週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『ファーゴ』★★★★☆

 

虚無を味わわせるノンフィクション風フィクション。しかし今は、もう一歩先が見たい

あらすじ

自動車ディーラーのジェリーが、借金返済のために軽い気持ちから、裕福な家庭で育った妻の偽装誘拐を工作し、義父からなんなく身代金をせしめようとした。誘拐を頼んだ大男と小男のコンビ。単なる偽装誘拐のはずが、運悪く死者3人を出す凶悪殺人事件に発展してしまう…。(amazonより)

 

 コーエン兄弟作品は『ノーカントリー』『バスターのバラード』あと一本なにか(印象が異常に薄い)に続いて4本目のはず。評判も高いので以前から期待していた作品。
 結論から言うと、非常に良くできていて期待はずれではなかったが、「ああ、こういう感じか・・・・」という感は否めない。これが筆者が映画ばかり見ているせいなのか、それとも時代性の問題なのかは難しいところだが。

 

 内容は、狂言誘拐の予定が妙なことから計画が狂っていき・・・・というサスペンス。間が悪く、良く言えば不器用、正直に言えば愚かな主人公が目先の金のために始めたくだらない行動、そして巻き起こる過剰なまでの暴力、という点は北野武作品を思い起こす。

 ボタンの掛け違い、などという上等なものではない、問題は登場人物ほぼ全員が自己を過信した愚か者である、というところにあった。

 

 冒頭で提示されているように、あたかもノンフィクションであるかのような妙なリアリティのある内容である(実際にはそういう体裁のフィクション)。巻き起こる出来事や劇中のセリフの生っぽさ、悲劇から受けるどうしようもない虚無感などは、現実で起きた絶望的な犯罪と近しいものがある。

 映画やドラマの犯罪は、何かを学ぶ余地があるように作られている。現実のそれにはそんな優しさはない。

 

 ただ、そのあまりの生っぽさが逆に、果たしてこれをフィクションで描く意味とは何かを考えさせる。「空っぽな犯罪」の空っぽさをピンポイントで抽出した物語なので、そういうストーリーとしての存在価値は大いにあるのだが。

ノーカントリー』の救いの無さとも違い、ただぽっかりと存在しているような不思議な味わいの事件。コメディ的な佇まいも、たけし映画と共通しているところだろう。

 

 もしかしたら筆者個人が寓話性を作品に求めすぎるのかもしれないし、あるいはこうしたタイプの「アメリカ犯罪ドラマ」を見すぎているのが悪いのかもしれない。

 見ごたえはしっかりあり、登場人物のキャラクターはどれも強烈かつ現実でも見覚えのあるものばかり。強いてまとめるなら、「男は皆愚か」といったところだろうか。なんだか文句を書き連ねてしまったように見えるが、良作です。おすすめ。

『ゲット・アウト』★★★★★

周到に組み上げられた現代の寓話。自分の眼差しは「誰」のものなのか

あらすじ

ニューヨークに暮らすアフリカ系アメリカ人の写真家クリスは、ある週末に白人の彼女ローズの実家へ招待される。若干の不安とは裏腹に、過剰なまでの歓迎を受けるものの、黒人の使用人がいることに妙な違和感を覚える。その夜、庭を猛スピードで走り去る管理人と窓ガラスに映る自分の姿をじっと見つめる家政婦を目撃し、動揺するクリス。翌日、亡くなったローズの祖父を讃えるパーティに多くの友人が集まるが、何故か白人ばかりで気が滅入ってしまう。そんななか、どこか古風な黒人の若者を発見し、思わず携帯で撮影すると、フラッシュが焚かれた瞬間、彼は鼻から血を流しながら急に豹変し、「出ていけ! 」と襲い掛かってくる。“何かがおかしい"と感じたクリスは、ローズと一緒に実家から出ようするが・・・。(amazonより)

 

 事情あって資料として観なければならないのだが、とにかくこわがりでホラーが苦手なので、実はあらすじを全て把握した上で観賞した。制作者には本当に申し訳ない気持ち。しかし、何が起こるかわかっていないと怖すぎてとても観られなかったのだ。

 非常に恐ろしいと評判の本作だが、個人的には恐怖のベクトルが、通常のホラーとは異なって感じられたのが面白かった。現実に存在しうる恐怖を、寓話の形で示して見せた本作は、確かに脚本を評価されるべきだろうと思う。

