週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『キャプテン・マーベル』★★★★☆


「キャプテン・マーベル」日本版本予告

物語の構造とメッセージ性、キャラクターと大河ストーリーが緻密に交差し合う、アベンジャーズシリーズの中でもかなりの良作

あらすじ

1995年、ロサンゼルスのビデオショップに空からひとりの女性が落ちてくる。彼女は驚異的な力を持っていたが、身に覚えのない記憶のフラッシュバックに悩まされていた。やがて、その記憶に隠された秘密を狙って正体不明の敵が姿を現し……。(映画.comより)

 

 昨年の『インフィニティ・ウォー』に始まったマーベル映画全作品鑑賞もようやく、『エンドゲーム』まで残り1作。期待半分不安半分といった気持ちで観に行ったが、幸いにして、大いに期待に応えてくれる作品に仕上がっていた。

 世界的に評判が高かったのが期待部分なのだが、不安要素として、

 

・個人的にMCUの中でもファンタジー性の高い『ソー』『ドクター・ストレンジ』が苦手(『GotG』は面白かったが、SF的世界観としてはポップすぎてあまり好みではない)

・そもそもヴィジュアル的にキャプテン・マーベルは荒唐無稽さが強い

・『ワンダー・ウーマン』が個人的に微妙だった

・「正統派ヒーローもの」との評価を聞いているが、いたって正統派だった『ブラックパンサー』も個人的に微妙だった

・もしかすると「女性ヒーローもの」であるというだけで加点されているのではないか

 

といったあたりが挙げられる。

 

 かなりの部分個人的な理由なのだが、不安要素としては十分すぎるほどある。『ワンダー・ウーマン』についてはヴィジュアル面はなかなか格好良かったものの、話としてはこれといって魅力を感じる部分がなく、かなりガッカリしたのでその印象を引きずってしまっていた。

 さらに、目が光るわ身体が光るわ生身で空を飛ぶわで、自分がヒーローとしてかなり苦手なスーパーマンにかなり要素が近い。「でもMCUだからなんとかしてくれるはず・・・・」と制作サイドを信じ、観賞に向かった。

 

 冒頭から早速、マーベルらしい宇宙描写SF描写が続々と登場して心配に。こういう「世界観たっぷり系」は好きな人・把握している人は楽しめるのだが、そうでない人は圧倒的に置いてけぼりにされる。だが、たちまち物語は主人公に秘められた謎に焦点を移す。

 この主人公、キャラクターとしては「基本真面目でちょっとズレてる」ところに笑いと魅力があるのだと思うが、実はワンダーウーマンとこの点では合致している。しかし、設定の関係でそこまで極端に珍奇な行動を取ったりはせず、常に背筋をただして前に進んでいく、極めて正統派の人物になっている。笑いものにはならないのだ。

 一方で、作中で容姿を褒められるシーンが全くない。服装のセンスをどうこう言うシーンはあるものの、美人だとか、魅力的だとかと異性から言われるシーンは完全に排除してある。さらに、古典的に女性主人公作品で義務のように登場する恋愛シーンも、一切取り除かれている。

 

 結果として主人公は、まっすぐ前を向いて突き進んでいく人物、として、ある意味ひねり無く、物語を進行させていく。観賞していても、物語に深く関わらない余計な問題に頭を悩ませる必要が無い。このあたりが、評者に「正統派直球ヒーロー映画」と感じさせたのだろう。「女性ヒーローだから」と過度にいかにもな社会問題を、セリフレベルで前面に押し出すことをしていない。一見すると、記憶の謎と戦争の問題を自らの手で解決しようとする、非常にシンプルなヒーローものに見える。

