週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『ニューヨーク1997』★★★★☆

 

ニューヨーク1997 [Blu-ray]

ニューヨーク1997 [Blu-ray]

 

チープだけど目をそらせない、社会への憎悪が籠もったSF

【あらすじ】

 1997年、ニューヨークのマンハッタン島は巨大な監獄に改造され、300万人の囚人が放たれていた。テロリストにハイジャックされた大統領専用機がそこに墜落。大統領は脱出用ポッドで脱出するが、デュークを首領とするストリートギャングに捕らえられる。
 大統領を人質にしたギャングたちは、囚人全員の釈放を要求。政府は、武装強盗の罪でニューヨークに収監予定だった特殊部隊出身のスネークに大統領救出を命令する。
 24時間後に爆発する爆弾を頸動脈に注入されたスネークは、嫌々ながらグライダーで世界貿易センタービルに降り立った…。(amazonより)

 

 『遊星からの物体X』(★5つ)の監督、ジョー・カーペンターの作品。『メタルギア・ソリッド』のスネークの元ネタになったということは以前聞いていた。

 あらすじで面白そうだと思ってTSUTAYAで衝動的にレンタルしてきたが、時代的な限界もあって出来ないことも多数ある中で、アイディアを駆使して殺伐とした世界観に客を引き込み、そして社会への怒りを感じさせてくれるB級ながらも魅力的なSFアクション作品。ちなみに、パッケージのように自由の女神が転がっているシーンは無い(このイラストはたぶん、『クローバーフィールド』に影響を与えているだろう)。

 

 主人公・スネークはほぼゲームのあのスネークとイメージそのまま。カート・ラッセルの若い頃の姿がモデルだったのか、とニヤニヤしてしまう。その他、おそらく『ダークナイトライジング』の元ネタでもあるだろう。

 あらすじを読むとなかなか壮大な設定なのだが、予算と技術の関係でそこまでの絶望的な世界観は観ているだけではなかなか伝わってこない。だが、だからといって退屈でもなく、1作目の『マッド・マックス』のようにかさついたひりついた雰囲気だけを、素っ気ない人物描写とセリフの端々だけで想像させてくれるので、「きっとこの他の場所はこうなっているのだろうなあ」「この脇役はこういう裏を持っているのだろうなあ」と妄想するのも楽しい。

 

 レンタルDVDの翻訳はなかなか怪しく、筆者の英語力でも「これは誤訳では?」と思う部分が多数(大して難しい英語も喋っていないと思うのだが・・・)。しかし、セリフが多少わからなくても問題ないくらい、ダイナミックで強固な、骨太な構造を持っているのでさほどの難は感じない。

 そう、引っかかるところなんて言い出したら切りが無いほど存在する作品である(笑)。主人公の銃の構え方や戦場での立ち居振る舞いなどは、これといって監修も受けていないのだろう、腰が引けていて到底歴戦の勇者、潜入の達人とは思えない(いちいち着地したり歩くだけでガチャガチャ音を立てるところは少し笑ってしまった)。

 

 だが、別にそれでもいいのだ。「囚人の跋扈する監獄島と化したニューヨークから大統領を奪還する、命を握られた孤独な元兵士」というロマンの塊のような設定、ささくれだった主人公の人物造形、どうしようもなくひとりも味方が現れない希望無き人生観。くわえて、あのエンディング。「これを描きたい」という作り手の思いが一本筋が通っていれば、些細な瑕疵など気にもならない。

 なまじ予算を付けてリメイクをしたところで、中途半端な付けたりが余分な脂肪のようにつくだけで面白くはならないだろう。心根がハードボイルドな良作。

『エイリアン2【完全版】』★★★★☆

 

理想的な続編、神話性は薄れ、「よく出来た80年代SFアクション」に

【あらすじ】

2144年。57年間の冷凍催眠状態から救出されたリプリーは、音信不通となった殖民惑星・LV-426の調査の為、海兵隊員と共に旅立つ。そこでリプリーたちが遭遇したのは、卵を生んで繁殖し続けるエイリアン・クイーンの姿だった……!(amazonより)

 

 第1作『エイリアン』(★5つ)は歴史的大傑作にして画期的SFホラー、いつ観ても古びない斬新さと抽象性を兼ね備えた作品。それと比べると、完璧さやクリエイティビティにおいて劣る部分は少なくないものの、「80年代に創られたSFアクション映画」としては見事なできばえ。

 

