週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『グエムル―漢江の怪物』★★★☆☆

 

  ポン・ジュノ監督の代表作。以前『オクジャ』は観たことがある(★4つ)。公開当時はパトレイバーの廃棄物シリーズの盗作では、という騒ぎが出ていた。それも含めてどんな作品なのだろう、という気持ちで観賞。

 想像していたのと全く違うタイプの作品で楽しく観賞したものの、中間部でダレるところもあり★3つか4つか非常に迷った。正直3.5といったところ。まだ韓国映画を多数観ているわけではないので受け止め方に足りていない部分があるのかも知れないが、とりあえず現状の正直な評価。

 

 まず、パトレイバーの盗作とは全く感じなかった。当時騒いでいた人はこの映画を観ていなかったのだろう。パトレイバーの「廃棄物13号」シリーズは、研究所で極秘裏に開発されていた奇妙な生き物が東京湾に流出し、魚や人を食って大きくなりながら上陸し始め、捨てられていたレイバーの皮を被って現れたところを特車二課が迎え撃つ、という作中でもなかなか外伝めいた内容で非常に面白い。

WXIII(ウェイステッド・サーティーン)機動警察パトレイバーMANIAXX

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  一方でこの映画の怪物は正体不明だし、おそらくは環境汚染が原因で何らかの生物が巨大化した物、なのだろうが、その程度の設定はヘドラだってそうだし、そもそも初代ゴジラだってそれに近い生物なのだから、こんなのを盗作扱いしていたら怪獣映画など作れるわけがない。プロットにも類似点は全く無い。こんなことでいちゃもんを付けるのは映画のスタッフにもパトレイバーの作家陣にも失礼だろう。

 

 さて、その上で更に異なるのは、本作はブラックコメディだという点である。これは宣伝にも問題があるかも知れない。あたかもシリアス一辺倒の怪獣映画であるかのようにポスターや予告編では見せていたが、実際は随所に皮肉な笑いを詰め込み、主人公一家も全員コメディリリーフである。そのため、一般的な怪獣映画とは全く違う感覚の作品に仕上がっており、このノリに入り込むのに若干時間が掛かった(とはいえ『オクジャ』もそれに近い寓話めいた作風なので、これが監督の作風なのかも知れない)。

 怪物「グエムル」の動きやそこから逃げ惑う人々の姿は、ハリウッド映画よりずっと少ない予算(おそらく)の中で展開しているにしては充分楽しめるレベル。モチーフは魚なので、『シン・ゴジラ』ほどおぞましさは感じない。

 そして登場人物は全員、不器用な人物。主人公はろくに仕事もせず、娘の面倒も見ず、河原の売店の店番もまともにやらない穀潰しで、その他の人々も、その小さな売店の店主、大卒で元左翼活動家のフリーター、いまいち決断力の無いアーチェリー選手、とことごとく頼りない人物ばかり。唯一まともなのは中学生の娘1人だけで、彼女が怪物にさらわれたことから物語は動き出す。

 

 ただ、中盤以降やや物語がだれ始める。予算の都合で怪物の暴れるシーンの量も限界があったのかも知れないが、話の進まない会話劇が連続するのは、いくらコミカルさを演出するためとはいえ飽きが来る。主人公が「愚か者」として描かれなければならない必然性があるのでその愚かしさを見せるシーンが何度も登場するのだが、シーンの狙いが今ひとつはっきりしないので観ていて迷いが生じるのだ。

 この物語が最終的に描き出すのは、現場も、怪物もろくに見ようとせず、民衆の話に耳を傾けず信用もせずに思い込みから一方的な解決策を提示し、しかもその策が無意味なものだった、という政府やエリート層の愚かしさだった。愚かしい主人公の姿は、たけし映画の登場人物のようにどうしようもなく、悪気もなく、いやむしろ善人なのだけれど抜け出すことの出来ない社会の陥穽に見えてくる。

 

 誰からも相手にされない主人公の姿を笑いながら、次第に悲しい気持ちに包まれてくる、という狙いは理解出来たが、その段階的な移行は今ひとつ上手くいっていない。説教臭くしたくなかったのかも知れないが、せっかく、「怪物」という異物を日常に導入することで、普段は顕在化してこない問題点をあぶり出せそうだったのに、それが急にラストシーン近辺で集中的に描かれる構図になってしまった。シリアスに移行するタイミングがズレてしまっていたのか。

 切り替えるタイミングがあるとすれば父親の死ぬシーンあたりだったと思うのだが、その後にも超人的な主人公の描写とか、妙にコミカルの残滓が漂っている。はっきり途中から悲劇に切り替えてしまったほうがわかりやすかったのかも知れない。

 

 エピローグのもの悲しさは見事。もしかすると、韓国の政治的な問題を描いているのかも知れないが、あいにく詳しくないため正確には読み取れなかった。登場人物の1人が元政治活動家なのもそのあたりを狙っているのだろうか。