 しかしながら、最小限の描写で彼女の置かれた状況の問題と、社会で女性が置かれた二重三重の生きづらい状況を重ね合わせてみせているのは驚くべき事だろう。「幼少時から彼女が置かれた社会的状況」「現在の彼女が宇宙人同士の戦争の中で置かれた状況」「社会において女性が置かれた状況」という三重の層があり、さらに、もうひとつのマイノリティを絡めた社会問題を巻き込むことで、「正義」=「力(=権力)」を巡る問題を一つの物語に仕立て上げている(非常にぼかした言い方だが、ネタバレ回避です)。

 上記の「荒唐無稽なキャプテン・マーベルのパワー」すらもこの問題系の中に取り込んで描いてみせる、恐ろしいほど熟達した脚本技術。舌を巻いた。人は、誰かに評価されるために生きているのではないのだ。

 

 もちろん、大河ドラマ『アヴェンジャーズ』のビギニングとしてもサービス満点。95年頃のニック・フューリー(=サミュエル・L・ジャクソン)をどうやって撮影しているのかさっぱりわからない(笑)。体格からして違うと思うのだが。

 そして、『エンドゲーム』への繋がり。これももうパーフェクト。シリーズ全て追っている人間は、ここぞとばかりにワクワク出来る。良作。

 

 ・・・・さあ、何とかして『エンドゲーム』は初日か、2日目には観ないと。

『マグニフィセント・セブン』★★★★★

 

単なるスター勢揃いリメイクではない、「死に方」を描く快作

あらすじ

冷酷非道な悪漢ボーグ(ピーター・サースガード)に支配された町で、彼に家族を殺されたエマ(ヘイリー・ベネット)は、賞金稼ぎのサム(デンゼル・ワシントン)、ギャンブラーのファラデー(クリス・プラット)など荒れ果てた大地にやってきた<ワケありのアウトロー7人>を雇って正義のための復讐を依頼する。
最初は小遣い稼ぎのために集められたプロフェッショナルな即席集団だったが、圧倒的な人数と武器を誇る敵を前に一歩もひるむことなく拳銃、斧、ナイフ、弓矢などそれぞれの武器を手に命がけの戦いに挑んでいく――(Amazonより)

 名作『荒野の七人』のリメイク。劇場で作品の存在を知ったときは、「えー、なんで今さら・・・・」と懐疑的だった。キャストは豪華で、監督は『イコライザー』のアントワーン・フークアとはいえ、いかにも「豪華キャストを人種に配慮してたくさん配置しつつ確実に面白いお話で手堅くまとめられそうな話」として選ばれそうな題材なので(笑)、劇場では見送っていた。

 しかし、妙に評判がよかったので気になり、ようやく観賞。原作の比較的明るい雰囲気とは真逆の、重く、深刻な雰囲気に当初は困惑していたのだが、最終決戦に至って、彼らの死に場所を巡る物語だったのだと深く感銘を受けた。ちなみに、『荒野の七人』も『七人の侍』も観賞済みだが、どちらも意外と印象が薄い。観ているときは割りと楽しかった記憶が在るのだが。なので、原作のストーリーはうろ覚えである。

 

 まず、各キャラクターがカッコイイ。とにかくカッコイイ。デンゼル・ワシントンが黙って立っているだけで美しく、クリス・プラットも脂ののりきった演技を見せている。どの人物も出てくる瞬間にキャラを立てていく秀逸ぶり。

 画面は、往年の西部劇とは対照的に非常に重くて暗い。『許されざる者』なんかもこんな雰囲気だった記憶が在るが、とにかくここまで笑顔が少ない西部劇は観ていても辛い気持ちに襲われる。大体、ウェスタンは生きているだけでしんどいような時代を舞台にしているので、登場人物たちはあえて陽気に振る舞うことが多い。しかし本作では、冒頭から辛いシーンの連発で、たとえ笑う瞬間があってもそれは、皮肉と悲しみを含んだ笑顔がほとんどである。

 

