週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『マイマイ新子と千年の魔法』★★★★★

マイマイ新子と千年の魔法

マイマイ新子と千年の魔法

 

遊びに満ちた無邪気な子ども時代が揺れる、きっと身に覚えある日々の物語

あらすじ

青い麦畑が一面に広がる山口県防府市。快活な少女・新子は、麦畑に飛び込んで、その昔あったという千年前の都や、そこに住む少女など様々な空想をすることが大好きです。クラスになじめずにいる転校生・貴伊子を麦畑に連れ出す新子。しだいにうちとけてきたふたりですが──。(amazonより、一部編集)

 

この世界の片隅に』の片渕監督の2009年作品。パッと見た感じどんな物語なのか全くわからず、かといって観賞後に「どんな話なのか」と聞かれても簡単には説明出来ないので、なかなかこれをヒットに持ち込むのは難しいだろう、と感じるのだが・・・・。

 実のところ、非常に素晴らしい作品だった。『この世界』同様、非常に丁寧に描かれているのは、戦後十年の中国地方。雰囲気は『となりのトトロ』に近いかも知れないが、あの作品よりもずっと現実的で、揺れ動かないしっかりとした視点を保った良作。

 

 あらすじでは「快活な少女」とまとめられているが、主人公・新子はむしろ、空想好きな赤毛のアン的な少女で、どれだけ他人と接してもどこか地に足ついていないところがある。いっぽう「クラスに馴染めない転校生」と書かれている貴伊子は、無邪気に遊ぶことが出来ない・・・・というか、遊び方がわからない少女。

 物語は「遊ぶ」ということを軸にして描かれる。空想を遊ばせ、他人と遊び、自然と遊ぶ。劇中でとある人物に起きた出来事は、「上手く遊ぶ」ことができない人間だからこその事件だった。自由に、自在に遊ぶことの大切さ、必要性を非常に自然に描いている。空想に日々浸っていた頃の子ども時代の感覚を喚起してくれる。

 

 しかしそれだけでなく、現実に向き合わなければならない、現実に向き合いながらも遊べるようにならねばならない、ということも物語全体を通して描き出していく。遊びはあくまで、現実で暮らし、現実を癒すために行われることだからだろう。

 そんな双方向から二重のメッセージを、同時進行で複数の人物の視点を渡り歩きながら(さらには時代すら縦横に駆けながら)描いているので、なかなか全てを読み取るのは難しい・・・・のだが、そんな細々したことを考える必要もないだろう。日本版『赤毛のアン』として、隅々まで行き届いた情景と心理描写を味わい尽くすだけで充分価値のある傑作。おすすめです。

『天気の子』★★★★★


映画『天気の子』スペシャル予報

過去の作品たちを踏まえた、新海版○○○としての快作。

あらすじ

離島から家出し、東京にやって来た高校生の帆高。生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく手に入れたのは、怪しげなオカルト雑誌のライターの仕事だった。そんな彼の今後を示唆するかのように、連日雨が振り続ける。ある日、帆高は都会の片隅で陽菜という少女に出会う。ある事情から小学生の弟と2人きりで暮らす彼女には、「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力があり……。(映画.comより)

 

 前作『君の名は。』については、個人的には引っかかることがいくつかあり、一番好きな(というか記憶に残っている)のは『秒速五センチメートル』だった。新海作品は全て観ているが、どちらかといえばビターな印象の作品のほうが好み。

 さて、今回はネタバレありで分けて書く必要がありそう。ネタバレナシでの感想としては、かなり好きな内容だった。まずキャラクターは前作同様非常にキャッチー。デザインもかわいく、声はどれもよくハマっている。小栗旬平泉成がよかったし、前評判でああだこうだ言われていた本田翼もいい芝居だった。かといってリアルに偏らず、アニメや漫画らしい茶目っ気もきちんと込められている。コミカルでかわいい、前作以上にメジャーな作品だと感じた。

 

 映像美は前作よりも更に増えたであろう予算をふんだんに突っ込み、東京の街をCGで徹底再現してぐりぐり動かす凝りよう。もちろん本作の重要要素である天気の表現はカラフルでよく動き、美しい。特によいのは、「凄いことをやっている」という感じが過剰に伝わらない、つまり、きちんと抑制しコントロールしながら、美術周りが作り上げられているということだと思う。

