週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『鉄男』★★★☆☆

 

  以前から気になっていたシリーズ。内容は全く知らなかったが、『ウルトラQ』的な感じかな、ぐらいにイメージしていた。

 起きる事件は大体想像通りだったが、想定よりはかなりカルトな内容。突然、とある男の肌を突き破って体内から金属が噴き出てくる。動揺し、女の元に逃げ込むなどするが、どうすることも出来ない。そして男の闘いが始まる、といった物語。

 

 セリフはほとんど後半に至るまでなく、映像もモノクロに徹している。この表現が非常に効果的で、金属の美しさを描けている。おそらく低予算なので、カラーで撮ったら相当しょぼくれた、昔の仮面ライダーの怪人のようなことになっていただろうが、モノクロになれば本物でも偽物でもそれほど気にならない。

 誰もがニキビやおできなどの吹き出物への不快感、あるいはガンに対する恐怖心は抱えているものだが、それを異形の怪人へと上手く繋げている。エイリアンやターミネーターなどの数多くの元ネタがあるだろうが、最大のそれはカフカの『変身』だろう。「平凡なサラリーマンのAはある朝、目を覚ますと身体から金属が生えるようになっていた」。理由や意味などは求める必要がない。生理的不快感と、「格好良さ」を両立してしまっているのが上手い。

 

 だが、映画としてはかなりアングラ色が強い。性についての描写もだが、首尾一貫した物語性もなく、ショッキングな映像と奇妙な熱量が押し寄せてくるような作品。なので、あまり間口を広くは取っていない。個人的にはそうしたアングラ描写(客への娯楽の供給以上に自分のやりたい表現を押しつける見せ方)が苦手なので、他人にはあまり薦める気にはならない。

 とはいえ、映像表現としては面白いところが多い。写真のつなぎ合わせで高速移動を表現するアイディアは、こうした作風でないと使えないものだろう。それに、こうした作品は、「ここでしか描けない感情」を描写出来れば十分だと考える。塚本監督の他作品も観たくなった。ここから、もっとメジャーを意識するとどんなものを撮るのだろう。

『ジュラシック・ワールド/炎の王国』★★★★☆


『ジュラシック・ワールド/炎の王国』特別映像<The Jurassic Legacy>

 前作はヴィデオでだったが、楽しく鑑賞した(前作も★4つ)。『スター・ウォーズ』を撮る予定で降板したトレヴォロゥ監督に代わり(結局それも撮れないことになっちゃったけど)、バヨナ監督が就任。結果として、美しい自然描写と神秘的な映像が随所に現れる、美しい作品に仕上がった。3部作の2作目としては上々だろう。

 

 1作目『ワールド』が楽しかったとはいえ、『パーク』1作目と実質やっていることは何も変わらなかった、というのは間違いない。しかし本作は、きっちりテーマもアクションもギミックも、SF的展開も前作から前進させて、描くべきテーマを明確化してきている。そうしたメッセージ的側面の脚本の練度は見事なもの。

個人的には予告の内容とこの日本版サブタイトルも手伝って、溶岩が押し寄せてくるパニック描写がもっと楽しめるのかと期待していたのだが、さすがにそれだけで引っ張るのは無理があったか。完全な前後編構成で、画面の雰囲気もやっていることもがらりと変わる。

 当然、恐竜が主役なので人間サイドの描写が手薄になるのは今までとおんなじだし、悪役の扱い方も過去と全く同じなのだが、それはこの作品の場合、批判するポイントではないだろう。細かいことを言えば「バカすぎないか・・・・?」とか「そんなことするか・・・・?」とか思うところは細々たくさんあるのだが、これもまた、いいのだろう、この映画の場合。終盤は恐竜ものというよりモンスターパニック映画と化していた気がするが(『エイリアン』オマージュすら感じた)。

 詰まるところ、「人間の分をわきまえず罪を犯したものには自然が、世界が、恐竜が罰を下す」という宗教的な物語で、それ以上にはならない・・・・というか、しないように心がけて脚本を作っているように感じられた。しかし、一方で昨今のエンタメ映画の思想や社会方面への目配せを本作もきっちり取り入れて、今、あえてジュラシック・シリーズを描かなければならない理由を考え、現実に起きている問題を取り入れてストーリーを作っているのは好印象。

 