 なので途中までは「いまいちか」と微妙な気持ちで居た。なにせ、あの人気のテーマ曲も登場せず、最近の映画音楽らしい重低音を強調した音が連続する。しかも暗い雰囲気の中で、集まってくる「七人」は、擁護しがたいレベルの悪人として登場する。状況からして笑い飛ばすことも出来ず、ほんとうに危険な人物にしか見えない。

 おかげで「ちょっとこの深刻にすればいいみたいなリメイクはどうかと・・・・」と途中までは思っていたのだが、半分過ぎたあたりで、セリフの形で明確に物語の主題が登場してくる。「人はどうやって死ぬか選ぶ権利がある」ということである(この言い方ではなかったかも知れないけれど)。

 

 繰り返し登場する村で唯一の教会、十字架、そしてそれを破壊し蹂躙する悪、神を鼻で笑う者たち。しかしそれを繰り返すほどに、次第にその荘厳な存在感が前面にせり出してくる。彼らは死を目前にしたギリギリの人生で、常にそうした存在を意識せざるを得ない。「自分はいかに生きるべきか=死ぬべきか」が常に問いかけられている。

 この時代だからこそ成り立つとも言える、余りにも無情な悪役。信念、正義、善をせせら笑う彼に立ち向かう、というチャンスを得た彼らが、それまでの悪党そのものといった人生から少しずつ、明確ではなくとも決断していく。その描写はわかりやすくはないが、各人物の表情や立ち居振る舞いから充分に伝わる。

 

 そして最後の闘い。まさしく死闘と呼ぶべきこの戦は、誰が生き延び誰が死ぬのか、本気でわからない。西部劇と言うよりもはや戦争映画である。この、現代では珍しい、続編を創ろうなどという欲っけのなさが、尋常ではない緊張感を与えてくれる。この闘いの中でも彼らは、意義のある死に場所を求めて駆け続ける。

 安直な救いや希望を越えた、ビターな生き様=死に様を描ききった本作は、リメイクというより、同じ題材を使った全く異なる作品と呼んだほうがいいだろう。最後の最後の「アレ」も含めて、想像外の佳作だった。オススメです。

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』★★★★☆

 

「非常に金の掛かったよく出来た二次創作」、でも普通に面白い

あらすじ

ジョン・コナーは若き頃の母サラ・コナーを守るため、カイル・リースを1984年に送り込む。しかし予想外の事態によって過去は書き換えられ、人類の未来も大きく変わろうとしていた。そして今、カイルはサラと“守護者”と共に世界を救うため新たな戦いに挑む。(amazonより)

 ターミネーターシリーズは世評の高い1作目と2作目のみ観賞済み。本作は予告編がなんとなく格好良かったので、以前から気になっていた。Amazon Prime会員になったのがきっかけで、観賞。

 ほぼほぼ想像通り、『ターミネーターシリーズ最新作』それ以上でも以下でもないが、SF作品としては充分面白い作品だった。

 

 今回はシュワルツェネッガー演じるT-800が大々的に登場するということもあり、彼自身の加齢をどう説明づけるのか、という問題、更に、今あえて新作を創る意義、新しさをどこに見いだすか、という部分が制作に当たっての課題だったろうと思う。

 筆者は上記の通り、シリーズの熱心なファンではないので、シリーズとしてどうか、という観点で満足も不満もない。客観的に言って、1,2作目を踏まえた最新作としては悪くない内容だろうと思う。特に冒頭の1984年のシーンは、ファンにとってはたまらないものがあっただろう。

 

 ただ、「ファンにとっては」という条件がかなりついてくるのは気になった。逆に言うと、初見の人はほとんどの場面がどう面白いのか、意味がわからないに違いない。本作には様々などんでん返し、意外性、驚き、逆転が組み込まれているが、そのほとんどが、1,2作目をしっかり観て覚えていることを前提にしているからだ。

 特に、冒頭20分ほどの展開は、多くの場面が「普通ならこうなる」という展開を破壊するように想定外の出来事が頻発するのだが、それは、時空操作SFとして、過去作の出来事がすでに起きた上で、それを起こらないようにするために手を打った結果起きた出来事になっている。「なるほどそうきましたか」という面白さはあるのだが、それはどんでん返しとは別種のものだ。