 と、見事な作品・・・・なのだが、「とある点」が気になっていた。ここが人によって気になるかどうか別れてくるポイントだと思うのだが、これによって感想も大幅に変わってくるだろう。他の人の感想を観てみたい・・・・と感じる作品に仕上がっている。

 

 この先、ストーリーに関してはネタバレなしには、というか観賞後でなければ語れない要素があまりに多い。ライト層だけでなく、読み深め好きなアニメオタクや映画ファンにもオススメの作品なのは間違いなし。また、「もう一度観てみたい」という気持ちにもなる。前作からしっかり一歩踏み出した作品だった。 

 

 

 

 

*************以降、ネタバレあり*************

 

 

 

 

 さて、正直に言えば自分は、かなり終盤までこの作品に感情移入出来なかった。理由はシンプルで、「主人公に共感出来なかったから」。

 まず主人公の悩みや行動に共感させるのは物語の重要な要素で、これを怠るとストーリー全体が他人事にしか感じられなくなってしまう。お客にあたかも自分の問題であるかのように感じさせるのが大切なのだが、本作は観ていても主人公の行動の感情的な無計画さがどこまでも続く。まあそれは、子供だから、で説明つくとはいえ、根底にあるはずの「島を出てきた理由」の欠如が終始引っかかり続けていた。

 

 普通、どんな物語でもどこかのタイミングで主人公の抱えている悩みは提示されるし、物語を通してそれは解消される。「信頼出来ない語り手」の手法で意図的にそれを伏せる描き方もあるが、それだときちんとその不信感を描く必要がある。「こいつは信じてはいけない」とどこかでみせなければならない。

 しかし本作の主人公は、肝心の家出の理由を最後まで出さない。しかもラストシーンでは「別に戻ってみればどうということもない日常だった」で済ませている。これは異常なことで、明らかに意識的に行っていることである。ここから伝わるのは、「一般的な高校生の家出程度の他愛もない理由だった」ということ。

 

 フェリーに乗っている主人公が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいるのも、「この人物は家出にあこがれを持っている少年である」ということを示している。しかも野崎訳でなく村上春樹訳ということは、同じ少年の家出物語である『海辺のカフカ』への目配せでもあるだろう。

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

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ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

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海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

 

  どちらも精神が不安定な少年による家出物語であり、『カフカ』は現実か虚構か判断のしようのない事件が巻き起こる、というのも意味深である(ちなみにこれらの物語でも、主人公の家出のきっかけは描かれている)。

 

 大したことない漠然とした不安に近い理由、「光を追いかけていった」という説明がある程度で、どうもしっくりこないままラストまで向かうので、彼がどんな事件に巻き込まれても、ふぅん、としか観ていられず、いったいどういう狙いなのか、まさか単に思春期特有の悩みから家出するだけの少年なら感情移入出来る、というつもりなのかと疑問を感じ、これは前作のほうがよかった、と途中まで思っていた。

 のだが、あの終盤を迎えて、この全てが自分の中ではひっくり返った。

 

 空に主人公とヒロインが昇ったとき、「これは連れ帰ったら雨が続いて東京は水没するのでは?」と思った。そして、まさかそんなことはしないだろう、したら素晴らしい、なんて高をくくっていたのだが、一切逃げずにまさにその通りになったので驚いた。本作は彼らの罪を描くために構成されていたのだ。

 意地悪な言い方をすると(本作はとても意地悪な作品だと思うのだが)、主人公たちがやったことは、自分たちの愛のために世界を滅ぼした、ということになる。非常に身勝手で、おそらく不愉快に感じる人も少なからず居るはずだ。16歳と15歳の子供の、とても幼い愛情が東京を水没させたのだ。彼らはその責任は負わざるを得ない。

 

 この水没した東京の光景が思い出させたのは、『エヴァンゲリオン』の画である。たった二人の若い男女の気持ちの問題で世界が呆気なく滅びへ向かう、非常に似通っていると思うが、主人公の性格が全く逆になっている。シンジは徹底して悩み抜き絶望するが、本作のヒロインはラストシーン、3年後の光景でも描かれているように、苦悩の陰は少なくとも表面上は薄い。

 これを性格の差と捉えるか、それとも本作の主人公だって3年間にシンジなみにいろいろ苦しんだけれど今は落ち着いていると考えるかは悩ましいが、普通後者なら、そのことが伝わるように演出するものだろう。少なくとも筆者は、主人公は感情的に行動しがち、かつ、自分を悲劇の物語の主人公だと思いがちな人物であるように感じてしまった。理由は家出のきっかけの薄さ、劇中での須賀や刑事など、大人の説得に対する反射的なリアクションである。

