『バスターのバラード』★★★★★
'The Ballad of Buster Scruggs' Press Conference | Joel & Ethan Coen and Cast | NYFF56
ネットフリックスオリジナルでコーエン兄弟の映画が配信されるということで、早速視聴。期待通りの絶品短編集で、終始ニヤニヤしていた。
内容としては、6本の短編作品集。確かにこれだと、メジャースタジオで世界公開は難しいだろう。相互の関連性もない完全に独立した西部劇の短編で、わかりやすいエンタテインメント性があるとは言えない。日本で有名なキャストも、リーアム・ニーソンぐらいだろうか。良質な英米文学の短編集をイメージするのが一番近い。
ただし、どれもこれも非常に強烈な登場人物が登場するので飽きが来ない。表題の『バスターのバラード』の主人公・バスターは歌手であり、旅人であり、陽気で凄腕のガンマンという設定で、ミュージカルさながら歌いながら、コーエン兄弟作品らしい激しいバイオレンス描写が繰り広げられる。たけし映画のように、過剰に激しい暴力はむしろ笑いへと繋がる。本作に登場する死は、その意味で娯楽に充分辿り着いている。
短編集のよいところは、次の展開が一切予想出来ないところだろう。主人公としか思えない人物がどのタイミングでどんな目に遭うか、予想がつかない。長編作品だと当然最後まで登場するに決まっているので、ある意味安心しきってしまうのだ。
本作ではその安心感が一切無い。いつ、飛んできた銃弾でキャラクターが没するかわからないので、どれだけ穏やかな展開を続けていても安堵する瞬間がない。
また、それぞれのシチュエーションは短編でなければ成り立たないものばかりである。必ずしも面白いシチュエーションというのは短編の中に取り込めるとは限らない。それに、あえて終わらせることによって生まれる、投げ出されたような感覚が味わいになることもよくある。本作中で筆者が一番好みだったのは、街々を巡る芸人ふたりを描いた、セリフもほとんど無いまさに掌編と呼ぶべき1作だったが、これなどは長編化したからといってよくなるものでもないだろう(ニーソンが出ているのはこの作品)。
たとえば各作品に脇のキャラで狂言回しを配置したり、あるいはラストの6本目で各作品をまとめる話を作ったりすれば、一貫性を持たせてもう少し「見やすく」することは出来ただろうが、その縛りによって短編そのものの「自由さ」が失われるのは間違いない。物語はこれぐらい自由であっていいのだろう。普段、劇場で観ている映画が様々な事情によって固定的にならざるを得ない姿を観ていると、この微笑ましい、長編になるほどではないささやかな人々の物語はたまらないものがある。
ネットフリックスによって、こうしたメジャーで商売にならない作家性の強い作品が作り出されるのは、映画表現の多様性のためにも本当によいことだと思う。