 

 どんでん返しというのは、普通の観客が常識でこうなるだろうと想像していたのと全く違う出来事が起きて、しかもそれが巧みに機能して物語を前進させる場合を指すだろうが、本作の場合はその前提が『ターミネーター』という、そもそも意外性に満ちあふれた作品であるため、「意外性ある展開を更に意外な形で裏切る」という構造になっており、正直言って、わかりづらい。

 物語中盤に発生するショッキングな出来事も、このショッキングさが最も機能するのは、本シリーズが大好きな観客に対してだろう。それ以外の人にとっては、「まあ冒頭のシーンであんなことがあったんだから、こうなることもありうるよね」というぐらいじゃないだろうか。

 そもそも、シリーズファンだけが喜ぶ「まさかあの人物が・・・・!」というのを、SFのメインアイディアに据えるのはいかがなものかと思う(あと正直、その人物をそういう状態にする必然性は、物語上あまり感じられなかった。人間を●●●●●●●にする、という新アイディアなら、もっと奥行きを創れたと思うのだが・・・・それは次作以降でやるつもりだったのだろうか?)。

 

「よく出来た二次創作」という印象はこのあたりから感じられたもので、たとえるならシリーズの熱心なファン同士が話し合った「俺が考える最強のターミネーター最新作」みたいな感じなのだ。「もしもこうなったら面白くね?」「アレがこうなってさ」と盛り上がるのだが、その素材は全て、シリーズで過去にやったことを膨らませた以上でも以下でもない。新味はどこにも足されていない。応用しているだけだ。

 その点、シリーズを明らかに前進させた『クリード』とは、どちらもある種の二次創作(原作者が脚本を書いていない)とはいえ、相当な差がある。過去作から新味がないという点では『スター・ウォーズ フォースの覚醒』に近いが、あの作品よりはアイディアがよく練られている。

 

 そう、二次創作だけれど、決して悪くない二次創作である。アクションシーンも派手だし、CGの出来もいい。サラ・コナー役のエミリア・クラークの芝居は秀逸。残念なのは、肝心のシュワルツェネッガーの演技が今ひとつ精彩に欠けるところだろうか。

 続編やる気満々の終わり方をしたが、この方向の続編はもう創らないらしく、また改めて新作を、ジェイムズ・キャメロンがちゃんと関わって創るらしい。まあ、タイムスリップものなので、複数の世界線を公式で創るのもたぶん、悪くはないだろう。たぶん。あえて人には勧めないが、個人的には充分楽しめる作品だった。

『ヤマカシ』★★☆☆☆

 

パルクールのアクションだが、今の視点からだと物足りないか

あらすじ

7人のストリートパフォーマーYAMAKASIを主人公にした、リュック・ベッソンプロデュースのアクションムービー。重傷を負った少年の手術代を捻出するため、彼らは強欲な病院の理事長たちの家に侵入しようと計画する。(アマゾンより)

 昼間観た作品でガックリきたのでもう一本観賞、なのだが、こちらも今ひとつ。

 どうやら実在するらしいパフォーマー、というか、パルクールのチーム、ヤマカシ主演のアクション映画。だが、この事実を知ったのは観賞後で、純粋にアクション映画として観賞した。

 公開は2001年と言うことで、この時期ならこのアクションに衝撃を受けただろうと思う。だが、現時点だと『007』や『キングスマン』にも取り入れられ、またYouTubeにも山ほどパルクールの動画が上がっているので、正直取り立てて面白みは感じられない。

 

 ストーリーは至ってシンプル、あらすじの通りで、ヤマカシのメンバーが強盗に入るのだが、その手段にも取り立てて工夫はない。普通に強盗に入って、逃げるときちょっとパルクールっぽくアクションするくらい。それもたくさんカットが割ってあるので、もうひとつ興奮がない。ジャッキーの昔のめちゃくちゃやっているアクションのほうがよほどドキドキする。