 ただ、もちろんこれらの行動上の特徴は、ごく普通の高校生なら備えているもので、そこまで主人公を非難する気にはなれない。また、少なくともヒロインは3年後も、たった1人で水没した世界にいのり続けていた。自分はもう巫女ではなく、この世界をこうしたのは自分だとわかっていながら。

 

 その上でこの物語全体を改めて捉えると、とても残酷といえる。ラスト周辺で大人たちは、世界を水没させた彼らをフォローしたり(主人公に前科持ちにされたのに)、そもそも水没した世界を肯定したりしているが、しかしあんな状態になって死者が出ていないなどと脳天気なことは言っていられない。社会もめちゃくちゃになって、取り返しのつかない状態になっているに決まっている。だが主人公たちは、自分たちの愛のために、エゴイスティックに行動したという責任は負い続けなければならない。

 ここがポイントで、おそらくは死者も出したであろう前代未聞の大災害を引き起こした(前作の主人公たちと真逆である)ふたりを、それでも肯定的に見られるか、許しがたい愚か者と感じるか、これによってこの作品の評価は正反対になるだろう。

 

 筆者は個人的に、この行動は否定的に感じられてしまう。許しがたい罪を犯していると思う。しかし、自分が同じ状況に置かれたら、迷わずヒロインを助けるほうを選ぶだろうし、だから物語が世界崩壊の方向へ誠実に進んだとき、快哉を上げたくなった。スタートからこっち、実のところずっと周囲の人も優しく、起きる出来事も主人公たちに味方し続けていた展開が、ここで最大のしっぺ返しをくらわせたのだ。

 前作で全てが夢だったのかも知れないというオチを付けたのと同様に、本作にも全ては、主人公たちのオカルト的な妄想である可能性も残されている。ムーが登場したのはその導線のためだろう。これは全て単なる未曾有の気象異常で、主人公たちが祈って晴れたのは全て偶然、空へ上ったのはただの夢、最後の大災害もただの災害で、主人公たちには何の責任も無い可能性だって、ある(須賀の発言の通り)。

 

 だとしても、主人公たちのこれからの苦しみは変わらない。自分たちが選択したことに違いはなく、自らの選択によって責任を負わなければならない(大いなる力を持ったと思った人間は、大いなる責任を負わなければならない)ことに変わりはないのだ。それをラストの10分弱で突きつけて、それでも歩んでいくしかないふたりを見せて終わったのはかなりハードで、とても痺れる。

 あの2人に怒りを覚えるか、それとも頑張って歩んで行けと応援の気持ちを覚えるかはまさに人に寄るだろう。筆者は、両方かも知れない。怒りと不快さを覚えるけれど、修羅の道を歩んでいくなら凄みがあって、面白い。前作は幸福を予感させる再会で終わったが、本作は、この先どうやって生きていくのかすらわからない世界に置いていくエンディングとも言える。それがまた、以前の作品のようにビターでよい。

 

 このあたり、『ヱヴァQ』で描かれた展開との類似と違いを考えるとこれも面白い気がするが、長くなりそうなのでやめておく。なんにせよ、この映画は新海版エヴァなのは間違いないだろうと思う。来年6月の『シン・エヴァンゲリオン』で庵野さんがどんなラストを描くのか、よりいっそう楽しみになった。

 何より、本作が「意地悪」なのは、話の流れだけ追っていると「少年少女の超泣ける純愛ストーリー」として読めるところ。エンディングにしろ、とても残酷で絶望的な状況に置き去りにしているのに、明るく美しく希望に満ちているように、見える。実際は、ラストシーンのあとからが大変なのに。

 観客に向けて「こういうのが好きなんだろ?」と監督が突きつけてくる感触は旧劇場版エヴァを思い出す、というと意地悪すぎだろうか。一見すると「力を合わせれば難題も乗り越えられる」映画に見える『シン・ゴジラ』も思い出した。この辺の意地悪さは、果たしてわざとなのだろうか?