 さて、ラストまで観ればわかるとおり、今回のこの『ワールド』3部作は、周到な計画を元に作られた、役割分担の明快な3作品である。1作目、2作目で引いてきた伏線が、ようやくここで炸裂する。「なるほど、これがやりたかったのか!」と納得のラスト。旧三部作ではやっていなかった(そして技術的にもおそらくやれなかった)ことを、今回は初めからやるつもりでタイトルから作られていたのだ。その巧みさにも脱帽。

 なだけに、次の作品が心配。1作目のトレヴォロゥ監督が再びメガホンを握るらしいが、過去に大成功作が『ワールド』1作しかない(その後は悪評だけを広めている)彼が、映画監督人生を賭ける1作になるだろう。内容も間違いなく面白くなりそうなので、なんとか頑張っていただきたいものだ。

 間違いなく次作も登場するであろう(むしろ、おそらく次回作の主要なテーマを担うであろう)子役のメイシーが、早く撮らないと大きくなってしまうが、一方でいろんな事情で「3年後」とかにするのも難しそうなので、一体どんな手で来るのか、今から楽しみである。

『ブリグズビー・ベア』★★★★☆


『ブリグズビー・ベア』 6月23日(土)公開!

 『カメラを止めるな!』と並べて評価している人が多かったのと、題材自体が以前から気になっていたのでようやく鑑賞。マーク・ハミルがすごくよかった。全体的に暖かで、少し暖かすぎるぐらいかも知れないけれど、でも世界は優しいほうがいいだろう・・・・なんてちょっと思った。

 

 brigsbyという単語は調べても出てこないので、意味はないのだろう。25年間を外の世界を知らずに育てられてきた青年が、解放されて初めてやったこと、それは自らを監禁していた偽の両親が、自分を教育するために自分だけのために作っていた教育SF番組、『ブリグズビー・ベア』の続きを、自ら作ることだった・・・・というお話。

 いや、それ以上でもそれ以下でもないお話なのだけれど、まるでおとぎ話のように優しく作り上げられているので、そのある種突飛なアイディアが、心の中に染み渡るように広がっていく。登場する人々は誰も彼もが優しい。主人公は生育環境の影響で終始、非常識な行動を繰り返す。けれどこの物語は、「そこから成長しなければならない」というありがちなところに回収されない。

 『めぞん一刻』の有名なセリフとたまさか似通ったとあるセリフが、この物語の伝えんとするところを明確に描いている。成長とは、子ども時代に大切だったものを切り捨てることではない。それらを胸の内に抱いたまま、共に、より大きくなって生きていくことを指しているのだろう。幼い頃の夢や希望、やりたいことを捨てなければならない、大人にならなければならない、というありきたりな教育、誰もが向き合うであろう悩みや苦しみを、主人公は普通よりも際立たせているのだ。

 

 マーク・ハミルが登場したことで、どうしても自分は『スター・ウォーズ』とジョージ・ルーカスを思い出さずにはいられなかった。少年時代から大好きだったものをこれでもかと詰め込んだSFアクション映画。その1作目の公開時、ルーカスは海外に逃げていたらしい。酷評されることを恐れて。主人公が完全に同じ状況に置かれているのは、間違いなくオマージュだと思う。

 愚かと笑われようと、捨てろと叱られても、自分の内側に「彼ら」は息づいている。なら、何と言われようが表現していいのだ。

 

 もちろん、何度も書いているようにこの物語の世界は非常に優しい。むしろ、イヤな人がほぼ出てこない構造にしたことで、この題材を扱うには甘さが強まりすぎてしまている。現実には子どもの頃からの思いを他者にぶつけて、嘲笑されない人のほうが少ないはずだ。この物語では、ブリグズビー・ベアそのものを否定的に扱ってくる人物は1人として登場しない(映像をたまさか目にしたYouTube上の視聴者でさえも)。そこの過度な優しさに、個人的には少々引っかかりは覚えた。奇跡的な成功者の物語なのだ。

 しかし、1人の青年の、形式的ではない真の意味での「成長」=他者との関わり、家族との関わり、社会との関わりの始まりを描いた一篇の寓話としては、美しい出来と言えるだろう。「外」の世界をあれほどなんとも思っていなかった主人公が、最後には他者からの視点に恐怖するのだ。子ども時代を捨てるのとは全く違う、本当の意味での「成長」の描写だろう。

 

