週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『キング・オブ・コメディ』★★★★★

 

  『ジョーカー』に影響を与えた作品ということで鑑賞。

 観ている最中から、共感性羞恥強めの自分にはなんともたまらない気持ちにさせられる内容だった。ジョーカーよりも自分側に近いキャラクターだったからかもしれないが。

 

 参考にしているというか影響を与えたというか、『ジョーカー』は『キング・オブ・コメディ』の変奏曲と言ってもいい内容だろう。ただし、ジョーカーは最後まで自分を弱者だと自覚していたが、『キング〜』の主人公は、最後までそれを認めなかった。気づいていたのかもしれないが、自分でも認めなかったのだ。

 『ジョーカー』は貧富の格差にまで問題を押し広げていたが、『キング〜』はどんなに才能のない人間にものし上がる夢を見させてしまう、エンタテインメント業界の業の深さの方に焦点が当てられている。

 

 どちらが好きかは難しいところだが、個人的には『ジョーカー』の方には、承認欲求そのものへの満足感が与えられていて、「救い」をまだ見出してしまった(あれを救いと呼ぶのか、というのは人によりけりと思うが。しかし王として認められてはいるだろう)。

 一方、『キング〜』ではあくまで脅迫行為によって夢が叶えられているだけだ。その後のシーンを現実とみなすか幻想とみなすかも人によると思うが、筆者はあれは、本編中に挿入されていたのと同様の幻想と考える。

 

 『キング〜』では突き放した観察眼によって主人公を笑い、『ジョーカー』は主人公への感情移入のプロセスを経て観客に怒りと絶望を感じさせる。どちらが好きかも、まさに人によりけり、なのだろう。『キング〜』の主人公は最後まで、本当の道化なのだ。

『ジョーカー』★★★★☆


映画「ジョーカー (原題)」US版予告

現実に追われ現実を描くことに「なってしまった」悲しきピエロの映画

 『ダークナイト』も、『バットマンティム・バートン版)』も鑑賞しているので、ジョーカーというキャラクターはやはり好き。単独映画が撮られると聞いたときは「えー、何するの今更」という気持ちになり、評判が圧倒的に良いと聞くと鑑賞を数週にわたり楽しみにし、という感じの自分。

 

 早速公開翌日に鑑賞。アメリカでの厳戒態勢を聞くに、よほどやばいものを観せられるのだろうと覚悟して行った。

 ネタバレは避けて書くと、非常に誠実でシンプルな作品だった。思い出した作品を列挙すると、『狼たちの午後』『タクシードライバー』『サイコ』『ディア・ハンター』『ソナチネ』『ベイビー・ドライバー』あたりだろうか。また、不謹慎に感じられるかもしれないが、京都アニメーション放火事件、香港でのデモ隊と警察の衝突のことも思い出さずにはいられなかった。公開直前に「覆面禁止法」が現実世界で成立するなど、企画段階で誰が考えただろうか。

 

 『ダークナイト』のジョーカーが最恐の悪を描くファンタジーだとすると、本作はひたすらに、残酷なまでに現実を描いている。明日にでも起こりうる恐怖を描いている、という意味では、これほど怖いものはないだろう。本作のジョーカーのような人は、おそらく誰もが観たことがあるし、もしかしたら自分自身かもしれない。

 ただ、どちらを本当に怖いと感じるかは、人によるかもしれない。筆者は、現実の一歩先、あるいは、現実の悪を抽象的に変換して物語に仕立てた『ダークナイト』の方が切実で、恐ろしく感じた。その気持ちは今も変わらず、本作の★は4つになってしまう。

 

 自分自身の足場を切り崩し、不安定にしてくるという意味だと、『ダークナイト』はいまだに怖い。「お前はどうなんだ?」と映画を観終わってからも問いかけ続けてくる怖さ(しかも答えは映画の中にない)がある。

 しかし、本作はあまりにも現実を描きすぎている。形而上的な要素などどこにもない。現実の特定の事件を拾ってきて映像化するよりも、よほど今の時代を良くも悪くも「そのまま」映画にしている、という意味で、希望は映画の中にも現実にもない。こんなことは今まさにいつでも、どこでも起きていて、それ以上でも以下でもない。