 どうしたって前作と比べざるを得ず、また、当時も前作でやりきったあとで一体何をやるのか、と頭を悩ませたに違いない。大ヒットした1作目を受けての発注ならば、「このクリーチャーが出てきて面白いヤツを期限までに1本」といった感じだろう。

 その鬼発注の範囲内で、ジェームズ・キャメロン監督はベストを撮ったと感じる。前作が内包していたテーマを広げつつ、今回は戦争要素をプラス。更に主人公の母性という主題を、SFならではの方法で拡大し、主人公のキャラクター性を押し広げ、あれほどの絶望を味わったあとの生還者に再び闘わなければならない必然性を加味している。

 

 ただ、前作の圧倒的なオリジナリティ、制限された環境下で描かれた一種の美意識、無駄のなさ、神話的な物語としての厚み(抽象的であることで、様々な暗喩を感じさせる)と比較すると、どうしても見劣りしてしまう。本作がダメなのではなく、前作が圧倒的すぎるのだ。

 登場する軍人たちのキャラクター、リプリーが救おうとする子ども、前作同様登場する人造人間(『ターミネーター2』と同じパターン)、どれもキャメロン流になっており、見やすいしわかりやすいがどこも既知のもので構成されている。優等生的続編なのは間違いない。

 また、技術的に困難な、派手なSF要素をたくさん盛り込んでいるが、合成技術やミニチュアがそこまでパーフェクトな仕上がりではないので、今の目で見るとどうしても粗が目立つ。本作以前の『スター・ウォーズ』などではここまで気にならないので、そのあたりもやはり制作時の制約やこだわりの強さによってきているのだろう。

 

 神経質なまでにパーフェクト、ではない。でも充分面白い。

『ファースト・マン』★★★★☆


映画『ファースト・マン』特報

1人の人間の精神的死と蘇生を描いた、孤独な月旅行

【あらすじ】

「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」
 前人未到の未知なるミッション…人類初の"月面着陸"。アポロ11号船長 ・ニール・アームストロング の視点で描く!(公式twitterより)

 

 デイミアン・チャゼル監督作品は過去にも『セッション』『ラ・ラ・ランド』どちらも感想を書いてきたが、どうしても★3つから動かなかった。極めて高度な技術で巧みな内容を描き出していることはわかるのだが、どうしても、個人的に共感出来ない作品だったのだ。

 人生観そのものが監督とマッチしないのかも知れない。あるいは彼の描く怒りや悲しみがテクニカルに見えて、表層的に感じられてしまうからかも知れない。上手すぎることによる作り物感、感情移入のしづらさは確かにあった。

 今回もそんな不安や疑念と共に観賞し、それを感じないとまではいわないが、今回やろうとしたことは宇宙開発競争を描いた作品としては極めて異例な内容で、過去作品にはない厚みがあった。過去作に筆者はどうしても、表層的な人生の肯定を感じてしまったのだが、今回の作品にはそんな上滑りしたものはない。

 

 確かアメリカではあまり評判がよくなかった、と耳にしたが、それも納得の内容だった。なにしろ、愛国的な要素など欠片もない。この作品は、月に人類初めて降り立った偉大なアメリカ人の物語などではまったくない。それとは対極にある、極めて個人的な孤独と絶望から回復する人間の話なのだ。

 観賞するほどに、ライアン・ゴズリングの芝居が異様に思えてくる。何の感情も伝わってこないのだ。これから月に行く、おそるべきミッションに挑むという緊張感すら、今ひとつ伝わらない。虚無感ばかりが漂っている。

 そして、劇中で繰り返されるのは、死、葬儀、棺桶のイメージ。冒頭で死亡した人物の棺桶が強烈な印象を残したあとも、幾度となく閉ざされた扉、掛けられる重い錠。その扉は開けられることなく、またしても人は死ぬ。「コクピット」とは棺桶を意味する、と森博嗣が書いていた(ざっと調べたところ事実ではないようだが)が、近いイメージを喚起するのは間違いない。

 扉が印象深く開くのは終盤のとあるシーンぐらいであり、つまり映画全体がこのとあるシーンにおける「解放」に向けて作り上げられている。

 

 『ライトスタッフ』も『アポロ13』もそうだが、偉大な冒険を乗り越えた英雄たちの物語として、この手の伝記映画は制作されるのが普通である。アメリカの宇宙開発はソ連との対決であったし、まして月に先行して立てたことは大きな勝利だった。だから、そんな物語を期待して劇場に行った人も多かっただろう。

