週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『クローバーフィールド・パラドックス』★★★☆☆


J・J製作『クローバーフィールド・パラドックス』がNetflixで本日配信開始

 一作目の『クローバーフィールド/HAKAISHA』は文句なしの★5つ。頭から終わりまで緊張感が絶えることのないPOV形式の壮絶な映画だった。二作目の『クローバーフィールド・レーン』は未見。早いところ借りてきて観ようと思う。ただ、連続性のある種類の作品ではないので、特に3作目を観たところで問題はないかと。ちなみにNETFLIX限定配信作品。

 内容的には、面白いところは多々あるが、特に収拾は付かずに終わる、という印象。1時間半楽しめたが、他人に薦める気にはならない。

 

 誰かのレビューで「面白かったけどクローバーフィールドである必要があったか」と言っているものがあったが、実際その通り。宇宙空間を舞台にしたSF映画としては、七十年代ノリもある(明らかにオマージュとして目配せしているシーンも見受けられる)そこそこの作品、といった印象で、SF映画観たい欲はちょうどよく満たしてくれたのだが、この作品固有の「意味」を提供してはくれなかった。

 宇宙ステーションにいる人々は、利害をそれぞれ持つ各国の代表的な科学者たち。主役を女性にするのも最近の流行り、チームのチーフをアフリカ系アメリカ人にするのも最近の流行り、マーケットを見据えて中国系の俳優を大きく取り上げるのも最近の流行り。それを非難するわけではなく(もちろんそれぞれのムーブメントはいいことだと思う)、なんだかそういう発想が透けて見える、言い換えると誰かのこだわりを感じられない作品だ、と感じられた。ものすごい安打を打ちにいっているかのようだった。

 

 SFの場合、「これを描きたい!」という明確な欲求がないと、「SFってこういう感じだよね」という器のようなものができあがって、それを通して何かが伝わってくるということがない。少なくとも1作目では、明らかに新しく、明らかに描きたいものを感じた。

 SFの海外ドラマに近いのかも知れない。引っ張るための驚きは仕組んであるが、先の計画はあまりない。ドラマなら致し方ないが、それを映画でやっちゃいかんだろう。

 結局のところ、クローバーフィールド・シリーズというのは何に連続性を持たせているのか。「アメリカに怪獣ものを根付かせる」というのが1作目制作の元になった欲求だったと思うのだが、3作目はそれとは全く異なるベクトルの作品だ。強いて言うなら、「全く理解出来ない不条理な事態に困惑する人々の姿」を描く作品群、といったところなのかもしれないが。

 

 そもそも、PR画像にあったキャッチコピー、「10年前に奴がやってきたきっかけ」となった出来事・・・・なのか? これは。本作では地球は現実世界とは大きく異なる深刻な状況に置かれており、1作目の世界と同一とはとても思えなかった(1作目の主人公たちは日本への異動を記念してパーティなんかやってたはずだ)。

 それとも、実はあの世界はこれぐらい深刻な状況にあったので、宇宙空間ではこんな出来事があったのだ、とでも言うのだろうか。さすがに跡づけすぎる。2作目を観ると繋がるのだろうか。科学技術も、この3作目では現実世界よりもかなり進展しているように見受けられる。

 

 宇宙ステーション自体も、何をしているのかが漠然としかわからないので、何をやったらミッションクリアになる作品なのかなかなかピンとこない。エネルギー問題解決のために宇宙空間で研究を行っている、のはいいとして、実験内容はほとんど触れられない。そのため、発生する奇怪な現象は「時空と時空を弄ったがために生じたので」みたいなぶん投げ方で、スッキリする解釈が現れない。1作目が謎だらけで終わったのとはワケが違うのだ(あれは現象そのものを描くのが目的なので意味まで描かないほうがいい)。不可解な現象が不可解な現象でしかない、答えが出るわけでも何かの暗喩でも何らかの感情の象徴でもない、というのはダメだろう。

 力強い重力がステーション内にあるし(回転してるから?)、中国人クルーだけが英語を話していないのもよく理由がわからない。別に何人であっても国際宇宙ステーションに入るレベルの学者が英語を話せないとは思えないし。もしかすると彼女がいないと実験が出来ないレベルの大天才なのかも知れないが(実際それらしいシーンはある)、それを納得させるだけの描写はない。それに、彼女の代わりになれる人が存在することは、シナリオ上も明らかだ。

 

 いろいろ謎、というか単なる荒さが目に付いたし、最後の最後に取って付けたようなメッセージは入れないほうがよかったと思うが、映画そのものはきちんとお客を楽しませる内容だったので、否定まではしない。劇場公開出来なかったのは制作費がかさみすぎたから、らしいが、一体どの辺にそこまでの金が掛かったのだろうか? いろいろとよくわからない。次のシリーズ作はテレビドラマあたりのほうがいいのではないだろうか。