『ダークナイト』★★★★★
もう何回観たんだ、という作品なのだが、公開当時は映画館で観れず。今回、IMAXリバイバル上映をやっていたので、無理を押して観に行ってきた。なので、大満足な仕上がりであることはよくわかった上での鑑賞。
本作の魅力の大半はヒース・レジャーの圧巻のジョーカーの演技にある・・・・と思っていたのだが、改めて大画面で見返してみると、全てのパーツの巧みさに気づかされる。無駄なシーンも無駄な演技も一切ない。画面に映っているものの全てに意味がある。冒頭とラストでバットマンが犬に襲われていることにも、何らかの意味があるのだろうか(読み取りきれなかった。何かの引用だろうか)。
もちろん、パーフェクトとまでは言わない。ノーラン監督の癖なのだが、アクションシーンが寄りの絵になりすぎていて、誰がどこでどう動いているのかがわかりにくい。ラストのビルでの戦いもそれが原因で、おまけに暗いせいで一度観ただけではほとんど何が起きているのかわからないレベルだ。そもそもわからなくてもいいと考えているのかも知れないが。
脚本も凄まじく練り込まれているが、練り込みすぎていて何が起きているのかは非常にわかりにくくなっている。ストーリーが「バットマンの活躍によって資金繰りに苦しんだマフィアがジョーカーを雇って彼を殺そうとしている話」だと一度で要約出来る人は少ないだろう。もちろん、ジョーカーがあまりに自律的過ぎていて雇われ人だと感じさせていないこともあるのだが。
ハービーとレイチェルがさらわれる下りが一切ないのも、おそらく撮影したがテンポが悪くなるので削ったのだろう。これも一瞬、混乱を呼ぶ(シーンとして面白くなりようがないのでそもそも入れていなかったのかも知れない)。
今回改めて観てみて、ジョーカーが「俺がボスになる」と言い出したポイントで、最初少し違和感を憶えた。初めから彼は、自分の行動に一貫した哲学や意味を作っていないので、他人を率いてボスになるようなタイプの人間ではない(そもそも他人を信用したりしない)。「あれ、今まで気づかなかったけど、ジョーカーも欲が出て身を滅ぼしたのかな」と感じた。
けれどその後、橋やトンネルを封鎖してゴッサムシティを閉じたところで、ああ、やっぱりキャラクターは一貫してたんだな、と思い直した。次作の『ライジング』のベインと違い、ジョーカーがゴッサムシティを手中に収めたところで意味や意図など生まれない。ジョーカー自身が破滅に向かう他ないだろう。
バットマンが捕まえなかったところで、いずれは誰かに恨まれて身を滅ぼすに違いない。「欲が出たから」身を滅ぼしたのではない。事態を大きくする方が面白いから身を滅ぼしたっていい、それでも構わないから、「実験」やバットマンとの対決を楽しんだのだろう。
この映画自体には結論はない。誰も正しくはない。バットマンも、ゴードンも、場当たり的な対処策しか提示出来ない。悪は滅ぼせず、答えは出せなかった。ノーラン監督の映画はどれもそうだ。議論は起こす。テーブルはひっくり返すが、答えはくれない。だから繰り返し観たくなるのだろう。