 そこにぶつけられるのがこの、ひたすらに個人的な物語なのだからたまったものではなかったと思う(笑)。映画としては、「アポロ11号」の話ではなく、「ニール・アームストロング」個人の話であって(だからこのタイトルなのだ)、彼の人生を描く中にアポロ11号の件が出てくる、と捉えたほうがいい。なので、月面着陸は驚くほどあっさりした描写で終わる。けれど、全体のバランスとしてはこれでよい。

 まっとうな人生や家族関係、希望や感動とは無縁な主人公が、ひたすらに月へ行こうと努力する。それがなぜなのかは観ていてもなかなかわからない。はっきりするのは先に書いた「扉が開くシーン」以降だ。明言は避けるけれど、この作品は「ひとつの長きにわたる葬儀の物語」だったのだ。

 

 もちろん、過去作のように妙に手練れを感じさせるところもあった。ドキュメンタリー、あるいは記録映画風に見せるために手持ちカメラによる手ぶれと人物の顔アップが繰り返されるが、さすがにやりすぎ。とはいえ、宇宙空間の映像は全て「カメラを設置している前提の画角」でしか描かれないので、この部分のリアリティはたまらないものがある。

 単なるアポロ計画だけではない、「孤独とそこからの解放」を描ききった本作は観る価値がある。過去作のような表層的な人生賛歌はここにはない。寂しい人が救われる、ある意味、それだけのお話なのだ。

『PARKER/パーカー』★☆☆☆☆

 

PARKER/パーカー (字幕版)

PARKER/パーカー (字幕版)

 

役に立たないおバカな素人はキャラに入れるなとあれほど言ったのに

 いわゆるポップコーンムービーは好きだし、アクション映画も好きだし、頭使わず観られる映画も好き。なので、今日もこいつを一つ観てやるか、ステイサムだし、とまあまあ期待しながら見始めたのだが・・・・いやあ、これはない。

 

 ステイサムはいつも通りなので別に構わない。圧倒的強さを誇る謎のプロ強盗で、哲学を持っていて、それに反する暴力は振るわない。犯罪を犯しながらも紳士的。なんなら人質を安心させるほどの優しさすら併せ持つ。彼が裏切られ、復讐のために走り出す。OK。期待通りの内容。

 そこまではいい。そして彼が真の悪役を倒すために命がけで走る、これもいい。なので冒頭30分くらいはまあまあ楽しいな、後半のアクションが面白かったら★4つかな、ぐらいに思っていた。

 

 ところが、途中から突如登場するジェニファー・ロペス演じる不動産屋が登場したところから事態は一変する。ステイサムがやってきた敵の潜伏地域を仕事場にしている彼女なのだが、別にストーリー上重要なキャラではない。ステイサムのキャラ・パーカーには大切な恋人もいるので、ヒロインですらない。

 セクシーな女性だが、人生上手くいかず、悩みが多いことを示唆しているが、ステイサムのほうがヤバイ問題を大量に抱えているので、彼女の悩みなど正直どうでもいいとしか思えない。そんな彼女はステイサムに物件を紹介するところから物語に加入してくるが、これが、筆者が最も嫌いなキャラ類型、「プロの言うことを聞かずに勝手に騒いで事態を悪化させて助けられるだけの素人」であった。

 

 しばしば映画やドラマやアニメに登場するこの手のキャラ、いったい誰が喜ぶのだろうか? 悪役とかモブキャラがこの役割を担うならまだわかるが、メインキャラ(特にヒロイン)がこれをやると苛立ちしか覚えない。物語が進行するきっかけが「バカがしくじったから」にしかならないのだ。

 登場人物が失敗を犯すには、なんらかの必然性なり理由(同情せざるを得ない悩み、貧困、病気、恐怖)が不可欠だろう。本作におけるロペスのキャラがしくじる理由は「お節介で人の言うことを聞かない身勝手な人だから」である。最悪としか言いようがない。

 まだ、医者とか、警察官とか、何らかのスペシャリストとして主人公にアドバイスをして、しかし闇社会の人間からするとそんなアドバイスは不要、となるならわかるが、彼女の場合は特にそんなこともない。もっというと、主人公に恋してるから、ならまだしも許せるのだが、先述の通り、ヒロインは別にいるし、主人公はあからさまにロペスのキャラに興味は無く、彼女がアプローチしているのも愛情というより打算(職業的・金銭的)が先に立っているようにしか見えない。なので彼女のお節介は邪魔としか思えない。

 

 はっきり言えば彼女のキャラが存在する意味がほぼないのだ。主人公をピンチに陥れる以外。こういうキャラを出してはいけない。金の力でジェニファー・ロペスをねじ込まれたとしか思えない不可解な脚本である。終盤、犯罪者に銃を突きつけられて怯える彼女を観ても1ミリも心配に思えないというか、別に死んじゃってもいいかな、としか思えないレベル。