 

 監督は『ハングオーバー!』シリーズからコメディ映画を撮り続けている人だが、本作の技法はコメディのやり口をそのまま応用していると思う。愚かで、滑稽で、何もわかっていない人の姿を、ツッコミも入れずに淡々と映し続けている。古谷実北野武がコメディもサスペンスも同じテンションで描いて同じように面白い(笑えて怖い)のと、まるきり同じことだろう。

 そう、本作のジョーカーは文字通りの「ピエロ」なのだ。『バットマン』のジョーカーはわかりやすい狂気に陥った悪、『ダークナイト』のジョーカーは正体不明の恐怖を体現した存在だとすると、本作はどこまでも踊り踊らされる者。天才ではなく、それどころかなんの才能もなく、今までで最も人間臭く、悲しく、愚か。そして辛い。

 

 恐ろしいのは、いつか自分がこちら側へ行ってしまうのではないか、あるいは、同じ電車に乗っている目の前の誰かが行ってしまうのではないか、という感覚。一歩踏み出せば、今の時代を生きている誰にでも待ち構えている穴が、本作では描かれているのだ。

 セーフティネットの存在しない激しい格差のある世界で、消費社会が作り上げてきた曖昧な「夢(=才能や愛への希望)」だけを観させられてきた人間が、自分の人生を滑稽劇だと思って(気づいて)しまったが最後、人は「無敵」になってしまう。なぜなら自分に残された数少ない社会に対してできることは、犯罪ぐらいなのだから。

 

 そして、「笑い」はそんな狂気の入口になりうるのだ。本作のジョーカーは、そんな最大公約数的な「人間」として、恐ろしいほど冷徹に、緻密に描かれている。鑑賞し終わった後には、自分にはどうすることも、立ち向かうことすらできないという絶望感と虚脱感しかない。

 それでも、ぜひ鑑賞を。フィクションが現実をここまでの強度で描写するということは、そう滅多にあることではないのだから。

『記憶にございません!』★★★☆☆


映画『記憶にございません!』予告

 三谷幸喜作品は『古畑任三郎』や『王様のレストラン』の頃からのファン。映画も途中までは映画館に必ず観に行っていたが、『ステキな金縛り』がピンとこず、『清洲会議』はビデオで観て、『ギャラクシー街道』はまだ観てもいない。

 正直言えば、三谷幸喜氏は脚本家オンリーの作品の方が好きで、映画は初期の方が好き、という感じ。設定やシチュエーション、キャストは面白そうなのに、いざ観てみると「あれ?」という印象を受けてしまう。それでも毎回見てしまうのだけれど。

 

 今回も、設定はすごく面白そうだったので「今度こそ」と期待して観に行ったのだが、「あれ・・・?」という印象。

 詰まらなくはない。笑えるシーンもたくさんあったし、実際たくさん笑った。中井貴一草刈正雄の芝居はことさらに素晴らしい。笑ったのだが、なんだか、観たいものと描かれているものにズレがあって、終始その違和感が拭えなかった。自分なりに理由をいくつか考えた。

 

1 長回しが間を悪くしている

 舞台と同様の効果を生もうとしているのか、長回しでなければならないようなシーンでなくても、相当な長回しを多用している。ワンカットで描くべき緊張感があるシーンというのもあると思うのだが、必然性がないワンカットは、芝居にとても微妙な間を生む。

 筆者が、切り替えを多用するハリウッド映画のテンポに慣れすぎてしまっているので、この間に焦ったさを感じてしまうのかもしれない。

 

2 政治家の話だが政治批判には(なりそうで)ならない

 今回、割と踏み込んで政治を批判できそうなポイントがいくつもあり、実際、三谷作品では非常に珍しく、現在の政局に批判的な(とも取れそうな)セリフもちらほらあった。あったのだが、結局踏み込み切らないというか、「そうはいっても・・・」的に擁護に回ってしまう。

