『記憶にございません!』★★★☆☆
三谷幸喜作品は『古畑任三郎』や『王様のレストラン』の頃からのファン。映画も途中までは映画館に必ず観に行っていたが、『ステキな金縛り』がピンとこず、『清洲会議』はビデオで観て、『ギャラクシー街道』はまだ観てもいない。
正直言えば、三谷幸喜氏は脚本家オンリーの作品の方が好きで、映画は初期の方が好き、という感じ。設定やシチュエーション、キャストは面白そうなのに、いざ観てみると「あれ?」という印象を受けてしまう。それでも毎回見てしまうのだけれど。
今回も、設定はすごく面白そうだったので「今度こそ」と期待して観に行ったのだが、「あれ・・・?」という印象。
詰まらなくはない。笑えるシーンもたくさんあったし、実際たくさん笑った。中井貴一と草刈正雄の芝居はことさらに素晴らしい。笑ったのだが、なんだか、観たいものと描かれているものにズレがあって、終始その違和感が拭えなかった。自分なりに理由をいくつか考えた。
1 長回しが間を悪くしている
舞台と同様の効果を生もうとしているのか、長回しでなければならないようなシーンでなくても、相当な長回しを多用している。ワンカットで描くべき緊張感があるシーンというのもあると思うのだが、必然性がないワンカットは、芝居にとても微妙な間を生む。
筆者が、切り替えを多用するハリウッド映画のテンポに慣れすぎてしまっているので、この間に焦ったさを感じてしまうのかもしれない。
2 政治家の話だが政治批判には(なりそうで)ならない
今回、割と踏み込んで政治を批判できそうなポイントがいくつもあり、実際、三谷作品では非常に珍しく、現在の政局に批判的な(とも取れそうな)セリフもちらほらあった。あったのだが、結局踏み込み切らないというか、「そうはいっても・・・」的に擁護に回ってしまう。
必ずしも政治家を扱ったからと言って政治批判の話をしなければならないとは思わない。あくまで政治家一般の人間を描けば、現代日本の政治に一切触れない手もあったと思う。どちらかにきちんと振り切って欲しかったのだ。
正直、三谷さんの作風的に、批判方向に行くのは難しいと思うので、だったらあくまで「記憶喪失の総理大臣」というシチュエーションに集中して欲しかったのだが・・・(我慢ならなかったのだろうか)。
3 生っぽさと作り物っぽさが混ざり合っている
三谷映画はいい意味で作り物っぽく、建物の中から出ない、全てセット撮影、などの作り物感、ハリボテ感が良かったところもあったと思うのだが、今回は比較的ロケ撮影のシーンが多い。
さらに、『有頂天ホテル』までとは違って、いくつかの場所を移り変わる一般的な映画の手法を取ろうとしているのだが、世界観やセリフ回しは相変わらず作り物っぽさが強いので、どうにもこのちぐはぐさがぬぐいきれなかった。
新しい作風へと進んで行きたい気持ちはわかるのだが、いい意味での作り物っぽさを保ち続ける、ウェス・アンダーソンのような作風でも個性があっていいと思うのだが。特に、今回のような到底現実には起こりえないような題材を扱う場合はなおさら。
他にも、笑いがその瞬間瞬間の細かいネタによる部分が多く、シチュエーションを積み上げたりフリを拾ったりするタイプのコメディ要素が物足りなく感じられた。
また、今回キャラクターが記憶を失っているということもあってか、感情の導線にもどうにも乗り切れず、終盤の盛り上がりどころにもハマらなかったのは、自分だけなのだろうか。音楽の使い方も途切れ途切れで、山場に強い曲も流れず、不器用だったように感じる。
自分が三谷作品と合わなくなってきている・・・のかもしれない。だが、アイディア自体はすごく面白くなりうるものだっただけに、個人的にはすごく残念だった。
とはいえ、次も多分見に行くんだろうなあ・・・。