 

 ネタをばらしすぎてしまうとあまり面白くないので、できるだけ具体的に描写しないように語ると、本作は「他者の視点」とはどのようなものなのか、について描いているのだと思う。

 たとえば民俗学文化人類学のような学問は、遠く離れた場所に居る(とその時点で感じている)民族や集団に深く入り込み、彼らのものの見方、考え方を学び、分析し、ひるがえって自分たちの文化を顧みるところに元々の意味があった。

 しかし、80年代後半から90年代にかけて、そうした姿勢に対して強い批判が学内外からわき出るようになった。つまるところ、それはある文化とある文化の間に存在する力関係を無視しているのではないか、他者の視点を無批判に(あるいは感傷的に)奪い取っているだけなのではないか、という問題が出始めたのだ。

 

 そもそもが「遠く離れた見知らぬ文化の部族の人々と親しくなることで、自分たちの文化の愚かしさを反省するべきだ・・・・」というロマンティシズムが、こうした異文化の研究にはどこかに存在していたので、こうした批判に対してはなかなか有効な反論(新たな解答)を生み出しにくい。

 すくなくとも、筆者が大学で勉強していた2000年代後半頃は、未だに批判に絡め取られているようだったと記憶している(全然優秀な学生ではなかったので、学問の先端ではそんなことなかったかも知れないが)。

 で、この映画は、そうした形での「他人の視点の収奪」について描いている・・・・のだと、筆者は思ったのだ。

 

 かつてアフリカ系アメリカ人に向けられていた直接的な差別の視点はもちろん今でも大いに残っているけれど、問題はそれだけではない。当事者にとっては、「下に見る」以外の形であっても不愉快になり得て、差別になりうる。それを、非常に上手い形で描き出しているのがこの作品だと思う。

 憧れ・愛情・希望・欲望・尊敬、といった、通常であればプラスに働くはずの感情。たとえば障碍者に対して、「一生懸命生きている努力の人」というような眼差しを向けることが、果たして素晴らしいことなのか。その皮を一枚むいた下には、結局「自分たちとは違う連中」という意識が蠢いているだけではないのか。

 

 本作は、表面上で起きている出来事そのものよりも、その下で動く人々の感情や考えのほうが遙かにグロテスクで、気味が悪い。そこをシンプルなアイディアでえぐりとった監督の手腕は、さすがコメディアン出身、そして当事者だけあって鋭く、皮肉に満ちている。

 観ようによってはこれはコメディにすらなり得るだろう。秀作。

『ハッピー・デス・デイ 2U』★★★★☆


ハッピー・デス・デイ 2U (2019) - シネマトゥデイ

なるほど、の手法で登場人物たちを掘り下げ、まさかの涙もアリの秀作続編

あらすじ

誕生日の繰り返しから抜け出して翌日を迎えたツリーは、恋人のカーターと充実した生活を送ろうとしていた。しかし、今度はカーターのルームメイトのライアンがタイムループに巻き込まれ、謎の殺人鬼に狙われてしまう。やがて、すべての原因が、ある研究に関係していることに気づいた3人だったが・・・・。(映画.comより、一部編集)

 

 一作目があんまり楽しくて、しかも最後に2作目の予告編がついていたのでつい勢いで同日に観賞してしまった2作目。まずそもそも続きで何をやるのか、プラス、やるとしても面白くなるのか、という疑問があった。しかし、観賞済みの人の感想で「驚いた」という賞賛の声を聞いていたので、とりあえず観てみると・・・・。

 本作についてはネタバレあり・なしでわけたほうがいいだろう。ネタバレなしでいえることとして第一には、「できる限り同日中~数日中に2作目を観たほうがいい」ということ。ほぼ物語的にもテンション的にも連続しているので、普通の映画の続編のように数年後に観たりするようなことはせず、キャラクターに愛着が湧いているウチに続けざまに観るとより、楽しめるだろう。

 

 そう、本作はキャラクターの内面を掘り下げた続編。ジャンルムービーは通常、人物造形を掘り下げるというよりお話の仕掛けや枠組み、アイディアを楽しむものだと思うが、本作の主人公・ツリーは1作目を見るとわかるようになかなか強烈なキャラで、彼女をさらに楽しむためにどうするか・・・・となったときに、「こうするか」というアイディアが出てきたのではないだろうか。