 

 ともあれ、『君の名は。』の大ヒットも踏まえ、過去のビターな作風も忍ばせつつ、何重にも積み上げて仕掛けを仕組んだ、一筋縄ではいかないとても面白い作品。こんな意地の悪い読み取りは、筆者が酷い性格だからなのかも知れないけれど。

『ライフ』★★★★☆

ライフ (字幕版)

ライフ (字幕版)

 

豪華キャストによる驚くほど直球のSFサスペンス。気持ちよく楽しめる秀作

あらすじ

火星で未知の生命体の細胞が採取され、世界各国から集められた6人の宇宙飛行士が国際宇宙ステーションで極秘調査を開始した。しかし、生命体は次第に進化・成長して宇宙飛行士たちを襲いはじめる。高い知能を持つ生命体を前に宇宙飛行士たちの関係も狂い出し、ついには命を落とす者まで現われる…。(映画.comより)

 非常にベタと言えばベタな作品。火星から採取した宇宙生物が宇宙ステーション内で巨大化し始め・・・・という、非常に直球なネタ。CGもまあまあよく出来ているが、圧倒的に素晴らしいクリーチャーというわけでもない。前代未聞なところがどこかにあるかというと、これといってない。

 と悪口ばかり並んだが、見終えての印象はよかった。一つの理由は、俳優陣が非常に豪華であること。ライアン・レイノルズレベッカ・ファーガソンジェイク・ギレンホールと主役級がぞろぞろ並んでいる。真田広之も好演。正直言って、なんでこの面子が揃ったのか不思議なぐらい(笑)。だが、このキャストだからこそ、ベタなアイディアも説得力を持って観ることが出来る。

 

 また、この物語で起きるサスペンスが、どこかにバカが居るから起きるのではない、というのも好印象。だいたいこの手のホラーは致命的にバカな人物が居て、その人がパニックに陥ったり問題を起こしたりしたせいで事態が悪化する、というのがあるあるなのだが、本作に関しては、常に登場人物たちはベストを尽くしている。

 きちんと一つ一つの手順で、うっかりややらかしを原因にせずに事態を進展させていくのは実はけっこう面倒くさいのだが、それをちゃんとやっているおかげで興ざめせずに最後まで楽しめる。実のところ、大体の展開は途中で読めるのだが、それでも悪くなかったと思えるのはその丁寧さによる。登場人物がきちんと考えながら動いているから共感し続けることが出来る。

『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』★★★★☆

ウェルメイドな冒険譚。安心して楽しめる、美しく少しビターな小佳品

あらすじ

スター・ウォーズ屈指の人気を誇るハン・ソロは、いかにして愛すべき悪党<ハン・ソロ>となったのか?銀河一のパイロットを目指すハン・ソロと、生涯の相棒チューバッカ、そして愛機ミレニアム・ファルコン号との運命の出会いとは?幼なじみの美女キーラや悪友ランドらと共にカリスマ性を持つ謎の男ベケットのチームに加わり、自由を手に入れるため危険なミッションに挑む。果たして彼らは次々と迫る危機をどう乗り切るのか!?ルークやレイアと出会う前、若きハン・ソロの想像を超えた知られざる物語を描くアクション超大作!(アマゾンより)

 

 調べても上記のような販促文しか出てこず、あらすじがないのだがどうしたのだろうか。

 シリーズ中唯一観ていなかった作品を鑑賞。監督は好きなので観たい気持ちもあったのだが、制作過程でのごたごたばかり耳に入ってきたのと、エピソード8を観て僅か半年での公開ということもあって結局映画館では観なかった。

 感想として、さすがによく出来た冒険映画であり、登場人物も魅力的でわくわくしたが、内容的には想像以上に小さめでこざっぱりとした青年の成長譚で、これが確かにスター・ウォーズ史上トップクラスに制作費が掛かった作品とは思えない。

 

 事前にギャーギャー言われていたほど、主演がハン・ソロに見えない、ということはなかった。個人的に別にハリソン・フォードが死ぬほど好きというわけではないので気にならないだけかも知れないが。芝居もハン・ソロらしい皮肉っぽいところも随所に見えながら、人間としてこなれていない部分も上手く描かれている。

 ヒロインも美しくかつ厚みのある人物像で、『ローグ・ワン』に引き続いて魅力的で面白いドロイドも登場、起きる事件もワクワクさせ、さらにエピソード4へ繋がる要素もあり、プラス、意外な人物の再登場でにやりとさせてくれる、サービスたっぷりの一品。なのだが、どうにも乗り切れない気持ちが残ったのも事実だ。悪いところは見当たらないのだが、凄くよいところもこれといってない。

 

