『マイマイ新子と千年の魔法』★★★★★
遊びに満ちた無邪気な子ども時代が揺れる、きっと身に覚えある日々の物語
あらすじ
青い麦畑が一面に広がる山口県防府市。快活な少女・新子は、麦畑に飛び込んで、その昔あったという千年前の都や、そこに住む少女など様々な空想をすることが大好きです。クラスになじめずにいる転校生・貴伊子を麦畑に連れ出す新子。しだいにうちとけてきたふたりですが──。(amazonより、一部編集)
『この世界の片隅に』の片渕監督の2009年作品。パッと見た感じどんな物語なのか全くわからず、かといって観賞後に「どんな話なのか」と聞かれても簡単には説明出来ないので、なかなかこれをヒットに持ち込むのは難しいだろう、と感じるのだが・・・・。
実のところ、非常に素晴らしい作品だった。『この世界』同様、非常に丁寧に描かれているのは、戦後十年の中国地方。雰囲気は『となりのトトロ』に近いかも知れないが、あの作品よりもずっと現実的で、揺れ動かないしっかりとした視点を保った良作。
あらすじでは「快活な少女」とまとめられているが、主人公・新子はむしろ、空想好きな赤毛のアン的な少女で、どれだけ他人と接してもどこか地に足ついていないところがある。いっぽう「クラスに馴染めない転校生」と書かれている貴伊子は、無邪気に遊ぶことが出来ない・・・・というか、遊び方がわからない少女。
物語は「遊ぶ」ということを軸にして描かれる。空想を遊ばせ、他人と遊び、自然と遊ぶ。劇中でとある人物に起きた出来事は、「上手く遊ぶ」ことができない人間だからこその事件だった。自由に、自在に遊ぶことの大切さ、必要性を非常に自然に描いている。空想に日々浸っていた頃の子ども時代の感覚を喚起してくれる。
しかしそれだけでなく、現実に向き合わなければならない、現実に向き合いながらも遊べるようにならねばならない、ということも物語全体を通して描き出していく。遊びはあくまで、現実で暮らし、現実を癒すために行われることだからだろう。
そんな双方向から二重のメッセージを、同時進行で複数の人物の視点を渡り歩きながら(さらには時代すら縦横に駆けながら)描いているので、なかなか全てを読み取るのは難しい・・・・のだが、そんな細々したことを考える必要もないだろう。日本版『赤毛のアン』として、隅々まで行き届いた情景と心理描写を味わい尽くすだけで充分価値のある傑作。おすすめです。