 なので、1作目で彼女が気に入らなかった人はわざわざ観る必要はないだろう。そして、2作目を彩るもう一つの大切な要素は「ジャンルムービー」そのもの。1作目は基本的に青春もの&ループもの&サスペンス&ホラー(&ミステリー)だったが、さて2作目は・・・・。

 

 最終的には1作目よりも深まった物語で涙と笑いを誘ってくれる良作。気になるくらいなら是非観て欲しい。以下はネタバレありで。

 

 

 

 

****************以下ネタバレあり**************

 

 

 

 

 さて、2作目は果たしてどう出るか、と楽しみにしていたが、まさかのメインジャンル変更という荒技で全く別物に仕立ててくるとは思わなかった。まあ、ホラー路線を続けても「さらに激しくする」以外やることがなくなってくるのだから、この判断は正解なのだが。

 殺人鬼ホラー映画という印象を2作目からはほぼ受けないだろう。それよりももちろんメインのオマージュ元は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。次元移動のために青年たちが奮闘する姿は、青春SF映画の王道そのもの。無理解で横暴な大人、恋愛、親子愛。今年公開の新作なのに、どこか「懐かしい」と感じさせてくれる。

 

 正直言えば、1作目以上にごった煮感が強まっているので、気に入らない人は「散らかっている」と感じてしまうだろう。しかしこれも意図的なものかも知れない。自分たちの好きなものをこれでもかと詰め込み、遠慮がない。尺もギリギリ、観ようによっては内容の割りに足りていないぐらいである。

 しかし、本作はやはり1作目での魅力的だったあまたの登場人物を再登場(というか追加の新キャラはごく少数)させ、どんな過去、どんな秘密、どんな内実を抱えているかを描き出し、さらに描くことが出来ないor描く必要がない人物については、別世界の同一人物ということで人間性を変えてまで描き出している(笑)。

 

 この多世界解釈の導入のおかげで、同じことに繰り返しではない物語が生まれ、きちんと1作目での成長の上で主人公に描くべき問題が生まれているのが上手い。母か彼か、という正解の出しようのない難題に、真剣に悩み苦しむ姿は共感を呼ぶ。しかもその難題に、きちんとストーリーを通じて納得のいく「答え」を導き出している。

 大体、映画の続編は1作目のヒットを受けてのことなので大してやることがなく、結局薄っペラな二番煎じになりがちなのだが、本作はそれを避け、さらに最近ありがちな「1作目を観てないあなたも観れます!」的な発想を完全に無視した完全続編という割り切りスタイル。1作目をきっちり見ていないとさっぱり訳がわからない作品に仕上がっている。それだけでも今時珍しいすがすがしさがあった。

 

 母との対話の下りは、思いもしない涙を誘う。1作目よりも訴えかける内容は格段に深みを増し、見応えがあった。人生の選択は、過去を見るより未来に向かって。本作もよい意味でハリウッド映画らしい前向きでまっすぐなメッセージを打ち出してくれる。こういう、尺が100分以内の気軽に観られて幸せになれる誠実で職人的な良作が、もっと増えてくれるといいんだけどなあ・・・・。

『ハッピー・デス・デイ』★★★★☆


ハッピー・デス・デイ (2017) - シネマトゥデイ

直球だけれど全力で描く、アメリカらしい良作青春ホラーコメディ

あらすじ

イケてる女子大生で遊んでばかりのツリーは、誕生日の朝も見知らぬ男のベッドで目を覚ます。慌しく日中のルーティンをこなした彼女は、夜になってパーティに繰り出す道すがら、マスク姿の殺人鬼に刺し殺されてしまう。しかし気がつくと、誕生日の朝に戻っており、再び見知らぬ男のベッドの中にいた。その後も同じ一日を何度も繰り返すツリーは、タイムループから抜け出すため、何度殺されても殺人鬼に立ち向かうが……。(映画.comより)

 

 評判は聞いていた良作だが例によってホラー苦手なのでなかなか手を出せず。いざ観賞してみると、わりとちゃんとホラーしていたがそれでも何とか観ていられるくらいで、さらにネタやテンポ、主演の芝居でバリバリ笑わせてくれる良作。