 特別素晴らしいと思った点として、カメラワークが挙げられるかも知れない。ついついスターウォーズのようなSF作品は、現実ではあり得ない挙動をするカメラを頻発させてしまい、CGだなぁと意識させてしまいがちなのだが、本作では徹底してカメラの設置されている位置、撮影するときにどのように動いているか(もちろん全てCGで作られて居るであろうシーンも含め)きっちり設定されているので、不思議なリアリズムを生み出している。

 だがそれ以外だと・・・・この作品は、果たして何を描きたかったのだろう、という疑問は残る。たとえば『ローグ・ワン』は、エピソード4をより魅力的な物語にするというプラスの効果を与えている。しかし本作は、謎だったハン・ソロの過去を明らかにした、以上のどんな意味があっただろうか。

 

 明かされなくても「いろいろあったんだろうな」ぐらいは誰もが思っていたことである。描くからにはそれ以上の何かが欲しい。ないのであれば謎のままにしてもらったほうが、面白い。どうしてもやらないといけない映画の企画に、ちゃんとした意味を持たせつつ過去作と矛盾しない筋書きを作るのは、かくも難しいものなのだ。

 

 SFやファンタジーの場合、元ネタになった戦争や社会問題が見え隠れすることはよくあるが、この場合、「元ネタを映画にするのと変わらん」、つまり、わざわざフィクション化する意味が薄い、ということがままある。エピソード1~3がナチスの台頭と変わらん、に近い批判で、わざわざ非現実的な世界を設定するからには、現実では描けない感情や感覚、シチュエーションを作り出すことで、現実を逆照射的に描き出す必要がある(そういう意味でもMCUはとても上手い)。

 そして、スター・ウォーズは基本的に設定を緻密に組み上げたSF冒険ものなので、そうした隠喩的なテクニック、現実以上に現実を巧みに描くことが難しい。現実でやれることをSF世界に移した、以上の意味を生み出すことが難しいのだ。

『新聞記者』★★★☆☆


松坂桃李&シム・ウンギョンW主演! 前代未聞のサスペンス・エンタテインメント/映画『新聞記者』予告編

やりたいことは山ほど在ったが最終的に描こうとしたのは何か、もう一押し整理すべき

あらすじ

東都新聞の記者・吉岡エリカのもとに、医療系大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届く。日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで育ち、強い思いを秘めて日本の新聞社で働く彼女は、真相を突き止めるべく調査に乗り出す。一方、内閣情報調査室の官僚・杉原は、現政権に不都合なニュースをコントロールする任務に葛藤していた。そんなある日、杉原は尊敬するかつての上司・神崎と久々に再会するが、神崎はその数日後に投身自殺をしてしまう。真実に迫ろうともがく吉岡と、政権の暗部に気づき選択を迫られる杉原。そんな2人の人生が交差し、ある事実が明らかになる。(映画.comより)

 日本映画では近年だとかなり珍しい、実話に基づいた政治系サスペンス映画。ハリウッドだと年に数本公開される重厚な作品があるが、まして現在進行形の政治問題について扱うことは映画としても稀少だろう。

 作品の題材上、様々な側面で毀誉褒貶を見かけ、筆者自身も一通り劇中で扱われている事件や問題については知っているものの、ネットニュースで読める以上の知識はない。なので、政治的文脈で正確に読み解くことは出来ない。あくまで映画作品としてみたときにどうか、という感想を以下に書く。

 

 まず、よかった点として日本映画特有の「やたら叫ぶ人」が出てこなかったのは評価出来る(笑)。些細なようだが、エリートが劇中に登場しているのに職場で絶叫を繰り返していてとても優秀に見えない、という幼稚な描写が邦画では頻出するので、この題材だとそうしたシーンがないだけでもかなり安心してみていられた。

 主演の新聞記者役の演技も真に迫っており好印象、その他、キャストの演技については松坂桃李の焦りの芝居(なぜあんな頻繁に息が荒くなるのか)以外はきちんと大人向けのドラマとして観ていられた。それだけでも実写邦画としては及第点と感じられる。

 

 一方、演出面、脚本面では気になるところが散見された。演出については残念ながら邦画のよくあるやつ、「パソコン使ってるヤツは暗い部屋でディスプレイに照らされてる」の法則を残念ながらなぞってしまい、内閣情報調査室はなぜか天井の照明を付けない人々になってしまっていた。幹部の部屋もやたらと自然光を取り入れていて薄暗い。何か厭なことでもあったのだろうか。