 また、近年の『スター・ウォーズ』2作、特に最後のジェダイで妙演を見せていたマーク・ハミルの芝居が本当に素晴らしかった。終盤のとあるシーンで、彼でなければならない、と感じさせるくだりがあるが、それを差し引いても、屈折し、苦難の道を歩みながらも優しい美しい老人の瞳を、僅かな出演シーンで魅せきるその演技力は賞賛に値する。これからもっと、たくさんの作品に出演して欲しい、と心から思う。

『10クローバーフィールド・レーン』★★★☆☆

 

  結構期待して観たのだが、うーん。

 

 まず、いろんなところで「日本版の予告編やポスターはダメだ」と言ってる人がいたのだが、確かにそれはわかる。この部分がわかっていたら、お話の大半は緊張感がなくなりかねない。「閉鎖空間の外が一体どうなっているかわからない」という物語なのに、大いに予想が付く要素をいきなり表に出してしまったら、それはいけないだろう。

 とはいえ、1作目(?)の『クローバーフィールド』を観ている人間にとっては、それほど驚きのある事実ではない。むしろわかりきったことだ。「それ」を待っていると言ってもいい。正直、まだ出てこないのかな、ぐらいにずっと感じていた。

  しかし、「それ」を待っている人間からすると、本作の大半は「それ」と関係ないドラマが展開されている。そのドラマはドラマなりに面白いのだが、正直、「クローバーフィールド」という枠組みを使わないと描けないドラマではない。もっと言うと、「それなり」程度に収まってしまっている。オリジナリティはむしろ薄い。

 

 このように、前作を知っていて楽しみにしている人間にとっては、前作的な要素が非常に少ないし、前作を知らずに観る人にとっては、比較的普通の密室劇が展開されるシーンが大半だ。退屈するとまでは言わないが、こんなの観たことない!というほど斬新な描写は出てこない。

 食い足りないのだ。この素材を使えば、このシチュエーションをもっと盛り上げることもいくらでも出来たのではないだろうか。非常事態で他人を信じること、信じないこと、終末思想を持つ人間の元に本物の終末が訪れたときの興奮と喜び、そこから逃げ出そうとする、けれど逃げ場なんてそもそもない人間。描けそうなものはいくらでもあるのに、さして掘り下げないまま終わってしまう。

 サスペンス、ミステリー的要素にも手を伸ばすが、結局明快な真相は解明されない。「きっとこうなんじゃない?」という疑いの念から主人公たちは行動をいきなり起こしてしまうので、一体どっちが正しいのか、善なのかはっきりせず、観ていても快感が薄い・・・・というか、どこにカタルシスを感じたらいいのかよくわからないまま、物語が進行してしまうのだ。

 そもそも、主人公のキャラクター付けも比較的いけ好かない、田舎者のオッサンと頭の悪そうな若者に(根拠の薄い)疑いの念を抱いている都会の女性、といった感じで、どうにも端から好感が持ちにくい。オッサンをもっと悪人にするか、彼女の行動に善性や弱さを付加すれば、あのラストシーンもより活きてくると思うのだが。

 

 もったいない、が多い作品だった。

『地球、最後の男』★★☆☆☆

 

地球、最後の男 [DVD]

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 『インターステラー』も『月に囚われた男』も好きだし、『2001年宇宙の旅』も楽しめた口なので、それほどターゲットから外れてはいないと思うが、とりあえずSFが観たくてチョイスしたこの映画は大いにハズレだった。

 特撮自体はそれほど悪いものではない。宇宙のCGは美しく、宇宙ステーション内もよく作り込まれていた(またしても謎の重力が働いていたが、もうこれは回転している描写がなくても回転していると捉えるべきなのだろうか)。なので、低予算ではあると思うが、そこまでB級感あふれているわけでもない。演技もなかなか迫力があった。

 つまるところ、宇宙ステーション内にたった1人で取り残され、何年もの時間が経過していった1人の男の物語である。雰囲気としては『5億年ボタン』(マンガ)に近いかも知れない。することもなく、ただただ時間だけが過ぎ去っていく。主役の筋肉がみるみる衰えていくシーンなど、どうやって撮っているのかわからず目を見張った。

 