 そして当然、芝居については素人なので、素人なりの素朴さはあれど、観ていて熱が入るほどの面白みもない。なので、アクション部分に気持ちが入らなければ、今あえて観て面白い部分はあまりないのだ。

 

 アクション映画とはいえ、ストーリーにある程度の力(喜劇でも悲劇でもいい。メッセージ性でもいい)を入れないと、時間が経ったときに誰も観てくれなくなってしまう。アクションやエロ、暴力やグロなど、刺激によって観客を喜ばせるエンタメは、果てしなく刺激が上がっていく一方なので、同時にあっという間に劣化していくからだ。より刺激の強いものに慣れ親しんでしまえば、昔のものはただ中途半端にしかならない。残念。

『現地(にいない)特派員』★☆☆☆☆


スペシャル・コレスポンデント -現地(にいない)特派員ー

せっかくのアイディアを台無しにする詰めの甘い脚本、テンポの悪い芝居と編集

あらすじ

パスポートを失くしたラジオの報道チームが、NYに潜伏しながら最前線レポートを捏造することに。嘘が嘘を呼び、どんどん深みにはまっていく。(Netflixより)

 ネットフリックスオリジナルで以前からあらすじが面白そうなので気になっていた作品。尺も短めで気軽に観れる、のだが、実際に観賞してみると実に退屈で困ってしまった。

 内容はあらすじの通り、「諸事情で現地に行けなくなってしまったラジオ局の特派員が、南米の戦地にいるかのように見せかけるコメディ」である。これを聞くだけでも様々なアイディアが浮かんできそうだ。

 音やセリフで巧みにごまかし、ハプニングもなんとか取り込んでリアルな中継を行い、バレそうになって冷や冷やすることも多数・・・・でも最後には自分たちの浅慮を恥じた主人公たちが、この状況を打開して一歩人間として成長する、みたいな。そういうのを観れる・・・・と思っていた。

 

 しかしながら、こういう期待しているネタはまったく、出てこない。そもそも「バレそうになって冷や冷やする」くだりすら、ない。これはもう異常である。この「無茶な秘密を隠し通す」系のコメディだったら、それをやらないというのはもう根本的に笑いがわかっていない人間としか考えられない。

 音だけで何とかごまかそう、なんて笑いのネタとしてはもういかようにでもできる。ちょうど発売したばかりの『波よ聞いてくれ』というラジオ局題材のコメディ漫画があるが、 

波よ聞いてくれ(6) (アフタヌーンKC)

波よ聞いてくれ(6) (アフタヌーンKC)

 

  本作などはこの手の笑い満載である。本当はやっていないけれど、音だけは巧みに再現して何とかごまかす・・・・というのは、音の深刻さ、聞いている人の印象と、実際にやっていることのくだらなさの落差が最高に面白くなるはずなのに、そういうネタはことごとくスルーしていく。

 いいアイディアが根本にあっても、まともに転がさず、考えを深めず、表層をなぞっていくだけで思いつきを列挙していく程度なら猫に小判、豚に真珠で何も面白くない。

 

 そしてその代わりにあるのはなぜか、だらだらとした面白くないセリフの応酬と、性格の悪い主人公の妻が暴走していく様の描写。これがもう、本当に面白くない。

 主人公を匿ってくれているレストランのオーナー夫妻も、メキシコ移民として描写されているのだが、なぜか異様に頭悪く描写されていて、しかもそれを補えるような魅力が一切出てこない。彼らの絡む会話は進みが阻害されてただイライラする。主人公たちも気の利いたことを言おうとしているのだろうがまったく言えておらず、どこかで観たような薄っぺらなジョークを連発するばかり。

 