 新聞社の描写もなぜか同様で、やたら薄暗い。編集業務は目を使うので深夜でも明るく電気をつけて仕事をしているのが当たり前で、昼なんか余計にそうなので、ただ「深刻な雰囲気を出す」ためにやたら照明を落としているのには違和感しかなかった。主演二人の「焦るとはぁはぁ」もそうだが、記号化した表現を使わなくても緊張感を出す方法を考えるのが演出だと思う。

 

 一番気になったのは脚本で、果たしてこの映画は何を描こうとしている作品なのか、という点である。劇中で起こる出来事はどれも実際に発生した事件とほぼ同じか極めて似ている。しかし、本作はあくまでフィクションとして作られている。『ボヘミアン・ラプソディ』だって程度に差はあれど事実とは時系列や関係者を入れ替えているので、この距離の置き方自体は問題ない、と考える。

 ただ、こうした場合、フィクションの割合を高めるほどに「本当はこうだったらいいのに」の度合いが高まっていき、特に本作のような政治的・社会的問題を扱っていると願望を描いてしまいかねないので危険である(現実の憂さ晴らしとしてフィクションを作るのは内容が薄い)。小説でのif歴史のようになってしまう。

 

 本作中では様々な事件が起こり、衝撃的な出来事も起こるが、それらを通して一貫して「何を」描こうとしているのか。政治権力の恐ろしさなのか、内閣情報調査室についてなのか、それともタイトル通り新聞記者についてなのか、仕事に飲み込まれていく人々の姿なのか。一番やれそうなのは、明言せずとも圧力を掛けられてしまう日本特有の同調性について、あたりなのだが、どうにもその辺が、どれもこれも描こうとして絞り込めず手薄になっている。

 たとえば、『桐島、部活~』ではないが、最も大切で描こうとしていないもの自体は描写せず、その周縁を執拗に描くことで逆に浮かび上がらせる、という方法も考えられる。本作の場合はその方法が適切だっただろう。事件や問題そのものを描くのなら、ニュースという形でやるしかない。フィクションにする以上、それらを貫いて主題を提示する必要がある。本作はそこが弱い。

 

 とはいえ、邦画としては冒険した結果として、また、ほぼ大人の落ち着いた仕事姿しか出てこないにもかかわらず2時間退屈せずに見通すことが出来た。なぜか日本では、実話に果敢にトライすることが非常に少ないので、こうした作品がこれからも日本で作られ続けて欲しいと願う。

『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』★★★★★


【本編映像】<新たな脅威 エレメンタルズ>編 映画『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』6月28日(金)公開

今こそ描くべきヒーロー映画の姿を追求し続ける、さすがのマーベル映画最前線

あらすじ

夏休みに学校の研修旅行でヨーロッパへ行くことになったピーターは、旅行中に思いを寄せるMJに告白しようと計画していた。最初の目的地であるベネチアに着いたピーターたちは水の都を満喫するが、そこに水を操るモンスターが出現。街は大混乱に陥るが、突如現れた謎のヒーロー、ミステリオが人々の危機を救う。さらに、ピーターの前には元「S.H.I.E.L.D.」長官でアベンジャーズを影から支えてきたニック・フューリーが現れ、ピーターをミステリオことベックに引き合わせる。ベックは、自分の世界を滅ぼした「エレメンタルズ」と呼ばれる自然の力を操る存在が、ピーターたちの世界にも現れたことを告げる。(映画.comより)

 

 今回はネタバレなし、ありで分けて書く。

 

 まず、ネタバレナシで言うと、もうシンプルに期待を裏切らない快作。ジェイク・ギレンホールは以前から好きな俳優なので出演を訊いて楽しみにしていたし、本シリーズのMJはヒーロー映画史上一番魅力的で面白いキャラクターだと思う。もちろんスパイダーマン自身の演技も見事、さらにあの『エンドゲーム』から続くとなると、これは期待せざるを得なかった。

 その期待に見事答えてみせた。全作品観ていると、やはりシリーズ1作目がよくても2作目はテンションが下がることが多いのだが、本作は1作目で提示したテーマをきちんと転がしつつ、極めて現代的な主題を中心に据えてみせたのがすごい。キャラクターの関係性も進めつつ、MCU全体の状況も、次のフェイズ4へと押し進めてみせた。

 