 そんな狂気へと向かう緊張感で途中まではまあまあ、楽しんで観ていて、これで落としどころが悪くなかったら結構いい作品なのでは、と期待していたのだが、後半部分で一気に失速する。哲学的な、と言うにはあまりにぼんやりとした方向に舵を切ってしまい、なんだこれ、と思っている間に終わってしまう。『2001年』もそうといえばそうなのだが、あの作品ほど雄大な解釈の可能性までは見せてくれない。ただ主人公があっちこっち宇宙服を着てうろうろするだけだ。

 宇宙ステーションを洞穴のように使いながら狂気へ下りていく主人公の姿は悪くなかっただけに残念。

『クローバーフィールド・パラドックス』★★★☆☆


J・J製作『クローバーフィールド・パラドックス』がNetflixで本日配信開始

 一作目の『クローバーフィールド/HAKAISHA』は文句なしの★5つ。頭から終わりまで緊張感が絶えることのないPOV形式の壮絶な映画だった。二作目の『クローバーフィールド・レーン』は未見。早いところ借りてきて観ようと思う。ただ、連続性のある種類の作品ではないので、特に3作目を観たところで問題はないかと。ちなみにNETFLIX限定配信作品。

 内容的には、面白いところは多々あるが、特に収拾は付かずに終わる、という印象。1時間半楽しめたが、他人に薦める気にはならない。

 

 誰かのレビューで「面白かったけどクローバーフィールドである必要があったか」と言っているものがあったが、実際その通り。宇宙空間を舞台にしたSF映画としては、七十年代ノリもある(明らかにオマージュとして目配せしているシーンも見受けられる)そこそこの作品、といった印象で、SF映画観たい欲はちょうどよく満たしてくれたのだが、この作品固有の「意味」を提供してはくれなかった。

 宇宙ステーションにいる人々は、利害をそれぞれ持つ各国の代表的な科学者たち。主役を女性にするのも最近の流行り、チームのチーフをアフリカ系アメリカ人にするのも最近の流行り、マーケットを見据えて中国系の俳優を大きく取り上げるのも最近の流行り。それを非難するわけではなく(もちろんそれぞれのムーブメントはいいことだと思う)、なんだかそういう発想が透けて見える、言い換えると誰かのこだわりを感じられない作品だ、と感じられた。ものすごい安打を打ちにいっているかのようだった。

 

 SFの場合、「これを描きたい!」という明確な欲求がないと、「SFってこういう感じだよね」という器のようなものができあがって、それを通して何かが伝わってくるということがない。少なくとも1作目では、明らかに新しく、明らかに描きたいものを感じた。

 SFの海外ドラマに近いのかも知れない。引っ張るための驚きは仕組んであるが、先の計画はあまりない。ドラマなら致し方ないが、それを映画でやっちゃいかんだろう。

 結局のところ、クローバーフィールド・シリーズというのは何に連続性を持たせているのか。「アメリカに怪獣ものを根付かせる」というのが1作目制作の元になった欲求だったと思うのだが、3作目はそれとは全く異なるベクトルの作品だ。強いて言うなら、「全く理解出来ない不条理な事態に困惑する人々の姿」を描く作品群、といったところなのかもしれないが。

 

 そもそも、PR画像にあったキャッチコピー、「10年前に奴がやってきたきっかけ」となった出来事・・・・なのか? これは。本作では地球は現実世界とは大きく異なる深刻な状況に置かれており、1作目の世界と同一とはとても思えなかった(1作目の主人公たちは日本への異動を記念してパーティなんかやってたはずだ)。

 それとも、実はあの世界はこれぐらい深刻な状況にあったので、宇宙空間ではこんな出来事があったのだ、とでも言うのだろうか。さすがに跡づけすぎる。2作目を観ると繋がるのだろうか。科学技術も、この3作目では現実世界よりもかなり進展しているように見受けられる。

 

 宇宙ステーション自体も、何をしているのかが漠然としかわからないので、何をやったらミッションクリアになる作品なのかなかなかピンとこない。エネルギー問題解決のために宇宙空間で研究を行っている、のはいいとして、実験内容はほとんど触れられない。そのため、発生する奇怪な現象は「時空と時空を弄ったがために生じたので」みたいなぶん投げ方で、スッキリする解釈が現れない。1作目が謎だらけで終わったのとはワケが違うのだ(あれは現象そのものを描くのが目的なので意味まで描かないほうがいい)。不可解な現象が不可解な現象でしかない、答えが出るわけでも何かの暗喩でも何らかの感情の象徴でもない、というのはダメだろう。

