点が母親から息子に切り替わるのもいただけない。感情移入していた哀れな母親がどんどん人間からかけ離れていく上、息子に慌ただしく気持ちを移さないといけないのでそこでも置いてけぼりになってしまう。これは明らかな失策だろう。初めから息子を軸にして、「何かが自分を手に入れようとしている」というホラーとして見せたほうが、上手く描けたのではないだろうか。
ただ、筆者が日本生まれの日本人であるから、悪魔崇拝の恐ろしさが今ひとつ伝わってこないのはどうしようもないことなのかもしれない。もしもこれが日本の片田舎を舞台にして、得体の知れない土着の宗教を題材にしていたらもっとじっとりと怖く感じられたかも知れない。こればかりは、文化に寄りかかった恐怖を題材にしている以上、致し方ないことだろう。自分の手でどうすることも出来ない物事に引き込まれていく恐怖と言えば、筒井康隆の『鍵』という短編が絶品だが、これなどは文化の壁に遮られず、誰でも恐がれるホラーだろう。
終始緊張しながら観ていたので疲れはしたのだが、「頼む、このまま終わらんでくれ・・・・」と思っていたら終わってしまったので、逆に残念だった。もっと怖がらせてくれると思っていたのに・・・・。
『ROMA/ローマ』★★★★☆
ROMA | Official Trailer [HD] | Netflix
『ゼロ・グラビティ』(★5つ)のアルフォンソ・キュアロン監督の最新作にして、配信限定の映画として初めて金獅子賞を受賞した作品。待望の作品を早速鑑賞。
前評判通り、恐ろしいほどに私的な物語が、今まで観たことがないほど美しい映像で描かれる芸術的な作品。細部に至るまで作り込まれた1970年代のメキシコの町並みと人々が映り続けるが、どれだけリアリティを持たせても、この圧倒的な美意識の発露によって、ドキュメンタリー調には見えない。
北野武が理想の映画について、「ある一瞬を切り抜いても全てが写真として成り立つような」と表現していたと思うが、この作品はまさにそのような作品。機能を優先して顔をアップにしたり、カットを切り替えたりすることはない。1カットごとが長く、ほとんどが定点カメラのように定位置から動かない画で構成されている。
美しくない瞬間が存在しない、と言ってもよいほど、映像は完璧かつ自然に仕上げられている。場面によってはおそらく、背景の大半がCGで描かれている部分もあるはずなのだが、一切それを感じさせない。モノクロの画面で明暗を強調して描かれる主人公たちの家、メキシコの街、村の光景を執拗に引きで写すその手法は、ヴィスコンティやフェリーニ、市川崑の作品を思い出させる。前作と完全に対極にある作品を仕上げてみせる監督の振れ幅には脱帽。
繰り返される水・波・車(そして飛行機)のイメージは次第に大きくなり、終盤へとなだれ込む。正直に言えば、中盤当たりまでの前振りにあたる場面は非常にゆったりと進むため眠気を誘う部分もあったが、娯楽性を振り捨ててでもこの作品を丁寧に描かなければならない、という強い思いが監督にはあったのだろう。全てのシーンが、脳に刻み込まれたかのように感じられる。
一貫して描出されるのは、男の愚かしさ、そしてそれでも生きねばならない女性に突きつけられる苦しみだと感じた。美しい思い出の映画、のような言葉も評の中で見かけたが、筆者はむしろ、傷を負っても生きるしかなかった人たちの物語と捉える。病院のシーンの冷徹なまでのリアリズムは、思い出と呼ぶにはあまりに容赦が無かった。
再度断言するが、エンタテインメント性は皆無に等しい。有名なスター俳優も、使おうと思えばいくらでも使える監督だが、ひとりとして出てこない。メジャースタジオではとても制作出来ない作品だろう(奇妙なそして残念なことに)。けれど、この物語は語られる価値がある。
映画は劇場で大画面で観るものであって、配信限定の映画は賞の対象にするべきではない、という議論が存在するらしいが、それは間違っているだろう。こうした映画を作るリスクをメジャースタジオが負えない以上、配信メディアの作品制作には代えがたい価値があり、劇場で公開するに耐えるだけの緻密な絵作りを行っているからには、この作品も間違いなく映画なのだ。
またいつか見返せば、評価も変わるかも知れない。自分が年を取ったときまた観てみたいと思う、良作。