 必ずしも政治家を扱ったからと言って政治批判の話をしなければならないとは思わない。あくまで政治家一般の人間を描けば、現代日本の政治に一切触れない手もあったと思う。どちらかにきちんと振り切って欲しかったのだ。

 正直、三谷さんの作風的に、批判方向に行くのは難しいと思うので、だったらあくまで「記憶喪失の総理大臣」というシチュエーションに集中して欲しかったのだが・・・(我慢ならなかったのだろうか)。

 

3 生っぽさと作り物っぽさが混ざり合っている

 三谷映画はいい意味で作り物っぽく、建物の中から出ない、全てセット撮影、などの作り物感、ハリボテ感が良かったところもあったと思うのだが、今回は比較的ロケ撮影のシーンが多い。

 さらに、『有頂天ホテル』までとは違って、いくつかの場所を移り変わる一般的な映画の手法を取ろうとしているのだが、世界観やセリフ回しは相変わらず作り物っぽさが強いので、どうにもこのちぐはぐさがぬぐいきれなかった。

 新しい作風へと進んで行きたい気持ちはわかるのだが、いい意味での作り物っぽさを保ち続ける、ウェス・アンダーソンのような作風でも個性があっていいと思うのだが。特に、今回のような到底現実には起こりえないような題材を扱う場合はなおさら。

 

 他にも、笑いがその瞬間瞬間の細かいネタによる部分が多く、シチュエーションを積み上げたりフリを拾ったりするタイプのコメディ要素が物足りなく感じられた。

 また、今回キャラクターが記憶を失っているということもあってか、感情の導線にもどうにも乗り切れず、終盤の盛り上がりどころにもハマらなかったのは、自分だけなのだろうか。音楽の使い方も途切れ途切れで、山場に強い曲も流れず、不器用だったように感じる。

 

 自分が三谷作品と合わなくなってきている・・・のかもしれない。だが、アイディア自体はすごく面白くなりうるものだっただけに、個人的にはすごく残念だった。

 とはいえ、次も多分見に行くんだろうなあ・・・。

『ロボット』★★★☆☆

 

  珍しくインド映画。時間の融通がついたので、3時間近い完全版を鑑賞。

 予告編で流れているのは大半、どうかしているバトルシーンばかりなので、あたかも「暴走したロボットが暴れまわるアクション映画」という印象なのだが、実はそういうシーンは一部で、全体としては「あるロボットの生涯」といった内容。

 

 ネタとしては非常に下手なロボットSFで、心を持ったロボットを扱った話として展開に新味はないのだが、肝心のロボットが「おじさん」であるということ(開発者とロボット役が一人二役で主演のラジニカーント)と、頻発するアクションの内容が次第にどうかしている内容になっていくこと、そしてインド映画なので定期的に歌とダンスが入ってくる、というところが新しさになっている。

 コメディだが、笑いは非常にベタ。ベタすぎて笑えるくらいのギャグ漫画的ネタだと思った方がいい。キャラクターはいずれもコミカルなのだが、倫理観が日本とインドでかなり異なるので、「何でこの状況でこんな行動を?」と思うようなシーンが散見される。

 

 また、上記の倫理観のズレが原因なのかもしれないが、博士とその婚約者のロボットに対する働きかけが、「なぜそんなことを・・・」と言いたくなるような時が頻繁にある。のみならず街中で普通にカップルとして振舞っている時も常軌を逸した態度を見せることが多いが、これが日印の違いに起因しているのか、それともこの二人が異常な人物というキャラクターだからなのかは今ひとつわからない。

 この二人が如何なものかと思う行動を頻発するので、ロボットに感情移入するしかないのだが、それにしてはメイン二人の人間の視点から物語が語られる。もしかすると、無生物に対する気持ちの込め方、愛情の注ぎ方が、文化的に全然違うのかもしれない。日本では「ロボットとの感情の交歓」なんてざらにあるが、向こうでは珍しいネタだから、これくらい人間とロボットの間が壁のある描き方なのかも(とはいえ2010年の映画だから、大概外国の文化も入ってきていると思うのだが)。

 

 愉快なインドアクションSFとして、友達とツッコミ入れながら見るのにはちょうどいいかも。

『イージー★ライダー』★★★★☆

 