 アイディアについては上記のあらすじ通り、ループもの×ホラー映画というジャンルムービーらしいもので、まずはこの一発で考え始めた作品なのだろうとわかる。映画好きの人が観ればあの名作『○○は○○○○』へのオマージュだとすぐわかるだろう。

 

 ホラー映画で即死間違いなしのザ・ビッチ感まるだしな主人公・ツリーが、謎のマスク男に何度も何度も何度も殺されてしまう。実は本作、この主人公含め登場人物のキャラクターが非常によい。同じ行動の繰り返しになるループものではやはり登場人物に愛着が湧かないとつらいものがあるが、ここは脚本も主演の芝居もよく、飽きずに見せてくれる。

 言ってしまえばメッセージ性も何もない(笑)。説教臭いことをやるのかと思いきや結局やらなかったり、という流れで90分強、笑ってビビってにやりとして、満足して映画館を出られる、「深夜にテレビでやってたらつい最後まで観ちゃう」系の作品。でも、ハリウッドの青春映画というのはそういうものであってほしいのだ。

 

 アメリカの学生たちのノリと勢い、青春のとある日を通り過ぎて間違いなくちゃんと成長する子どもたち(日本映画のように成長したようなしていないような・・・・というまどろっこしさはない! 少年少女は成長する! 人生は前を向いて進んでいく!)。

 もちろん、上述のように過去の名作への目配せを随所に忘れない、でも難しいことは1ミリも考えなくても観られる。ちなみに監督は『ゾンビーワールドへようこそ』と同じ。ノリも大体同じ(笑)。気軽に映画を楽しみたいときは是非。

 

 そしてよろしければ、同時に続編の『ハッピー・デス・デイ 2U』も・・・・。

『マイマイ新子と千年の魔法』★★★★★

マイマイ新子と千年の魔法

マイマイ新子と千年の魔法

 

遊びに満ちた無邪気な子ども時代が揺れる、きっと身に覚えある日々の物語

あらすじ

青い麦畑が一面に広がる山口県防府市。快活な少女・新子は、麦畑に飛び込んで、その昔あったという千年前の都や、そこに住む少女など様々な空想をすることが大好きです。クラスになじめずにいる転校生・貴伊子を麦畑に連れ出す新子。しだいにうちとけてきたふたりですが──。(amazonより、一部編集)

 

この世界の片隅に』の片渕監督の2009年作品。パッと見た感じどんな物語なのか全くわからず、かといって観賞後に「どんな話なのか」と聞かれても簡単には説明出来ないので、なかなかこれをヒットに持ち込むのは難しいだろう、と感じるのだが・・・・。

 実のところ、非常に素晴らしい作品だった。『この世界』同様、非常に丁寧に描かれているのは、戦後十年の中国地方。雰囲気は『となりのトトロ』に近いかも知れないが、あの作品よりもずっと現実的で、揺れ動かないしっかりとした視点を保った良作。

 

 あらすじでは「快活な少女」とまとめられているが、主人公・新子はむしろ、空想好きな赤毛のアン的な少女で、どれだけ他人と接してもどこか地に足ついていないところがある。いっぽう「クラスに馴染めない転校生」と書かれている貴伊子は、無邪気に遊ぶことが出来ない・・・・というか、遊び方がわからない少女。

 物語は「遊ぶ」ということを軸にして描かれる。空想を遊ばせ、他人と遊び、自然と遊ぶ。劇中でとある人物に起きた出来事は、「上手く遊ぶ」ことができない人間だからこその事件だった。自由に、自在に遊ぶことの大切さ、必要性を非常に自然に描いている。空想に日々浸っていた頃の子ども時代の感覚を喚起してくれる。

 

 しかしそれだけでなく、現実に向き合わなければならない、現実に向き合いながらも遊べるようにならねばならない、ということも物語全体を通して描き出していく。遊びはあくまで、現実で暮らし、現実を癒すために行われることだからだろう。

 そんな双方向から二重のメッセージを、同時進行で複数の人物の視点を渡り歩きながら(さらには時代すら縦横に駆けながら)描いているので、なかなか全てを読み取るのは難しい・・・・のだが、そんな細々したことを考える必要もないだろう。日本版『赤毛のアン』として、隅々まで行き届いた情景と心理描写を味わい尽くすだけで充分価値のある傑作。おすすめです。