 さらに主人公たちを差し置いてやたらと前に出てくるのは主人公の妻なのだが、彼女の暴走はアイディアとして悪くないにしろ、この作品の根本のネタとは全然別種のものだ。入れるなとはいわないが、その前にやるべき事が山ほどある。

 それに、実は現地に行っていない夫と遭遇するシーンがあるのだが、一番の笑いどころのはずなのに、演技を完全に間違えているので全く笑えなく仕上がっている。夫をだしにして成り上がろうとしていた彼女が夫をアメリカ国内で目の当たりにしたら卒倒するほど驚くはずなのに、全くリアクションがない。これは明らかに異常だろう。

 

 その上、後半部分に至っては根源だったはずのアイディアをぶん投げてなぜか、現地に向かう。そう、現地に居ないから面白いはずの主人公たちが、現地に向かうのだ。まあ行くなとは言わないが、これにしたってその前に、やれることをやれるだけやりきったあと、最後の手段としてでないといけない。いや、それ以前に現地に行けるんだったら最初から行けよ!

 どこを切り出しても失敗している。制作者はまるきり笑いがわかっていないとしか思えない・・・・のだが、どうやら『The Office』のイギリス版を創った俳優が脚本兼監督兼助演をしているらしい。彼個人の笑いの趣味とこのベタベタのお笑いネタが、マッチングしなかったのだろうか。

『スパイダーマン:スパイダーバース』★★★★★


映画『スパイダーマン:スパイダーバース』本編映像<スパイダーマンは1人じゃない編>(3/8全国公開)

変化球かと思いきや超速球直球、王道の一品。新たなスパイダーマンの可能性が拓けた

あらすじ

ニューヨーク・ブルックリンの名門私立校に通う中学生のマイルス・モラレス。実は彼はスパイダーマンでもあるのだが、まだその力をうまくコントロールできずにいた。そんな中、何者かによって時空が歪めらる事態が発生。それにより、全く異なる次元で活躍するさまざまなスパイダーマンたちがマイルスの世界に集まる。そこで長年スパイダーマンとして活躍するピーター・パーカーと出会ったマイルスは、ピーターの指導の下で一人前のスパイダーマンになるための特訓を開始する。

 確か『ヴェノム』の感想を書いたとき、エンドロール内で披露された本作の予告の印象が最悪で、「絶対観ない」と言い切っていた気がする。なにしろ映画観終わった後なのに中途半端な無関係アニメの一部分がえらく長く、5分近く流されたのだから興ざめもいいところで、「スパイダーマン好きなんだから観るだろ」といわれているような気になって腹が立ったので「観てたまるか」という気になったのだ。

 しかし、アカデミー賞の結果やら、周囲の映画好きの感想やらを観て行くに、だんだん無視も出来ないな、というか面白そう、という気になってきて、ようやっと観賞。

 3Dアニメながら2D的な良さを徹底して導入した新時代のアニメーション作品。このあとのアニメは本作を無視しては創れないだろう。一方で筋書きは、意外なほど王道中の王道で、マニアとライトファンの両方へ目配りがなされた良作。

 

 まず、『ヴェノム』内予告はなんであんなシーンを選んだのだろう(笑)。まあ、スパイダーマン大好きな人からすると「●●が死んでる・・・・!?」となるのかもしれないが、そこまでのファンじゃない人間からすると「まあそういう話もあるだろ」としか思えない。場面としてもそんなにパッとしないし。

 言い換えると、あのシーン以外はとにかく、かっこいい。頭から終わりまで「カッコいいとはこういうことさ」と言わんばかりのクールな表現の嵐。映画は「気持ちいい速度で新しい情報が出てくる」のが良作なのだが、まさに、頭がパンクする直前のギリギリのラインで、わかりやすく斬新な内容が描かれ続ける。ありがちなネタで退屈したり、だらだら喋っている説明セリフでうんざりする瞬間は一秒もない。