 何度でも言うが、シナリオを楽に進行させるためにこういうキャラを出してはいけない。絶対に。

『ゴジラvsビオランテ』★★☆☆☆

 

感情移入出来るキャラを設定し忘れた、SF考証先走り作

 子どもの頃からゴジラが好きで、平成ゴジラシリーズを観て育った。しかし最初に観たのは『vsキングギドラ』で、その後は映画館でリアルタイムで観ていたものの、『ビオランテ』だけはずっと未見だった。知人と怪獣談義が盛り上がったことをきっかけに、レンタルしてきた。

 長らく観るのを楽しみにしていただけに、期待値は多少上がっていたかも知れないが、それにしても単純に完成度の低い脚本にガッカリする内容だった。終盤に至っては寝落ちしかける始末。

 

 始まってからこっち、とにかく緊張感がない。始終何かが起き、ハリウッド映画的なアクションも行われるし、ゴジラは現れビオランテも現れる、と人類存亡の危機が訪れているはずなのだが、観ていても一向に気持ちが盛り上がらず、どきどきもしない。なぜなのだろうと考えた結論が、見出し文である。

 とにかく一貫した感情移入出来るキャラクターがいないのだ。主人公格でもそうでなくてもいい。ゴジラそのものに感情移入するのでもいい。このプロットなら、ビオランテに同情させることも出来ただろう。一番容易なのはビオランテを開発した科学者である。しかしながら、どの登場人物に対しても描写が中途半端で、共感出来ない。

 

 すると一本筋を立ててストーリーを追うことが出来ないので、ただ漫然と起きたことを眺めているだけになってしまう。気に入った登場人物もいないので、死にかけたところで何のどきどきもない。救われて欲しい人物も、死んで欲しい人物もいない。感情が希薄である。

 敷き詰められているのは、この時代の映画としてはきっとかなり攻めていたであろう、バイオテクノロジーを題材にしたSF関係の設定である。しかしながら、なにぶん題材が地味なのもあって会話劇が続いてしまい、画で面白さを伝えることがなかなかできない。

 

 実際に劇中で行われているのは、バイオテクをきっかけとしたパトレイバーばりの政治・権力闘争なのだが、技術を奪われると何が起きるのか、どう凄い技術なのかが今ひとつはっきりとしない上に、やたらと登場人物がごたついているせいで、ただアタッシェケースを取り合っているだけにしか思えない。『ミッション・インポッシブル3』もそうだが、あちらと違って興奮するようなアクションもない。

 人物の心理でも事件の進展でも盛り上がりがなく、せっかくいろんなテーマを盛り込めそうな「絶望した天才博士と娘の遺伝子」というネタも、出すだけ出して一切広げずに終わる。そもそも博士のキャラ付けもマッドサイエンティスト的なことを喋りまくっているにもかかわらず、周囲は一切リアクションせず驚きすらしないので、もうひとつ立たない。なのでビオランテがどうなっても特に感銘も受けない。

 

 SFのアイディアとしては秀逸な部分も多いので、改めてトライしてみて欲しい内容ではあるのだが・・・・でもそもそも、ろくに動けない植物はゴジラの敵として適当だったのだろうか? 根本的な疑問を覚える内容だった。

『トイ・ストーリー』★★★★★

 

自分は誰のための「ホンモノ」なのか。実写では出来ない問いかけ。

 最新第4作に備えて、そろそろ見始めてみた。本当に子どもの頃に観ていた気もするのだが、細かい部分の記憶はなかった。

 改めて観賞してみると、キャラクターの造形に大成功したことによって、この世界でしか描けない、アニメである必然性のある物語が生まれていた。

 

 子ども向けのアニメ作品は尺がせいぜい90分程度に縛られることが多い(実際は子どもは面白ければ長くても観ると思うのだが)。なのでドラマを展開するのに限界があるように感じられがちだが、実際はキャラクターの説明にかかる尺が実写よりも短縮出来るので、メインの話はかなり早い段階からスタート出来たりする。

 本作も、出て5秒ぐらいでどういうキャラなのか説明出来る登場人物ばかりなので、ストーリーの薄さなどは感じられない。CGアニメとして最初期の作品で、舞台もほぼ人工物のみの屋内に限られているが、アイディアがきっちり仕込まれているので飽きは来ない。

 

