『キャプテン・マーベル』★★★★☆
物語の構造とメッセージ性、キャラクターと大河ストーリーが緻密に交差し合う、アベンジャーズシリーズの中でもかなりの良作
あらすじ
1995年、ロサンゼルスのビデオショップに空からひとりの女性が落ちてくる。彼女は驚異的な力を持っていたが、身に覚えのない記憶のフラッシュバックに悩まされていた。やがて、その記憶に隠された秘密を狙って正体不明の敵が姿を現し……。(映画.comより)
昨年の『インフィニティ・ウォー』に始まったマーベル映画全作品鑑賞もようやく、『エンドゲーム』まで残り1作。期待半分不安半分といった気持ちで観に行ったが、幸いにして、大いに期待に応えてくれる作品に仕上がっていた。
世界的に評判が高かったのが期待部分なのだが、不安要素として、
・個人的にMCUの中でもファンタジー性の高い『ソー』『ドクター・ストレンジ』が苦手(『GotG』は面白かったが、SF的世界観としてはポップすぎてあまり好みではない)
・そもそもヴィジュアル的にキャプテン・マーベルは荒唐無稽さが強い
・『ワンダー・ウーマン』が個人的に微妙だった
・「正統派ヒーローもの」との評価を聞いているが、いたって正統派だった『ブラックパンサー』も個人的に微妙だった
・もしかすると「女性ヒーローもの」であるというだけで加点されているのではないか
といったあたりが挙げられる。
かなりの部分個人的な理由なのだが、不安要素としては十分すぎるほどある。『ワンダー・ウーマン』についてはヴィジュアル面はなかなか格好良かったものの、話としてはこれといって魅力を感じる部分がなく、かなりガッカリしたのでその印象を引きずってしまっていた。
さらに、目が光るわ身体が光るわ生身で空を飛ぶわで、自分がヒーローとしてかなり苦手なスーパーマンにかなり要素が近い。「でもMCUだからなんとかしてくれるはず・・・・」と制作サイドを信じ、観賞に向かった。
冒頭から早速、マーベルらしい宇宙描写SF描写が続々と登場して心配に。こういう「世界観たっぷり系」は好きな人・把握している人は楽しめるのだが、そうでない人は圧倒的に置いてけぼりにされる。だが、たちまち物語は主人公に秘められた謎に焦点を移す。
この主人公、キャラクターとしては「基本真面目でちょっとズレてる」ところに笑いと魅力があるのだと思うが、実はワンダーウーマンとこの点では合致している。しかし、設定の関係でそこまで極端に珍奇な行動を取ったりはせず、常に背筋をただして前に進んでいく、極めて正統派の人物になっている。笑いものにはならないのだ。
一方で、作中で容姿を褒められるシーンが全くない。服装のセンスをどうこう言うシーンはあるものの、美人だとか、魅力的だとかと異性から言われるシーンは完全に排除してある。さらに、古典的に女性主人公作品で義務のように登場する恋愛シーンも、一切取り除かれている。
結果として主人公は、まっすぐ前を向いて突き進んでいく人物、として、ある意味ひねり無く、物語を進行させていく。観賞していても、物語に深く関わらない余計な問題に頭を悩ませる必要が無い。このあたりが、評者に「正統派直球ヒーロー映画」と感じさせたのだろう。「女性ヒーローだから」と過度にいかにもな社会問題を、セリフレベルで前面に押し出すことをしていない。一見すると、記憶の謎と戦争の問題を自らの手で解決しようとする、非常にシンプルなヒーローものに見える。
しかしながら、最小限の描写で彼女の置かれた状況の問題と、社会で女性が置かれた二重三重の生きづらい状況を重ね合わせてみせているのは驚くべき事だろう。「幼少時から彼女が置かれた社会的状況」「現在の彼女が宇宙人同士の戦争の中で置かれた状況」「社会において女性が置かれた状況」という三重の層があり、さらに、もうひとつのマイノリティを絡めた社会問題を巻き込むことで、「正義」=「力(=権力)」を巡る問題を一つの物語に仕立て上げている(非常にぼかした言い方だが、ネタバレ回避です)。
上記の「荒唐無稽なキャプテン・マーベルのパワー」すらもこの問題系の中に取り込んで描いてみせる、恐ろしいほど熟達した脚本技術。舌を巻いた。人は、誰かに評価されるために生きているのではないのだ。
もちろん、大河ドラマ『アヴェンジャーズ』のビギニングとしてもサービス満点。95年頃のニック・フューリー(=サミュエル・L・ジャクソン)をどうやって撮影しているのかさっぱりわからない(笑)。体格からして違うと思うのだが。
そして、『エンドゲーム』への繋がり。これももうパーフェクト。シリーズ全て追っている人間は、ここぞとばかりにワクワク出来る。良作。
・・・・さあ、何とかして『エンドゲーム』は初日か、2日目には観ないと。