 実際、120分以上の作品だったが、体感としては90分くらいだった。もっと観ていたいくらい。

 

 3DCGで創られていて、画面内は恐ろしいくらいのオブジェクトが動きまくっており制作の工程を想像すると頭がおかしくなりそうだが、同時に2D表現の面白さ、よさ、たとえばペンで描いたような平面らしく見える効果を加えたり、版ズレ(印刷時に特定の色だけズレて印刷してしまうこと)を意図的に再現したりと、観ていて気持ちよくなる遊びが山ほど詰め込まれている。

 そう、どこをとっても「気持ちいい」を優先しているように感じられた。テンポの良さ、展開の早さ、音楽の格好良さ、キャラの魅力。お約束や決まり事の類いは全部、気持ちいい表現に書き換えられていく。それは作品冒頭で主人公が描く、グラフィティアートが象徴的に表現しているように感じる。ルールよりも「格好良くて気持ちいい」ことのほうが大事なのだ。

 バリバリのセンスによって、面白くってカッコよくて観たことないアイディアが敷き詰められ、しかも過積載にはなっていない。間違い・嘘・矛盾・意図的な誤謬は全部(面白かったら)OK。この感覚、『キルラキル』あたりに近いかも知れない。実写版には出来ない、(そもそもが主観的感覚によって構築されている)アニメーションだからこそ出来る表現なのだ。

 

 ところが一方で、筋書き自体は驚くほどに王道。少年の成長譚。マルチバースから無数のスパイダーマンたちが・・・・という意表を突いたアイディアながら、やっていることは実は極めてシンプル。「自分と同じ存在が大勢いる」というシチュエーションからならもっと、異例の展開や感情を導き出せそうなのだが、結局それはやらなかった。正直言ってその点だけは、若干物足りない。「それはこのお話でないと描けないこと?」という疑問は感じた。

 ただ、表現として斬新な部分が非常に多いので、バランスを取るなら話はベタなぐらいでちょうどよかったのだろう。これで「私は・・・・誰だ」的な、ミュウツーみたいな悩みを吐露していたらわけわからなくなっていたおそれもある。続編やスピンオフ以降では、より踏み込んだネタに向かって欲しい。

 

 コメディ要素もたっぷり、メタ的なネタも満載。そしてスパイダーマンのことをよく知らない(自分のような)人間も、かわいい&かっこいいキャラたちに大満足。尺が足りていなくて一部のスパイダーマンは描き切れていなかったので、さらなるアニメシリーズの展開を期待したい・・・・というか、絶対すると思う。

 ソニーピクチャーズはスパイダーマンの権利を保持し続けている一方で、MCUに加入する以外にスパイダーマンシリーズを拡大することができず、宝の持ち腐れ状態じゃないだろうか(ヴェノム系のヴィランの拡張だって、本丸のスパイダーマンとの絡みがしづらいので限度があるし)、と思っていたが、ここで見事に、スパイダーマンだけでシリーズ展開していく端緒を拓いてみせた。

 

 また新しく金をむしり取られ続けるユニバースが生まれてしまうのは個人的にはしんどいが(笑)、でも、グウェンとかペニーとかノワールのスピンオフは観たいもんなあ・・・・。あと、いつかトム・ホランドの実写版ともクロスオーバーして欲しいです(この設定なら可能だし)。

『グリーンブック』★★★★☆


【公式】『グリーンブック』3.1(金)公開/本予告

想像外の軽妙なコメディ、しかし背負うものは重く大きい

あらすじ

1962年。天才黒人ピアニストは、粗野なイタリア系用心棒を雇い、〔黒人専用ガイドブック<グリーンブック>〕を頼りに、あえて差別の色濃い南部へコンサート・ツアーへ繰り出す。旅の終わりに待ち受ける奇跡とは? まさかの実話!(公式サイトより)