 ウッディとバズの人物設定が、この作品に画期的で深みのある内容をもたらしている。本作全体のメインはバズの「自分をホンモノの宇宙ヒーローだと思っているおもちゃ」という大きな問題をどう解決するか、にあるが、この問題そのものは、現実の人間では起こりえないものに見える・・・・いや、正確に言うと起こりうるのだが、映像作品、特に子ども向けの作品で描写するのはほぼ不可能だろう。

 それを設定の妙で成り立たせ、さらにコミカルに見せ、同時に誰にとっても起こりうる深刻かつ重大な問題と繋げてみせている。つまり、人生のある時期に「自分は『ホンモノ』ではないのだ」、大人物でもなければ立派になれるわけでもない、才能があるわけでもない、「何者でも無い」と気づく瞬間は誰にでもあるわけで、それでも生き続けなければならない。

 そんなときにどうやったら乗り越えられるか、普通に描くと重たい青春物語になるか、ハードなヤマイダレものになるか、といったところだが、軽快かつ、誰でも感情移入出来る形で描いているのが見事だった。

 

 そしてそれと平行して、ウッディの悩みと解決も示されるが、こちらはシンプルでおそらく子どもも経験したことのある種類の悩み、「自分1人を愛してくれていた人が、他の人に奪われてしまう」なのはバランスの取り方として上手い。弟や妹が出来るとほとんどの人が経験する感情をこちらでは描いているおかげで、取りこぼしなくおそらく全ての人が、観ていて共感出来るさくひんになっているのだ。幼い子はウッディに、オトナはバズの気持ちが理解出来、応援出来る。

 続編はあと2本。楽しみです。

『T2 トレインスポッティング』★★★★☆

 

 人生を選び損ねた男たちの、20年ぶりの終点

 『ロッキー』シリーズのように、作中人物の経た時間と役者たちが経た時間が合致する作品はどうしたって深みが出る。多くの場合、俳優たちにとっても思い入れの強い作品である以上、普通では観られない熱演、そして人生そのものが刻み込まれたような濃密な内容を味わわせてくれる。

 『トレインスポッティング』の20年ぶりの続編、キャストも前作出演者は全員同じ人物が演じている。前作の時点で「どうしようもなかった」登場人物たちは、時を経てもう本当に、救いようもどうしようもなくなっていた。

 

 まず感じたのは監督、ダニー・ボイルの熟練ぶりだった。さすがハリウッドで二十年間傑作をとり続けていただけあって、前作とは比較にならない見事な作り。演出、映像美、テンポ、同時に明快さも加わり、よりいっそうエンタテインメントとして昇華されていた。前作では省かれていたタイトルの意味、さらに、物語そのものの意味。「人生を選べ」という言葉で象徴される、前作から一貫している作品の狙いは、より切実に胸に迫る。

 メインキャラクター4人は全員、スコットランドの街で何も出来ず未来も見えず、ただドラッグに溺れるだけのどうしようもない若者だった。けれど彼らにはまだ若さがあった。それが前作ラストシーンの、主人公の笑顔でもあっただろう。そこから20年。若さすら失った彼らは本当の意味で、取り返しのつかない状況に陥っている。

 

 そこにやってくるのは、20年間収監されていた最悪の友人。まるで過去そのものが襲いかかってくるかのようだった。主人公の逃亡から長い時間が経ったが、その間、彼らの関係性は凍り付いていたも同然だったのだろう。それが、ある種滑稽なきっかけとともに解凍され、動き出す。示されるのは、「20年間なんにも変わってない」という何一つ救いのない現実。

 しかし、合間合間に示される彼らの年齢、若者からの失笑、妻や子ども、親との関係から「それでも時間は経ち続けていた」という残酷な事実も突きつけられる。今回は中年太りの腹も突き出たオッサンたちがやっていることもあって、余計にコミカルに見えるところもあるが、物理的にも未来がない彼らには希望も何もない。

 

 そして実のところ、やっていることも起きることも劇中でも明示されているとおり、前作と大差ない。アラフィフのおっさんたちがナイフ振り回して追いかけっこしているのだ。何も変わらない、という愚かしさを突きつけるために20年という時間をクールに使い切った監督の感性はさすが。

 けれど、同時にはっきりと、そして何度も示されるのは、「こんなことはもう、終わりにしよう」というある種、穏やかな眼差し。それはもはや子どもではなくなった彼らだからこそ放てる、諦めと同時にある種の希望に感じられた。辿り着いたのは終点かも知れないが、またここから発車するかも知れない、とも思わせてくれる。

 前作を補足し、巧みに完結させてみせた、間違いなく、2作品セットで観て初めて完結する良作。