『ビリオネア・ボーイズ・クラブ』★★☆☆☆
『ビリオネア・ボーイズ・クラブ』予告篇【2018年11月10日(土)公開】
アンセル・エルゴート(『ベイビー・ドライバー』)とタロン・エジャトン(『キングスマン』)という当代きっての若手スター二人を主演に据えた実話を元にしたクライムサスペンス、というどこから見ても売れそうな気配しかしない作品にもかかわらず、例のケヴィン・スペイシーを脇に据えたがために公開すら危ぶまれ、アメリカでの公開初週の興行収入が6万8000円という驚愕の数字をたたき出した映画。
とはいえ観てみれば言うても作品自体はおもろいんやろ、と思いながら観賞・・・・したのだが、その実体は、いやあ、スペイシーが出てなくてもこれは・・・・という感じの残念な一品。
シナリオは至ってシンプルで、投資詐欺を働いた若き男たちがいろいろあってドツボにはまって人生めちゃくちゃになっていく物語。後半にはかなりハードな方向に展開していくので、題材自体は悪くなかったのだが、脚本に難のある部分が多かった。
まず、彼らの働いた詐欺の手口が映画を観ていてもさっぱりわからない。何をやって誰をどう騙しているのか、すら今ひとつ伝わってこない。鑑賞中は「おそらく情報商材詐欺のような物で、実体のない自分たちの価値を高めて信用だけを元手に金をかき集めるという手口なんだろうなあ」と漠然と想像していたが、それもたまたま筆者がそういう詐欺の手口を以前調べたことがあって知っていたからイメージ出来ただけで、映画を観ているだけではよくわからないだろう(実際、一緒に観た人は首を傾げていた)。
何しろ劇中で、詐欺の手口が一切説明されないのだ。映画の冒頭からタロンのナレーションがこれでもかとながれるにもかかわらず。これは簡単に解決出来ることで、ナレーションを使って簡便に語ってしまえばよかったのだ。「手口その1・金持ちのバカ息子をそれっぽい哲学で仲間に引き込む」とか。その一言があれば、ああ、この辺の投資がどうの、という言葉を大まじめに聞く必要が無いのだ、と一発でわかるし、客もその過程をニヤニヤしながら見られる。なのにこの説明がどこにもない。
そればかりか、彼らのやったことが「詐欺」なのか「投資の失敗」なのかももうひとつわからない(wikipediaで調べる限り、実際のビリオネア・ボーイズ・クラブは詐欺を働いていたらしい)。この二つ、どう違うかというと、当事者が嘘だと思ってやっているか、それとも本気で儲かると思っているかの違いなのだが。
アンセル演じる主人公に悪意があるのか否かが判然としないのがその原因で、主人公だからか中途半端に情熱の人みたいに描いてしまっているのがよくないのだろう。『バッド・ジーニアス』ではそのあたり、明確に「悪いことをしている」とわかっていたので緊張感を持って観られたが、本作では主人公たちがダークヒーローなのか不幸な若者なのか判然としないので、感情移入の仕方が掴みきれないまま話がどんどん進んでいってしまう。
たとえば『ソーシャル・ネットワーク』(★5つ)も本作と類似したところがいろいろとあるが、この作品では、あくまで善意の、情熱の若者たち(しかも超絶頭がいい)が最後にはかつて見た夢とかけ離れた場所に辿り着いてしまう、という悲しみを一貫して描くことに成功している。これは、終始セリフや演技、演出の狙いが明確だったのにくわえ、登場人物たちのやろうとしていることがはっきり善意の方へ向いていたからだと思うが、一方『ビリオネア』では、目先の描写に終始してしまい、登場人物の行動の目的(=彼らの哲学)がはっきりしない。
劇中時間の経過が不明瞭なのも、手口がよくわからなくなっている一因だろう。実質1年未満の中でこれだけのことが起きていることを、最初にさらっと言ってしまえばよかったのだ。「僅か半年のうちに、僕たちは天国と地獄を経験した」みたいに。そうすれば、実体のない金の取引をやっているからあっという間に増えたり減ったりする、ということがよりわかりやすくなったはずだ。
実体通り「中身のない」若者たちの暴走を描いたからこうなったのだ、といえばそれまでだが、制作側にはその空虚さをパッケージとして観客に差し出す義務があるだろう。主人公二人の台詞回しも、頭がいいのか悪いのかよくわからない詰めの甘さが目立つ。
スペイシーの一件がなかったところで、そこまでのヒットには恵まれなかっただろうなあ、というのが最終的な感想。