 アカデミー作品賞受賞、ということで評判を聞きつけて観賞。ただ、事前の賞関係レースで、スパイク・リー監督が批判的な言葉を吐いていたことは聞いていた。

 実際に観賞してみると、その言葉も無理もないかな、という感もある意外なほどあっさりした物語・・・・のようにも感じられるが、内包している問題の深みはかなりある。そんな重さをあえて感じさせず、楽しく魅せてくれる物語。

 

 基本的には実話ベースだが、あくまで映画であり、また、脚本を書いたのは主人公二人の片方・トニーの実子ということもあり、ある程度のバイアスは掛かっている模様。

 黒人と白人の60年代アメリカにおける対立と和解を描いた物語、というのはあらすじを見てもわかるとおりなので、「そういうお話」を想像しながら見始めるが、物語は荘単純ではなかった。まず、明快な対立は描かれていない。

 わかりやすく「ふたりの対立」⇒「激昂」⇒「救済」⇒「友情」みたいな、きっかけが具体的な展開ではなく、結構早い段階でお互いに対してそれなりの、人間らしいリスペクトは生じる。しかしそれでもどこかぬぐえない「偏見」という、現代でもよくあるどうにもしがたい感情・感覚がコミカルな方法で描かれている作品だった。

 

 なにしろ、主人公のピアニスト、ドン・シャーリーはクラシック音楽ベースのジャズピアニスト、という腕も立ち知性もあるタイプの人物で、演奏を聴けば一発で「天才だ」とわかるレベル。なので、粗野で黒人に偏見を持っている主人公・トニーも一目置かざるを得ない。その意味で、シンプルに黒人差別を描く物語とは違ってくる。

 個人的にクラシック音楽をよく聞くのでそのあたりの事情は非常に理解出来るのだが、黒人のクラシック演奏家は現代でも(自分の知る限り)ほぼ存在しない。アジア人もラテン系もいるのだが、黒人は全然いない。指揮者ではごく少数存在するが、それ以外の演奏家はほとんど見当たらない。いても金管楽器奏者が大半。ピアニストは、技巧はあってもジャズピアニストになっていく・・・・もしくは、ならざるをえない。

 つまり、彼は自分の軸足、地盤になる場所から排除されざるを得ない、マージナルマンということになる。この主題は、終始描かれ続けていく。

 

 また、トニーもイタリア系移民ということで、アメリカで主流でいられる人物ではない、というのもミソだった。トランプ政権下で浮き彫りになっている「下流白人」の被害者意識も題材の一つに練り込んである。どうあがいてもろくな暮らしが出来る気がしない、その日暮らしの人生の中で、金持ち上流階級の黒人と出会う、という非常にレアなケースを描いているのだ。

 そんな彼らが、長旅の中でちょっとずつ、親しくなっていくストーリー。実はこういうタイプのお話はとても描くのが難しい。先にも書いたように、明確な結節点を設定して、そこを乗り越えるとゴールに近づいていく、という構成を組んだほうが、失敗はしにくいのだ。少しずつ距離を縮めていく、という構成だと、ちょっとしたバランスのしくじりで映画全体が台無しになりかねない。本作では、この舵取りに成功している。

 

 というわけで、気の利いた小品、でありながら重層的な主題を持っている佳作であり、また、主要登場人物にイヤな人がいない、という観客にストレスを感じさせにくい形式も相まって、非常に観やすい作品なのだが、同時に、「作品賞か?」という疑問は少し、残る。

 個人的な感覚で言えば、『ROMA』や『ファースト・マン』のほうが重厚で興味深い主題を扱っていると感じる。読み深めに耐える作品強度としても、本作は決して強いとまでは思えない。クリスマスシーズンに観る心温まるいい映画、としては十二分に薦められるのだが、それ以上になり得るかというと正直言って、疑問は残る。やはり政治的な事情が絡んでいるのだろうか。

 

 スパイク・リーの『ブラック・クランズマン』も早く観たいな、と思いつつ、本作もよかった。良作。