週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』★★★★☆


GODZILLA 2: King of the Monsters "Super Godzilla" Spot & Trailer (2019)

言いたいことは山ほど在るが、格好良かったから結果まあヨシ

あらすじ

前作から5年後の世界を舞台に、モスララドンキングギドラなど続々と復活する神話時代の怪獣たちとゴジラが、世界の覇権をかけて戦いを繰り広げる。また、それによって引き起こされる世界の破滅を阻止しようと、未確認生物特務機関「モナーク」に属する人々が奮闘する姿を描く。(映画.comより)

 

 久々にネタバレあり、なしでわけて書こうと思う。

 期待しながらIMAX3Dで観賞。前作は観たあと知人の特撮オタクと話し合った結果、「いろいろ引っかかるがまあ頑張った内容」と上から目線の評価をまとめた記憶が在る。その後、『シン・ゴジラ』で「これが本当に観たかったヤツや!」と大満足したので、2014年版のハリウッドゴジラは中の中くらいの満足度になっている。

 

 ネタバレなしで語るなら、「怪獣のカッコイイバトルが観たいヤツ集まれ!」という感じ。巨大生物、もっといえば巨神たちの闘いの美しさ、そしてそれに何も手出しが出来ない愚かな人間たちの姿、という神話的(それもギリシャ神話や日本神話的)な光景の魅力は存分に描ききっている。

 海外のレビューで「人間ドラマが手薄」というような話があったが、そこまででもなく人間たちの様子は描けていたと思う。でも、そこというよりは「人類がまだ知らないおそるべき者たちがこの世にはいて、彼らが目覚めたとき我々はどうすることもできない」ということを見せる、クトゥルフ的恐怖を描くことには見事に成功している。

 

 個人的にもゴジラシリーズにはこだわりがあるので言いたいことは正直山ほど在るのだが、特にキングギドラが格好良かったのでこんな感じの評点に。前作よりも日本の過去作への目配せが多かったのも印象よかったです。

 

 ネタバレナシだとここまで。以下、ネタバレありです。

 

 

 

 

 

 

 

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 さて。

 本当に言いたいことが山ほど在るのだ! 正直言わせてもらえば、人間ドラマは手薄なのではなく、描き方が間違っている。これでは面白くなるはずがない。にもかかわらず、どうでもいい家族愛親子愛夫婦愛の偽善的なドラマにだらだら尺を割いているので「手薄」な印象になってしまうのだ。

 口が悪くなってしまったが、実際怪獣たちの闘いと家族の不和の問題がほとんどかみ合っておらず、後ろで大怪獣たちが闘っているのに手前ではただの家族喧嘩、劇中の言葉を借りるなら「おらこんな両親いやだー(こんな言い方してないけども)」になってしまう。

 

 個人的な意見だが、「怪獣」に対置出来るのは基本、「社会」であって、個人が直接立ち向かって満足のいく描写は出来ない。ごく普通のエイリアンやジョーズ、あるいはジュラシックパーク的モンスターなら個人の物語から描くことも出来るかも知れないが、超巨大怪獣は人間を襲うのではなく街や国を襲うので、一個人の私的な問題だけに回収するには大事過ぎる。彼らは基本的に、人間とは何の関係もなく暴れているのだ。

 なので、何らかの形で社会を代表する人物が対置されて欲しい。科学者(第1作)、政治家(『シン・ゴジラ』)、軍人(平成ゴジラ)、巫女(平成ガメラ)など、一個人と言うよりも人類代表として、マスな視点で物事を語れるポジションの人物がいてほしい。私人としての問題はさておいて、人という種の話をしてほしいのだ(そうでなければ、エヴァのように異常に私的な問題に帰着させることで登場人物の異常性を見せることになる)。この点、『パシフィック・リム』でのデルトロ監督はさすがだった。

 

 だが、ハリウッド版のゴジラはハリウッド映画にありがちな個人の物語に持ち込んでしまっており、もう圧倒的に間違っている。プロデューサーあたりに「入れないとダメだ」とでも言われたかのように、父親、母親、子どもの問題を均等にまんべんなく入れているのだが、どれもこれもちゃんと展開しきらないうちにキングギドラにわやくちゃにされて終わるので達成感もない。

 これ、修正は簡単だ。もっとも異常な行動を取っている母親の物語に絞り込んで、父親や子どもはサブに据えて、かつて息子を失い誤った信念に導かれた人物の暴走と悔恨、そして贖罪の物語にすれば充分成り立つのだが、ボビー・ミリ―・ブラウンをどうしても主役に据えたかったのか、単にろくでもない両親の間で翻弄されるかわいそうな子供の描写が長時間展開されるので据わりが悪い。父親に至っては特に描かなくてもよかっただろう。

 こういう、まさしくシン・ゴジラが切り捨てた要素を入れざるを得なかったのが残念だった。初代ゴジラの芹沢博士のように、人間の絶望と苦悩を大怪獣と相似形で描けるレベルまでフォーカスすれば(今回の場合は、怪獣に子どもを奪われた母親の狂気)、もっと面白いものになり得たのに。

 

 あわせて、前作から変わらず存在している大きな問題として、モナークがある。あいつらは、いったい、何をやりたい組織なのだ! 観ていても全くわからない。怪獣に立ち向かいたいのか、保護したいのか、再封印を目指したいのか、怪獣を研究したいだけなのか。頼むから明示して欲しかった。