『天気の子』★★★★★


映画『天気の子』スペシャル予報

過去の作品たちを踏まえた、新海版○○○としての快作。

あらすじ

離島から家出し、東京にやって来た高校生の帆高。生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく手に入れたのは、怪しげなオカルト雑誌のライターの仕事だった。そんな彼の今後を示唆するかのように、連日雨が振り続ける。ある日、帆高は都会の片隅で陽菜という少女に出会う。ある事情から小学生の弟と2人きりで暮らす彼女には、「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力があり……。(映画.comより)

 

 前作『君の名は。』については、個人的には引っかかることがいくつかあり、一番好きな(というか記憶に残っている)のは『秒速五センチメートル』だった。新海作品は全て観ているが、どちらかといえばビターな印象の作品のほうが好み。

 さて、今回はネタバレありで分けて書く必要がありそう。ネタバレナシでの感想としては、かなり好きな内容だった。まずキャラクターは前作同様非常にキャッチー。デザインもかわいく、声はどれもよくハマっている。小栗旬平泉成がよかったし、前評判でああだこうだ言われていた本田翼もいい芝居だった。かといってリアルに偏らず、アニメや漫画らしい茶目っ気もきちんと込められている。コミカルでかわいい、前作以上にメジャーな作品だと感じた。

 

 映像美は前作よりも更に増えたであろう予算をふんだんに突っ込み、東京の街をCGで徹底再現してぐりぐり動かす凝りよう。もちろん本作の重要要素である天気の表現はカラフルでよく動き、美しい。特によいのは、「凄いことをやっている」という感じが過剰に伝わらない、つまり、きちんと抑制しコントロールしながら、美術周りが作り上げられているということだと思う。

 と、見事な作品・・・・なのだが、「とある点」が気になっていた。ここが人によって気になるかどうか別れてくるポイントだと思うのだが、これによって感想も大幅に変わってくるだろう。他の人の感想を観てみたい・・・・と感じる作品に仕上がっている。

 

 この先、ストーリーに関してはネタバレなしには、というか観賞後でなければ語れない要素があまりに多い。ライト層だけでなく、読み深め好きなアニメオタクや映画ファンにもオススメの作品なのは間違いなし。また、「もう一度観てみたい」という気持ちにもなる。前作からしっかり一歩踏み出した作品だった。 

 

 

 

 

*************以降、ネタバレあり*************

 

 

 

 

 さて、正直に言えば自分は、かなり終盤までこの作品に感情移入出来なかった。理由はシンプルで、「主人公に共感出来なかったから」。

 まず主人公の悩みや行動に共感させるのは物語の重要な要素で、これを怠るとストーリー全体が他人事にしか感じられなくなってしまう。お客にあたかも自分の問題であるかのように感じさせるのが大切なのだが、本作は観ていても主人公の行動の感情的な無計画さがどこまでも続く。まあそれは、子供だから、で説明つくとはいえ、根底にあるはずの「島を出てきた理由」の欠如が終始引っかかり続けていた。

 

 普通、どんな物語でもどこかのタイミングで主人公の抱えている悩みは提示されるし、物語を通してそれは解消される。「信頼出来ない語り手」の手法で意図的にそれを伏せる描き方もあるが、それだときちんとその不信感を描く必要がある。「こいつは信じてはいけない」とどこかでみせなければならない。

 しかし本作の主人公は、肝心の家出の理由を最後まで出さない。しかもラストシーンでは「別に戻ってみればどうということもない日常だった」で済ませている。これは異常なことで、明らかに意識的に行っていることである。ここから伝わるのは、「一般的な高校生の家出程度の他愛もない理由だった」ということ。

 

 フェリーに乗っている主人公が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいるのも、「この人物は家出にあこがれを持っている少年である」ということを示している。しかも野崎訳でなく村上春樹訳ということは、同じ少年の家出物語である『海辺のカフカ』への目配せでもあるだろう。

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

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ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

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海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

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  どちらも精神が不安定な少年による家出物語であり、『カフカ』は現実か虚構か判断のしようのない事件が巻き起こる、というのも意味深である(ちなみにこれらの物語でも、主人公の家出のきっかけは描かれている)。

 

