週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『ゲット・アウト』★★★★★

周到に組み上げられた現代の寓話。自分の眼差しは「誰」のものなのか

あらすじ

ニューヨークに暮らすアフリカ系アメリカ人の写真家クリスは、ある週末に白人の彼女ローズの実家へ招待される。若干の不安とは裏腹に、過剰なまでの歓迎を受けるものの、黒人の使用人がいることに妙な違和感を覚える。その夜、庭を猛スピードで走り去る管理人と窓ガラスに映る自分の姿をじっと見つめる家政婦を目撃し、動揺するクリス。翌日、亡くなったローズの祖父を讃えるパーティに多くの友人が集まるが、何故か白人ばかりで気が滅入ってしまう。そんななか、どこか古風な黒人の若者を発見し、思わず携帯で撮影すると、フラッシュが焚かれた瞬間、彼は鼻から血を流しながら急に豹変し、「出ていけ! 」と襲い掛かってくる。“何かがおかしい"と感じたクリスは、ローズと一緒に実家から出ようするが・・・。(amazonより)

 

 事情あって資料として観なければならないのだが、とにかくこわがりでホラーが苦手なので、実はあらすじを全て把握した上で観賞した。制作者には本当に申し訳ない気持ち。しかし、何が起こるかわかっていないと怖すぎてとても観られなかったのだ。

 非常に恐ろしいと評判の本作だが、個人的には恐怖のベクトルが、通常のホラーとは異なって感じられたのが面白かった。現実に存在しうる恐怖を、寓話の形で示して見せた本作は、確かに脚本を評価されるべきだろうと思う。

 

 ネタをばらしすぎてしまうとあまり面白くないので、できるだけ具体的に描写しないように語ると、本作は「他者の視点」とはどのようなものなのか、について描いているのだと思う。

 たとえば民俗学文化人類学のような学問は、遠く離れた場所に居る(とその時点で感じている)民族や集団に深く入り込み、彼らのものの見方、考え方を学び、分析し、ひるがえって自分たちの文化を顧みるところに元々の意味があった。

 しかし、80年代後半から90年代にかけて、そうした姿勢に対して強い批判が学内外からわき出るようになった。つまるところ、それはある文化とある文化の間に存在する力関係を無視しているのではないか、他者の視点を無批判に(あるいは感傷的に)奪い取っているだけなのではないか、という問題が出始めたのだ。

 

 そもそもが「遠く離れた見知らぬ文化の部族の人々と親しくなることで、自分たちの文化の愚かしさを反省するべきだ・・・・」というロマンティシズムが、こうした異文化の研究にはどこかに存在していたので、こうした批判に対してはなかなか有効な反論(新たな解答)を生み出しにくい。

 すくなくとも、筆者が大学で勉強していた2000年代後半頃は、未だに批判に絡め取られているようだったと記憶している(全然優秀な学生ではなかったので、学問の先端ではそんなことなかったかも知れないが)。

 で、この映画は、そうした形での「他人の視点の収奪」について描いている・・・・のだと、筆者は思ったのだ。

 

 かつてアフリカ系アメリカ人に向けられていた直接的な差別の視点はもちろん今でも大いに残っているけれど、問題はそれだけではない。当事者にとっては、「下に見る」以外の形であっても不愉快になり得て、差別になりうる。それを、非常に上手い形で描き出しているのがこの作品だと思う。

 憧れ・愛情・希望・欲望・尊敬、といった、通常であればプラスに働くはずの感情。たとえば障碍者に対して、「一生懸命生きている努力の人」というような眼差しを向けることが、果たして素晴らしいことなのか。その皮を一枚むいた下には、結局「自分たちとは違う連中」という意識が蠢いているだけではないのか。

 

 本作は、表面上で起きている出来事そのものよりも、その下で動く人々の感情や考えのほうが遙かにグロテスクで、気味が悪い。そこをシンプルなアイディアでえぐりとった監督の手腕は、さすがコメディアン出身、そして当事者だけあって鋭く、皮肉に満ちている。

 観ようによってはこれはコメディにすらなり得るだろう。秀作。