 モンスターバースがMCUのようになれていないのもここが大きいだろう。アベンジャーズやニック・フューリーが何をやりたいのかはよくわかる。しかし、彼らはそもそもどこにどう所属している何の財源のどういう組織なのか。世界中に謎の施設を大量に設置することは出来る一方で、米国政府の公聴会ではIMFのように叱られていたりする。

 あえて怪獣保護を目的としている、ならそれはそれでいいのだ。狂信的に怪獣を保護しようとするならいいし、殺そうとしているならそれでもいい。はっきりしないからこいつらを信じていいのか疑っていいのか、期待していいのか憎んでいいのか全然わからない。

 

 さらに、ニック・フューリー的ポジションの芹沢博士とその横に居るサリー・ホーキンス演じる博士。彼らは何をしに、あんな世界中あっちこっちに出向いているのだ。前作でもさっぱりわからなかった。その上今回は、大物二人の出演料削減のためか、二人とも居なくなってしまう。サリー・ホーキンスの無駄遣いもいいところである。

 あと、今回の展開についていえば芹沢博士の行動、核爆弾でゴジラを目覚めさせる、というのは、もう、ゴジラという怪獣の成り立ちを考えればあり得ないし、芹沢という名前を背負っているキャラクターには絶対にやって欲しくなかった。

 

(※追記:ツイッターなどで、「オキシジェン・デストロイヤーで死したゴジラ=キリストの復活のために、自らが最も否定したかったはずの核兵器と共に自らの命を賭した芹沢博士⇒1作目の芹沢博士との対比」という指摘&監督自身の言葉を見た。なるほど、と思うのだが、それを描くにはやはり圧倒的に芹沢博士の描写が足りていない。『エンドゲーム』のトニー・スタークくらい過去に積み重ねてきたならともかく、まともに描写がなされてこなかった芹沢の内面、ゴジラに対する思いをそこまで汲み取れ、というのは無理があるだろう)

 

ダークナイトライジング』を観たときも感じたが、未だにアメリカでは核兵器に対する認識が、ちょっと強い爆弾程度なのだろうか。

 あんな至近距離で核爆弾が爆発したら、潜水艦内の人々もただでは済まないだろう。核爆発寸前のゴジラの周辺をうろうろしていたら、登場人物たちは尋常ではなく被曝しているだろう。怪獣の出自からしても、そこはきちんとしておかなければなるまい。

 

 怪獣の暴れる場所も、今回は市街地はほとんど無く、大半が南極とどこかの海と山である。これは好みも分かれるが、面倒でも街で闘っていただきたかった。怪獣のアクションは、破壊される日常を伴ってなんぼである。作品の内容から言っても、きっちり文明を破壊せねばなるまい。終盤、大量に怪獣が出現しているにもかかわらず、ほとんどディスプレイ上の描写で済まされてしまっているのはさすがに予算と時間の限界があったのだろうか。

 

 また、単純にサスペンスの盛り上げ方が下手なのもよろしくない。怪獣復活作戦は主人公の母親の科学者自身が立案した、というなかなか衝撃的な展開なのに、それが流れの中でさらっと語られるのでカタルシスが全く無い。音楽なりセリフなり演出で盛り上げながら、味方だったはずの人物が実はそもそも敵だった、ということを描くべきなのに。

 ここに限らず、人間の感情描写、盛り上げの演出がどこもかしこも上手くいっていない。親子三人のドラマに全く入り込めないのも、ひとつにはこの下手さが影響しているだろう。一方で、怪獣の感情描写は非常に達者だった(笑)。これは本作が史上最もやり遂げていたポイントだろう。どの怪獣もしっかり感情が感じられ、ゴジラモスララドンキングギドラの首の一本一本にも性格が見て取れる。

 

 このあたりは昭和の子ども向けゴジラのような人間味で、好き嫌いは分かれるだろうが、ギドラの見せ方はなかなか魅力的だった。ただ、ラストのライオンキング的な描写は、むしろゴジラを矮小化させかねず(既存の動物の性質レベルに収めてしまっている)、いかがかな、と思ったが。

 おそらくなのだが、監督はあまり、人間に興味が無いのだろう(想像だけれども)。ないならないで別に構わないのだが、だったらうかつにおざなりで薄味な人間描写などせず、大怪獣映画に特化させてしまったほうがよい。人間は怪獣が踏みつぶすためのおもちゃに過ぎない、と割り切ったほうが、たぶんいいものが創れる。ただ、そのためにはゴジラを題材にしないほうがいいだろうし(ビッグバジェット映画は八方美人を求められる)、難しいところである。

 

 ・・・・とまあ、言いたいことが本当に山ほど在って、もっとあった気もするのだが、とりあえずこれぐらいにしておく。こういうことを観賞しながら大量に思ったのだが、でも、「キングギドラ格好良かったしなー」で★4つ、である。あ、ゴジラのテーマからの12音階の引用、さらにまさかのモスラの唄の引用まで入ってきたのも得点高い・・・・でもオキシジェン・デストロイヤーの雑な扱いはいかがなものかと・・・・。

 こんな感じで無限に感想が湧いてくる。我ながらどうかと思うが、ゴジラ映画にはやはり思い入れが強すぎた。

 ようやく、エピソード8を観たあとのスター・ウォーズオタクの気持ちが理解出来た気がする。「やりたいことはわかるがこれは違う」という複雑な気持ちとともに、また新しいゴジラが公開されたら劇場に足を運んでしまうのだ。