週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『プーと大人になった僕』★★★☆☆


映画「プーと大人になった僕」日本版予告

 

 今回この作品を観てみて、思っていた以上に自分が『くまのプーさん』が好きだったということに気づいた。原作を何度も繰り返し読んでいたので、頭にずっと残っていたらしい。冒頭のクリストファー・ロビンとプーの別れのシーンは、原作で読んだやりとりを思い出して懐かしい気持ちに。

 全体を通して観ると、まあ、いくつかの点で好みじゃなかったり、疑問を感じたりするポイントが多くあって、決してよく出来た映画とは感じなかった。だが、穏やかなプーの姿を見られたのは気分もよかったので、★3つといったところに。

 

 まず、マーク・フォースター監督といえばダニエル・クレイグによるボンド史上ぶっちぎりでつまらない2作目『慰めの報酬』の監督であり、さらに終盤ぐっだぐだのビッグバジェットゾンビ映画『ワールド・ウォーZ』の監督としても著名である(主に筆者の中で。後者はそのぐだぐだも含めて嫌いじゃないけど)。以来さっぱり噂を聞かなかったので(実際は1本撮っているようだが)さては干されたかと思っていたが、思いも寄らない大作映画で見かけることとなった。

 改めて観賞して感じたことだが、この監督、あまりテンポ感に優れていないのだろう。もうちょっとで気持ちよくなりそうなシーンをだらだらと見せたり、なくてもいいやりとりを残していたり、無駄が多い。どの作品も雰囲気や世界観を作り出すことには成功しているので、そういう気持ちよさへの配慮は足りていない人なのだろう。

 

 物語としては予告を観てイメージするとおり、というかそれ以上でも以下でもない。大人になったクリストファー・ロビンがプーと再会し、今の自分を省みて、再び人として明るい生き方を取り戻す、という至ってシンプルなもの。この非常に楽天的な物語と対比させるなら、『劇画・オバQ』がぴったりかもしれない。

 『Qと大人になった僕』といった感じ。ただしこちらは陽気な結論には至らない。

 そう、本映画の問題としては、結論が冒頭で速攻で出てしまう、というところにあるだろう。プーは最初から最後まで言っていることは変わらない。そしてそれに反することをクリストファー・ロビンが大人になって言っているのだから、最終的にはそれがプーの言葉で打ち崩される。そんなことは冒頭の10分を観れば、いや、予告を1本観れば容易に想像がつくことで、しかもそれ以上の内容は本作に用意されていないのだ。

 誰がどう考えたってクリストファー・ロビンが語るブラック企業の論理が肯定されるわけないし、かといってプーの語る言葉以上に説得力のある結論、原作の『くまのプーさん』から先の物語が語られるわけではないのだ。たとえばロビンに娘が出来たのだから、父としてプーと語り、そして娘をプーに紹介する・・・・というような進展は用意出来るはずなのだが、特にそんな内容はない。子ども時代の肯定に終始してしまうのは映画一本で見せる内容としては物足りない。

 

 そしてそれ以前に・・・・申し訳ないのだが、物語の前提がどうにも、好きになれないのだ。原作の『プー横町に建った家』で描かれるプーとクリストファー・ロビンの別れを、ごく普通の別れとして捉えてしまうことにどうにも・・・・違和感がある。

 プーはクリストファー・ロビンのぬいぐるみであって、100エーカーの森もどこか不思議な場所にあるナルニア国のようなものではない、はずだ。プーとクリストファー・ロビンの物語は「子ども時代」そのものであって、ドラえもんのように別の個性と共に異世界探訪をしていた時間ではない。言い換えると、プーは別れた後別にどこかで個人的に生活しているのではなく、クリストファー・ロビンが森を去ったら独立して存在はしていない、と思うのだ(というか、そうであってほしい)。かといってプーは消えたわけでもなく、再会出来ないわけでもない。

 

 説明が難しいのだが・・・・たぶん、特に引っかかったのは、クリストファー・ロビンがおそらくプーのことを忘れている期間のプーの描写が入ったところにあったと思う。「一方その頃」みたいな感じで描かれていたのだが、これはいかがなものだろう。クリストファー・ロビンが思い出したらプーが現れた、だったら全然違和感なく受け入れられたのだが。それなら、「プーとの再会」=「子ども時代との再会」としてすごくすんなり受け止められる。

 なんだか、中途半端に「古い友人に再会した」だけのような描き方が入り交じっていたせいで、クリストファーにとっての「プーとの再会」がどういうものなのかがボケてしまっているのがとてももったいない。100エーカーの森から誰もいなくなってしまって・・・・というくだりも、あたかもクリストファーが子ども時代を完全に失いかけているから、という描写のように見えるのだが、結局そうではなかったりして、揺れ動いている。

 

 たぶん制作段階でもどっちのスタンスで行くか迷ったのだろうが・・・・完全に「旧友との再会」路線で行くのならもっと陽気な作風があっていただろう。「プーを子ども時代の象徴として捉える」路線なら、そちらに行ききったほうがよかった。どっちとも取れるような描き方は半端で、せっかくの題材なのに収まりが悪い。

 個人的には、冒頭のぬいぐるみらしい描き方で普通に『くまのプーさん』の実写版を作ってくれたら、喜んで観に行くと思う。