週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『ザ・ファブル』★★★★☆


岡田准一主演『ザ・ファブル』特報

邦画とは思えない壮絶なアクションに満足。あともうちょっと痒いところに手が届けば・・・・

あらすじ

超人的な戦闘能力を持つ伝説の殺し屋ファブルは、育ての親であるボスから、1年間殺し屋を休業して普通の人間として生活するよう命じられる。もし誰かを殺したらボスによって処分されてしまうという厳しい条件の中、「佐藤アキラ」という偽名と、相棒ヨウコと兄妹という設定を与えられ、大阪で暮らしはじめたファブルは、生まれて初めての日常生活に悪戦苦闘。そんな中、偶然知り合った女性ミサキがある事件に巻き込まれたことから、ファブルは再び裏社会に乗り込んでいく。(映画.comより)

 

 原作漫画はヤンマガ誌上で連載開始当初から読んでいる。独特の間合いとタッチで、「殺してはいけない殺し屋」というキャッチーな題材をハードボイルドに描く傑作で、大人でないと読み切れないような奥行きのある作品。正直言って、アイディアそのものは映像化にぴったりなものの、あの雰囲気を再現するのは絶望的に難しい。

 しかし前評判は高かったので楽しみにしながら映画を鑑賞。結果、二時間充分楽しみながら観られた。キャストもスタッフもかなりベストを尽くしていると思う。しかしどうにも気になる部分もあって・・・・期待を挙げすぎたのだろうか。

 

 まず、決定当初は不安だった岡田准一のファブル役は非常によかった。原作のなんとも言えない表情、目付き、描線から生まれている雰囲気を見事に現実へ置き換えている。綺麗になりすぎてはダメ、コミカルかつ冷徹でないとダメ、アクションも完璧でないとダメ、という恐ろしく難しい課題をクリアしていた。ヨーコ役の木村佳乃もボス役の佐藤浩市も上手い。

 冒頭からハードなアクションをかまして観客を釘付けにする構成も、ベタながら楽しい。殺しの天才という設定を納得させるには、ファブルも完璧でなければならないが、「圧倒的」であることにちゃんと説得力がないといけない。ヤクザの集団が何が起きているのかわからないくらいの混乱に陥る中で、ただ1人だけ冷静なファブルが確実に仕留めていく様は気分よく、世界で通用するアクション、という売り文句は伊達ではなかった。

 余談だが、「敵を殺せない」というルールを作ると、最終的にゾンビ映画のようになる(敵が減らない)のは少し笑った(笑)。

 

 原作の魅力そのものは上手く映画に移植出来ている。特に一番難しいと思っていた「クールかつコミカルかつハード」という部分が、むしろよく仕上がっている。ただ、一方で気になるところも少なくない。

 まず、なぜリアル関西出身者をキャストに迎えなかったのだろう・・・・。岡田准一佐藤二朗以外、ほぼ全員関西以外の出身である。関西弁ネイティブからすると違和感がかなりあった(関西出身ではない知人すら、違和感が強いと漏らしていた)。このキャラが標準語を話しているのは何か理由があるのか・・・・と首を傾げること数回。

 関西弁を話せるいい役者はたくさん居ると思うので、これくらいはなんとかしてもらいたい。原作を読めばわかるが、大阪弁でなければあの間合い、テンポはなり立たないと思うのだ。

 

 役者周りで言えば、「組織の人間」役の人々(なぜか「ヤクザ」という単語は一言も出てこなかった。レイティングの都合か?)が綺麗な顔過ぎるのがどうにも気になる。岡田准一はこの中だとそんなキラキラしていないくらいで、小島だの砂川だのといった生粋のヤクザものであるはずのキャラがぴっかぴかの顔をしているのはかなりの違和感。事情はわからないでもないが、ここに美形をキャスティングする必要はあったのだろうか? 海老谷役のヤスケンすら、顔が整いすぎて居るぐらいだ。

 知名度のある役者が顔立ちの整った人間しかいないのはわかるが、ここはある程度ちゃんと「ヤクザ」「チンピラ」に見える人のほうが安心して憎悪出来るし、説得力がある。時代劇などを観ていても思うが、つやつやの顔をした人はつやつやの人生を送ってきているのだ。特に三十代にもなっていると余計に。

 

 また、最大の疑問は映画オリジナルのキャラ、殺し屋二人組である。「ファブルに憧れる若手殺し屋」を導入すること自体は、ファブルの業界内での評価をわかりやすく表現するために必要だったとは思う。ただ、そのキャラ造形がいただけない。

 原作でもそうだが、『ザ・ファブル』の最大の魅力は、登場人物全員が類型的ではないオリジナルの人物造形、マンガで今まで観たこともないようなキャラクターで、にもかかわらず「どこかにいそう」というラインを絶妙に護っているところだろう。現実には「セクシーな女」とか「偉そうな中年男」みたいな役割のために存在している人間などいない。徹底した人間観察眼と考え抜かれたキャラクター設定がそれを可能にしている。

 

 のだが、オリジナル要素のこの殺し屋二人だけが、いかにも「サイコな殺し屋」というテンプレそのもので、これが実に悔やまれる。しかも、『ノーカントリー』や『サイコ』、『セブン』のような鬼気迫る殺人鬼ではなく、一言で言えば「ヒャッハー系」である。ヤンマガに突然ジャンプの悪役が混じり込んだような違和感。

 これは頑張れば何とか出来るところのはずだ。斬新な画期的悪役を出せとまでは言わないが、人生を感じさせるぐらいの人物は配置出来るのではないか。

 

 また、シナリオの構成自体にも気になる部分がある。この物語全体は、一言で言えば何の話なのだろう。やや散漫になっているのだ。ファブル視点のファブルについての物語にしづらいこと自体はわかるが、だったら『レオン』のように、護られる側についての物語として導線を作って欲しい(群像劇といえるほど多様に人間模様が絡み合って何かを描き出しているわけでもないのだ。群像劇なら、様々な人間が動いた結果として浮かび上がってくる主題が欲しい)。

 一見しても「誰がどうなる物語」なのか判然としないままでは、観賞後の満足感も薄まると思うのだが、どうだろう。

 

 思うところいろいろあって文句ばかり書いてしまったが、楽しく観られるという意味では上々の1作だろう。岡田准一の芝居も大いに楽しめたので、ぜひ続編も作ってもらいたいものだ。