 風光明媚なヨーロッパ諸国の景色も楽しむことが出来、目が飽きることはなく、アクションのアイディアも豊富。気になることは一つあるのだが、それはネタバレありのほうで書こうと思う。その点も、描くべき事があまりに「難しい問題」だからこそ、この映画の中では答えの出しようがなかったから、なのかもしれない。

 実はそれは、1作目でも同様だったのだ。あの悪役が抱えている問題の本質は、スパイダーマンは解決することが出来なかった。ある種の後味の悪さはあり、それは主人公が子供だからこそ、どうすることもできなかったポイントでもある。

 

 スパイダーマンは他のヒーローと比べても年若く、出来ることも限られている。未熟だからこそ、ただ立ち向かうしか出来ない青さを堂々と正面から描けるのも、今回のシリーズの見所なのだろう。さらに1作目と共通している点がもうひとつあった(これもネタバレのほうで書く)。

 これらの点でも、一貫した方向性、狙いを保っている希有なヒーローシリーズである。ユーモアのセンスも抜群な、青春映画の良作。

 

 以下、ネタバレありです。

 

 

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 さて、まず凄かったのは、ミステリオの正体を現代のフェイクニュース、「ポスト真実」問題に繋げてみせたところ。

 人は観たいものだけを観て、興味のないものには鼻も引っかけない。そして嘘を本当のように見せかけることで力を得ることは容易に出来る。それを原作にあるミステリオのキャラクターと結びつけつつ、MCUの世界観の中でリアルに展開してみせたのが素晴らしかった。

 ミステリオは原作でも、「映画の特殊効果を使ってスパイダーマンを騙す」というヴィランらしい(未読)。正直、実写で上手くハマるとは思えない荒唐無稽なタイプのキャラなのだが、これを過去作の要素を引用することで、この世界なら可能だと思えるホログラム技術を使ったハイスペックかつ性格の悪い悪役に仕立ててみせたのが上手い。

 

 さらに、このアイディアによって現実社会での大問題を、スパイダーマン、そしてアベンジャーズの物語の中に導入してみせたのも素晴らしかった。実際はヒーローでも何でもない人間が、マッチポンプで悪人を作り出してそれを倒したかのように見せかけ、さらに別宇宙からやってきたといういかにもな物語を作り出すことで地位と権力を手に入れる。非常に示唆に富んでいる。

 くわえて、この悪役、1作目から一貫しているポイントとして、「トニー・スターク(&アベンジャーズ)のやらかしたことがきっかけで生み出されている、ごく普通の人間」というところが共通している。何かの改造をされたり力を注がれたり、あるいはナチュラルボーン超人だったりもしない。

 

 スパイダーマンの世界観からして、異様な力を持ったミュータントのような人間よりも、人間らしい矮小な動機で動く、ある意味ちっぽけな悪役のほうが馴染むし、そのほうがより親近感を覚える。そして、あんなダイナミックな力業でヴィランを矮小化しながらも、スタークインダストリーの技術を手に入れさせることで本物の軍事力を手に入れさせて、退屈なキャラにしないという流れも非常に巧み。

 そして、こんなキャラ造形にジェイク・ギレンホールは本当にぴったり。彼の目や、非常に怪しげな雰囲気はどうにも信用しがたい雰囲気をどこかに漂わせているし、同時に相貌がどこかロバート・ダウニーjrを思わせるのも、完璧なキャスティングだった。

異世界の謎のヒーローに半笑いで化けている人」という極めて悪質で厭な人物で、ともすればヒーロー映画そのものを台無しにしかねないキャラを、圧倒的な演技力でねじ伏せてみせたのはさすがとしか言いようがない(ラストの死の演技も圧巻)。

 

 先に書いた「唯一気になったポイント」、それは、本作の中でこの、フェイクによって簡単に操られてしまう人々、そしてスパイダーマン自身、という大きな問題の具体的な解決を提示出来なかった点にある。本作は大問題を提示しながら、「その問題に対してはこうすればいい」という答えはない。さらに、ラストのシーンでもわかるように、物語そのものがきちんと終わっていないのだ。ミステリオには結局、してやられたのである。

 人を疑うことは出来るようになった。けれど、その先でどうやって「信じる」ことができるのか。第2作で提示されたこの問題は、全世界を信じられなくなった次作で更に大きく展開されるのだろうが、この2時間強の物語の中では答えを提示出来なかった。『BTTF』のような「次回に続く!」系のラストなのだ。

 

