週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『ゴジラ(1954)』★★★★★

 

ゴジラ

ゴジラ

 

まるでシェイクスピア劇のように骨太な、科学と人間がもたらす悲劇

あらすじ

 原水爆実験の影響で、大戸島の伝説の怪獣ゴジラが復活し、東京に上陸。帝都は蹂躙され廃墟と化した。ゴジラ抹殺の手段はあるのか・・・。(amazonより)

 

 きちんと観るのは何年振りだろう。確か大学生の頃に一度観たと思う。その時も楽しんで鑑賞した覚えがあるが、久方ぶりに観てみると、また見え方が異なっていた。今回は、芹沢博士の悲劇としての完成度の高さに目を見張った。

 

 ゴジラの方につい目が行きがちだが、人間サイドのドラマはシンプルながらしっかりしている。主人公・芹沢博士は子供の頃からヒロインと親しい間柄だったが、復員後、大きな傷を負ったことがきっかけで変わってしまった。以前からヒロインと許嫁の関係だったにも関わらず、今、ヒロインには他に付き合っている男性がいる。そしておそらく、芹沢はそのことに気づいている。

 

 ヒロインの父・山根博士が珍しい生物としてのゴジラに異様に肩入れするのは、科学者という人種の他の人々との違いを浮き立たせるためだろう。そして芹沢は、自身の開発した極めて危険な化学物質・オキシジェンデストロイヤーの扱いに苦悩しているが、黙っていることができずにヒロインにその存在を告げてしまう。

 水爆と同列の危険兵器を開発してしまったという壮絶な苦悩、人間を救うこともできるが未来を思えば世に出すわけにいかないという、恐ろしいほどに深刻な悩みが正面から描かれている。何事もなければ、こんなものを抱えていたところで何の問題もなかった。しかし、ゴジラが現れたことで、芹沢は、水爆すら通用しないゴジラを倒すすべを世界で唯一持つにも関わらず、沈黙しなければならないという良心の呵責に苛まれる。

 

 さらに、芹沢は自分とゴジラ二重写しにしていることもうかがえる。水爆という兵器によって住処を追われ、化け物にされてしまったゴジラ。戦争によって居場所を失い、許嫁も失いつつある自分自身。この構造は作中で、常に暗示され続けている。

 本作が恐ろしく上手いのは、このあたりの重く複雑な人間関係が、一切明示されない点である。「結婚」という単語すら出てこないのは驚くべきことだろう。芹沢のヒロインに対する思いに至っては、最後のひとセリフくらいしか描写されていないのだ。にも関わらず、その思いは痛切に伝わってくる。

 表面上はどこまでも、ゴジラの恐怖だけが描かれているが、実際には芹沢という一個の科学者・人間の絶望が通奏低音のように響き続けている。

 

 絶対内緒だ、と言ったにも関わらず、ヒロインは兵器の存在を恋人に伝えてしまった。恋人とともに、芹沢のもとへオキシジェンデストロイヤーを使うよう頼みに来るヒロイン。科学者としても、人間としても、運命を定められてしまう、あまりにも残酷なシーンだと思う。少女たちの祈りに覚悟を決める芹沢。最後に、ヒロインに幸せに暮らすよう言葉を残す。

 悲劇としか表現のしようのない物語である。ゴジラは、水爆や原爆、戦争や空襲そのものの隠喩であると同時に、科学と世界に絶望した孤独な存在の象徴でもあるのだろう。その姿は常にどこか寂しげに、芹沢と二重写しになっている。

 以前見たときはまるで気づけなかった視点で、間をあけて見返すと物語の印象も変わるものだと驚いた。

 

 改めて鑑賞すると、『シン・ゴジラ』がいかに本作にオマージュを捧げていたかがよくわかった。冒頭の構成や、社会全体が窮地に追い込まれていく危機の描写。ゴジラに翻弄され、命を奪われる人々の姿。『シン』は一人の政治家の物語だったが、本作は一人の科学者の物語になっている。あくまで誠実な一人の科学者が、たった一人で下さざるを得なかった悲痛な決意。美しい傑作だった。