 大したことない漠然とした不安に近い理由、「光を追いかけていった」という説明がある程度で、どうもしっくりこないままラストまで向かうので、彼がどんな事件に巻き込まれても、ふぅん、としか観ていられず、いったいどういう狙いなのか、まさか単に思春期特有の悩みから家出するだけの少年なら感情移入出来る、というつもりなのかと疑問を感じ、これは前作のほうがよかった、と途中まで思っていた。

 のだが、あの終盤を迎えて、この全てが自分の中ではひっくり返った。

 

 空に主人公とヒロインが昇ったとき、「これは連れ帰ったら雨が続いて東京は水没するのでは?」と思った。そして、まさかそんなことはしないだろう、したら素晴らしい、なんて高をくくっていたのだが、一切逃げずにまさにその通りになったので驚いた。本作は彼らの罪を描くために構成されていたのだ。

 意地悪な言い方をすると(本作はとても意地悪な作品だと思うのだが)、主人公たちがやったことは、自分たちの愛のために世界を滅ぼした、ということになる。非常に身勝手で、おそらく不愉快に感じる人も少なからず居るはずだ。16歳と15歳の子供の、とても幼い愛情が東京を水没させたのだ。彼らはその責任は負わざるを得ない。

 

 この水没した東京の光景が思い出させたのは、『エヴァンゲリオン』の画である。たった二人の若い男女の気持ちの問題で世界が呆気なく滅びへ向かう、非常に似通っていると思うが、主人公の性格が全く逆になっている。シンジは徹底して悩み抜き絶望するが、本作のヒロインはラストシーン、3年後の光景でも描かれているように、苦悩の陰は少なくとも表面上は薄い。

 これを性格の差と捉えるか、それとも本作の主人公だって3年間にシンジなみにいろいろ苦しんだけれど今は落ち着いていると考えるかは悩ましいが、普通後者なら、そのことが伝わるように演出するものだろう。少なくとも筆者は、主人公は感情的に行動しがち、かつ、自分を悲劇の物語の主人公だと思いがちな人物であるように感じてしまった。理由は家出のきっかけの薄さ、劇中での須賀や刑事など、大人の説得に対する反射的なリアクションである。

 ただ、もちろんこれらの行動上の特徴は、ごく普通の高校生なら備えているもので、そこまで主人公を非難する気にはなれない。また、少なくともヒロインは3年後も、たった1人で水没した世界にいのり続けていた。自分はもう巫女ではなく、この世界をこうしたのは自分だとわかっていながら。

 

 その上でこの物語全体を改めて捉えると、とても残酷といえる。ラスト周辺で大人たちは、世界を水没させた彼らをフォローしたり(主人公に前科持ちにされたのに)、そもそも水没した世界を肯定したりしているが、しかしあんな状態になって死者が出ていないなどと脳天気なことは言っていられない。社会もめちゃくちゃになって、取り返しのつかない状態になっているに決まっている。だが主人公たちは、自分たちの愛のために、エゴイスティックに行動したという責任は負い続けなければならない。

 ここがポイントで、おそらくは死者も出したであろう前代未聞の大災害を引き起こした(前作の主人公たちと真逆である)ふたりを、それでも肯定的に見られるか、許しがたい愚か者と感じるか、これによってこの作品の評価は正反対になるだろう。

 

 筆者は個人的に、この行動は否定的に感じられてしまう。許しがたい罪を犯していると思う。しかし、自分が同じ状況に置かれたら、迷わずヒロインを助けるほうを選ぶだろうし、だから物語が世界崩壊の方向へ誠実に進んだとき、快哉を上げたくなった。スタートからこっち、実のところずっと周囲の人も優しく、起きる出来事も主人公たちに味方し続けていた展開が、ここで最大のしっぺ返しをくらわせたのだ。

 前作で全てが夢だったのかも知れないというオチを付けたのと同様に、本作にも全ては、主人公たちのオカルト的な妄想である可能性も残されている。ムーが登場したのはその導線のためだろう。これは全て単なる未曾有の気象異常で、主人公たちが祈って晴れたのは全て偶然、空へ上ったのはただの夢、最後の大災害もただの災害で、主人公たちには何の責任も無い可能性だって、ある(須賀の発言の通り)。

 