 ひとつには、答えを出すのがあまりに難しい問題だから、ということでもある。そもそも現実でも、フェイクニュースが製造され続ける世界に対してどう立ち向かうべきなのか、明確な答えは出せていないと思う。今回の物語でピーターは、痛みと苦悩を追いながら、人を信じることの難しさを学んだ。学べはしたけれど、「どうすればいいのか」という答えは結局、出なかったのだ。

 一律に答えが出せるほど簡単ではなく、極論をすべきでもないだろう。たとえば『シビルウォー』でも問題への答えは出なかった。『キングスマン』の悪役も、「正義は必ず勝つ」で締められるような簡単な悪役ではなく、最後まで世界に矛盾と皮肉を提示して終わる。観客の胸にとげのように残るのだ。

 『ホーム・カミング』でも『ファー・フロム・ホーム』でも、どこか釈然としない悲しみ、痛みが残る悪役の人物造形だった。本シリーズは、少年ピーターが痛みを負いながら、少年から青年へと成長を遂げる物語なのだ。「ポスト真実」という壮大な問題を扱いつつ、「人を信じる」という一少年にとっての切実な問題をも扱ってみせる。素晴らしい脚本だった。

 

 2作連続でこう来たということは、これがこのシリーズの狙いなのだろう。果たして3作目で、ピーターの物語にどんな結末を付けるのか、そして、彼は最後に、どんなヒーローになっているのか。おそらく数年後の公開になるのだろうし、現時点では想像持つかない。きっとその作品も、誠実に社会の問題を見据えた内容になるに違いない。

『三大怪獣 地球最大の決戦』★★☆☆☆

 

 子供向けに荒っぽくなっていく昭和ゴジラ映画ターニングポイント

あらすじ

一九××年。日本は異常な温暖異変に襲われていた。××放送「20世紀の神話」取材班進藤、直子は、この異常現象をテーマにキャンペーンをしようと連日大奮闘。そんなとき、金星人を自称する女予言者、サルノ王女が現れ、地球の大変動を告げた。サルノ王女の予言は当った。阿蘇火山からラドンが復活し、北極海からはゴジラが眠りからさめ行動を開始した。そして、さらに金星を死の星とした宇宙怪獣キングギドラが現れ…。(映画.comより)

 

『キング・オブ・モンスターズ』と同じ、ゴジラモスララドンキングギドラが登場する昭和のゴジラ映画5作目。元ネタ的な内容なのかな―、と観賞。実のところ、全く関係ない。ちなみに、ツイッターなどでよく見かけた、「ラドンもそうだそうだと言っています」のシーンがあるのがこの映画。

 

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 ホントにそういうシーンなのだからしかたない。

 さて、内容についてだが、残念ながらほとんど突っ込みどころしかない。何しろ怪獣が四体も登場するので(なんでタイトルが三大怪獣なのだろう)、尺が足りないのだ。

 人間ドラマの側面はもう、皆無に等しい。政情不穏な某国の姫君が現れたかと思ったら突然、自分のことを金星人だと言い張り予言を語り出すが、それも「ここに居てはいけません」の連打。もうちょっと具体性はないのか。何もかもぶっ飛んでいる。

 

 それとともになんとなく流れで小美人も登場。モスラの幼虫は登場する。そして謎の隕石の飛来。それを調べる男たち。とにかく要素が多すぎる。さらに当時の007の真似とおぼしき、謎の男たちによる襲撃と銃撃戦。ドラマなど描いている余裕などどこにもないまま、キングギドラ登場。

 そして今回最大の特徴として、ゴジラがちゃんと悪を倒すために闘う、という流れがある。1作目では思考があるかすら怪しかった異形の生命体だったのが、いつの間にやら自分の意見を表明して戦うべき相手を狙うようになっているのだからすごい。それもたった5作の間に。

 

 そもそもゴジラは何かと闘う動機が全く無い。なので何とか上手く巡り合わせてセッティングして、強引に「闘わせましょう!」とか言う人がいないと話が進まないのだが、今回はとうとう、怪獣同士で話を付けて、地球を護るために闘うという状態に。

 長野の松本城のミニチュアワークや、初登場のキングギドラの動き(登場シーンがカッコイイ)など見所がないわけではないが、話らしい話もなくむしろとっちらかっており、それを補えるような強く推したくなるポイントもこれといってない(さして特撮に見所があるわけでもない)ので、ゴジラシリーズをコンプしたい人を除いては、観るべき理由は見当たらない。