イージー★ライダー (字幕版)
 

 かなり前から名画と名高い作品として見よう見ようと思って早数年。ようやく鑑賞。想像通りのビターなロードムービーで、この時代の空気はよく伝わってきた。想像以上にはっきりとした言葉で語られているのは少し意外。

 

 主役二人が監督や脚本を兼ねた、低予算丸出しの映画だが、結構大切な役柄にジャック・ニコルソンが登場し、印象を残して去っていく。尺も短い100分足らずの作品。

 ストーリーと言えるほどの具体的な筋立ても特になく、主人公二人が走り続ける中でたまさか出会った(奇妙な)人々と、触れ合い、別れる様をひたすら乾いた描写で見せるばかり。要所要所にカントリー調のロックがBGMとして流れ、映像とマッチして時代の雰囲気を伝えてくれる。

 

 本作が発表されたのがヴェトナム戦争中だということが、背景として大切なのだろう(恥ずかしながら鑑賞中は何も考えていなかったが)。登場する人々は、社会から逸れたものばかり。ヒッピー以外で若い男性が現れないのは、この時代だからこそである。

 自由の国を標榜するアメリカで、本当の意味で自由を謳歌する人々が走り、悲しみ、逸脱が過ぎると文字通り打ちのめされる。自由ではあるが自由すぎてはならない、というバカバカしさをさらりと描いた良作だった。

『狼たちの午後』★★★★☆

 

狼たちの午後 [Blu-ray]

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  この時代の丁寧なサスペンス映画は大好きなので期待しながら視聴。想像通り、シンプルだがアイディアに満ち溢れた佳作。

 アル・パチーノジョン・カザールの演じる犯人二人は、銀行強盗ながらどこまでも抜けていて、計画は立ててはいるものの、到底周到とはいえない甘さが冒頭から露呈しまくり。最終的には人質たちとも打ち解けてしまう妙な人間的魅力がある。

 

 一応実話を元にしているらしく、ストーリー中に発生する妙な出来事の生っぽさは非常に面白い。この時代的には、テレビ中継されている犯罪、というのが面白かったのだろう。

 犯人がヒーロー扱いされてしまうのも、今となってはありきたりだが、上記のようにあくまで偶然、劇場型犯罪になってしまっただけで、本来はチンケで小規模な銀行強盗にすぎなかったあたりが他とは違う味わいを放っている。

 

 別に彼らは有名になりたかったわけでもなんでもなく、奇妙な時代的情熱と重なり合って結果、こういうことになってしまった。もてはやす側ももてはやされる側も、困惑しながら面白がっているのがシチュエーションとして可笑しい。これは一種のコメディいだろう。

 動機は「金がないから」。当たり前のことを当たり前のようにやっただけで、別に娯楽にするつもりなど全くなかったのに、やっているうちにどんどん妄念が膨れ上がり暴走していく愚かしさ、リアリティは『太陽を盗んだ男』と近いものを感じた。

 

 BGMはなし。演出もドキュメンタリーチックで、常に冷めた視線が主人公たちを追いかけている。これを現代で描いたらどんな物語になるだろうか。

『セイフ』★★★☆☆

 

SAFE/セイフ (字幕版)

SAFE/セイフ (字幕版)

 

 最近、ブログの編集に時間がかかりすぎているので今後は短めを目指します。

 

 ステイサム映画の中では、取り立てて良くもないが悪くもない、といった作品。元刑事のステイサムが天才中国人少女をロシアや中国のマフィアたちから救う、というお話で、演出自体はシンプルかつ激しくて悪くない。

 悪くないのだが、とても良い部分も特にない。基本的に主人公二人以外は悪い人しか出てこず、それら悪漢たちもそんなに面白いキャラクターがいるわけでもない。ストーリーも単純で、別段ミステリらしいトリックがあるわけでもない。アクションとしても驚くべき部分はこれといってない。

 

 というわけで、気軽に観るステイサムアクション映画としては良いが、別にステイサムが好きではないという人におすすめする理由は特にない、というぐらいの作品。