『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』★★★★★
タイトル通り、ハリウッドのおとぎ話。画面の隅々まで行き届いた凄みがラストまで続く、タランティーノ全部入り作品
あらすじ
テレビ俳優として人気のピークを過ぎ、映画スターへの転身を目指すリック・ダルトンと、リックを支える付き人でスタントマンのクリス・ブース。目まぐるしく変化するエンタテインメント業界で生き抜くことに神経をすり減らすリックと、いつも自分らしさを失わないクリフは対照的だったが、2人は固い友情で結ばれていた。最近、リックの暮らす家の隣には、「ローズマリーの赤ちゃん」などを手がけて一躍時代の寵児となった気鋭の映画監督ロマン・ポランスキーと、その妻で新進女優のシャロン・テートが引っ越してきていた。今まさに光り輝いているポランスキー夫妻を目の当たりにしたリックは、自分も俳優として再び輝くため、イタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演することを決意する。そして1969年8月9日、彼らの人生を巻き込み、ある事件が発生する。(映画.comより)
待望の新作。とはいえ、実は前作『ヘイトフル・エイト』は面白かったけれど密室劇にしては長すぎたこともあり、果たして今回はどうなるか、と期待半分、危ぶみ半分という感じだった。
結論から言うと見事な佳品。見事すぎてすごさがよくわからないくらい上手い。まずはネタバレナシで書く。
ストーリーは確かに上記のあらすじ通りなのだが、もちろんタランティーノ作品なので安直なお涙頂戴劇にはならない。頻繁に挟まる回想、意表を突く編集、唐突なナレーション、挿入される劇中劇。『パルプフィクション』ほど難解ではないにしろ、物語る手段を総動員して、男二人の友情が描き出されていく。
二人とも少し愚かで、暴力的で、でも憎むことの出来ない男。確かにこの年齢になったこの二人の名優でなければ演じられなかっただろう(候補に挙がっていたというトム・クルーズだったらどんなだったか観てみたかった!)。
もう伸びない、未来に期待が持てない、となったとき、人間は何をするべきか、どうなるべきなのか。タランティーノ作品ではそんなことに優しい答えなど出してはくれないが、ディカプリオの円熟した芝居、目の動きの一つ一つが人間の変化と成長を見せてくれる。本当に若い頃よりずっといい俳優になったなあ……と偉そうなことを思ってしまう。
そういう意味で、この作品の内容は非常にシンプルで、むしろ小品と呼んだほうがよいかもしれない。やっていること自体はまるで邦画のような、『生きる』あたりの切なさに印象だけでいえば近いかも知れない。
また、凄みでいえば60年代末のハリウッドとそこで作られていたものを何の違和感もなく再現してみせたことにも驚愕する。町並みが当たり前のように映し出されているが、そこに映っているものは本当なら現在は存在しないはずの光景なのだ。かといって、タランティーノはCGを使いたがらないはず。なので、おそらくほとんどを新しく作り直したのだろう。
劇中劇もあの時代の映画やドラマのあるあるを上手いこと再現しつつそれっぽいものに仕上がっている。この大変さを一切誇らず、当たり前のことのように画面に映し出していることが凄い。こうした一つ一つによって、確実に映画全体に緊張感が生まれている。妥協がないことの恐ろしさ。そして、このパーフェクトな再現は、「もう一つの現実」を作り出すためには必要不可欠だった。
以下、ラストシーンに言及するので、ネタバレありで。よろしければ観賞後にでも。
*************以下ネタバレあり**************
さて、あのラスト、シャロン・テート殺害事件(になるはずだった)の話。
やっていること自体は実は『イングロリアス・バスターズ』と同じだろう。歴史のif。もしもこうだったら、という仮定がもたらす想像以上の暖かさと希望。ただ、今回に関してはヒトラーの惨死とは全く異なる、主人公も歴史の英雄になったという気が全くない「笑い話」エンド。
これは、史実を知っているか否かで全く印象が違うだろう。ヒトラーがぶっ殺されたら誰だって「やりやがった」と素直に思えるが、マンソンファミリーのことは知らない人は全く知らない(本作自体は知っている人に向けて作られているだろうと思うが)。
人生ぐずぐずになったおっさんふたりが、途方もない救いをもたらしているのだが、本人たちには全然そんな意識はなく、ただただ爆笑の惨殺劇が展開される。百戦錬磨のスタントマンにヒョロいヒッピーが適うわけないので、対戦が決まった瞬間におおよその展開は読めたが、それでもここまでに出てきたさりげない要素がどれもこれもこのシーンのために存在したのだとわかると笑いが止まらなくなる(特に火炎放射器)。
クズ共ざまぁ、でとてもスッキリしながら、彼ら二人の人生においても大きな結節点になっていて、この奇妙な出来事を通して彼らの「青春」はピリオドを迎え、それでも彼らの友情に変わりはない、ということを描いている、本当に不思議な物語。
そう、本作はことごとく不思議な印象のある作品だった。「起こるかも知れない」悲劇が片っ端から回避されていくのだ。特に中盤の牧場のシーンもそうだが、今にも残酷な事件、辛い出来事が起こるのでは、という予感は随所にあるものの、結果として何も起きずに終わる。むしろ、どれもハッピーな結末を迎える。
まとめると、この映画は「壮大に何も起こらない」という物語なのだ。随所に大事件が起こりそうな気配は忍び寄るが、結果として何も起こらない。それがなんども何度も波のように反復し、繰り返される。それは最後の最後に、もっとも幸福な形で結実する。
過去のタランティーノ作品を考えると新しい要素でもあるが、この肩すかし自体が、オッサン二人の諦観溢れる眼差しと重なって感じられる。ショウ・マスト・ゴー・オンではないが、人生はただただ、何が起きても馬鹿馬鹿しく続いていく。「それでも」続いていくのだ、という苦笑い混じりの、大人のおとぎ話だった。