 だとしても、主人公たちのこれからの苦しみは変わらない。自分たちが選択したことに違いはなく、自らの選択によって責任を負わなければならない(大いなる力を持ったと思った人間は、大いなる責任を負わなければならない)ことに変わりはないのだ。それをラストの10分弱で突きつけて、それでも歩んでいくしかないふたりを見せて終わったのはかなりハードで、とても痺れる。

 あの2人に怒りを覚えるか、それとも頑張って歩んで行けと応援の気持ちを覚えるかはまさに人に寄るだろう。筆者は、両方かも知れない。怒りと不快さを覚えるけれど、修羅の道を歩んでいくなら凄みがあって、面白い。前作は幸福を予感させる再会で終わったが、本作は、この先どうやって生きていくのかすらわからない世界に置いていくエンディングとも言える。それがまた、以前の作品のようにビターでよい。

 

 このあたり、『ヱヴァQ』で描かれた展開との類似と違いを考えるとこれも面白い気がするが、長くなりそうなのでやめておく。なんにせよ、この映画は新海版エヴァなのは間違いないだろうと思う。来年6月の『シン・エヴァンゲリオン』で庵野さんがどんなラストを描くのか、よりいっそう楽しみになった。

 何より、本作が「意地悪」なのは、話の流れだけ追っていると「少年少女の超泣ける純愛ストーリー」として読めるところ。エンディングにしろ、とても残酷で絶望的な状況に置き去りにしているのに、明るく美しく希望に満ちているように、見える。実際は、ラストシーンのあとからが大変なのに。

 観客に向けて「こういうのが好きなんだろ?」と監督が突きつけてくる感触は旧劇場版エヴァを思い出す、というと意地悪すぎだろうか。一見すると「力を合わせれば難題も乗り越えられる」映画に見える『シン・ゴジラ』も思い出した。この辺の意地悪さは、果たしてわざとなのだろうか?

 

 ともあれ、『君の名は。』の大ヒットも踏まえ、過去のビターな作風も忍ばせつつ、何重にも積み上げて仕掛けを仕組んだ、一筋縄ではいかないとても面白い作品。こんな意地の悪い読み取りは、筆者が酷い性格だからなのかも知れないけれど。

『ライフ』★★★★☆

ライフ (字幕版)

ライフ (字幕版)

 

豪華キャストによる驚くほど直球のSFサスペンス。気持ちよく楽しめる秀作

あらすじ

火星で未知の生命体の細胞が採取され、世界各国から集められた6人の宇宙飛行士が国際宇宙ステーションで極秘調査を開始した。しかし、生命体は次第に進化・成長して宇宙飛行士たちを襲いはじめる。高い知能を持つ生命体を前に宇宙飛行士たちの関係も狂い出し、ついには命を落とす者まで現われる…。(映画.comより)

 非常にベタと言えばベタな作品。火星から採取した宇宙生物が宇宙ステーション内で巨大化し始め・・・・という、非常に直球なネタ。CGもまあまあよく出来ているが、圧倒的に素晴らしいクリーチャーというわけでもない。前代未聞なところがどこかにあるかというと、これといってない。

 と悪口ばかり並んだが、見終えての印象はよかった。一つの理由は、俳優陣が非常に豪華であること。ライアン・レイノルズレベッカ・ファーガソンジェイク・ギレンホールと主役級がぞろぞろ並んでいる。真田広之も好演。正直言って、なんでこの面子が揃ったのか不思議なぐらい(笑)。だが、このキャストだからこそ、ベタなアイディアも説得力を持って観ることが出来る。

 

 また、この物語で起きるサスペンスが、どこかにバカが居るから起きるのではない、というのも好印象。だいたいこの手のホラーは致命的にバカな人物が居て、その人がパニックに陥ったり問題を起こしたりしたせいで事態が悪化する、というのがあるあるなのだが、本作に関しては、常に登場人物たちはベストを尽くしている。

 きちんと一つ一つの手順で、うっかりややらかしを原因にせずに事態を進展させていくのは実はけっこう面倒くさいのだが、それをちゃんとやっているおかげで興ざめせずに最後まで楽しめる。実のところ、大体の展開は途中で読めるのだが、それでも悪くなかったと思えるのはその丁寧さによる。登場人物がきちんと考えながら動いているから共感し続けることが出来る。