 力強い重力がステーション内にあるし(回転してるから?)、中国人クルーだけが英語を話していないのもよく理由がわからない。別に何人であっても国際宇宙ステーションに入るレベルの学者が英語を話せないとは思えないし。もしかすると彼女がいないと実験が出来ないレベルの大天才なのかも知れないが(実際それらしいシーンはある)、それを納得させるだけの描写はない。それに、彼女の代わりになれる人が存在することは、シナリオ上も明らかだ。

 

 いろいろ謎、というか単なる荒さが目に付いたし、最後の最後に取って付けたようなメッセージは入れないほうがよかったと思うが、映画そのものはきちんとお客を楽しませる内容だったので、否定まではしない。劇場公開出来なかったのは制作費がかさみすぎたから、らしいが、一体どの辺にそこまでの金が掛かったのだろうか? いろいろとよくわからない。次のシリーズ作はテレビドラマあたりのほうがいいのではないだろうか。

『カメラを止めるな!』★★★★★


異色ゾンビ映画『カメラを止めるな!』が公開!満席に新鋭監督が感謝......

 人からの勧めで鑑賞。『万引き家族』とどっちにしようか迷って決めたが、いや、大成功。頭から終わりまで大満足の一作。さらに、なんと鑑賞後にキャストの挨拶にまで巡り会えたので本当にラッキーだった。

 ただ、この映画非常に紹介しづらい。何を言ってもネタバレにしかならない。言っても良さそうなのは「ゾンビ映画」ということぐらいだろうが、ホラーが苦手な人も全く心配する必要はない。むしろ真逆だ。「新世代の三谷幸喜」と監督を表している人もいるが、少し違うように思う。三谷さんのウェルメイドを目指す姿勢とは全く異なる、トリッキーな作家性だと思う。

 

 とにかく、言いたいのは「観に行って欲しい」というだけ。何も調べず、前情報など何もなく、とりあえず観に行って欲しい・・・・と言い過ぎるとハードルが上がりすぎるのかも知れない。正直、何も知らずに半分疑いながら観る、ぐらいが一番楽しいと思うんだよな・・・・。あいにく、監督はこれが初長編映画で、キャストに有名な方は1人もおらず、キャストの方ご自身も言っていたが「超低予算ゾンビ映画」である。そういうつもりで、気楽に観に行って欲しい。

 

「どれにしようかなー」と他の映画と迷うんだったら観に行ったほうがいい、といった感じ。友達や家族、恋人と観に来てもいい。気持ちよく映画館を後に出来るだろう。個人的にも、あそこまで映画館が沸いているのは生まれて初めてだった。ネタバレナシだと言えることはここまで。

 ちなみに自分は、家に帰ってきてから1本観ようと思ってDVDを借りてきていたのだが、観ないまま返却することになった。この作品の余韻をかき消したくなかったからだ。

 この下にはネタバレありの感想を書くので、見終わったらまた読んで欲しい。

 

 

 

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 ここからはネタバレあり。

 いや、腹の底から何度も何度も笑った(笑)(コメディである、と言及することすらネタバレになるのには困った)。傑作、と言っていいと思う。低予算であることを逆手に取り、「劇中でも低予算ゾンビ映画を撮っている」という設定の元、脚本の妙とキャストの芝居で面白さを最大化している。特に脚本が本当に素晴らしい。

 たぶん海外からもリメイクの引き合いが来ると思う。そのまんま英訳してもそのまんま映画に出来るくらい、普遍的なアイディアだけで構成されているからだ。ただその分、わざわざ撮り直す意味はほとんどないかも知れないが。金を掛けたらこの作品に籠もった熱が失われてしまうかも知れないから。

 

 どこも褒められる要素ばかりだが、まずこの構成。思いついても普通大変すぎてやらない。最初のワンカットゾンビ映画パートだけでも充分ネタとしては面白いのに、それだけに飽き足らずに二重構造にして、完璧に成り立たせているのだ。

 当然、ワンカットで三十分本当に回した最初のパートは、撮影するだけでも大変だし、しかもこの部分はきちんとゾンビものとしてなりたっている。ちゃんと緊張感のある「B級ゾンビ映画」になっているのだが、更に同時に、常に観客に「違和感」を植え付け続けている。

 この「違和感」の加減がとにかく絶妙なのだ。上手な伏線というのはある基準があって、「自分だけが気づいた!」と全員が思うようなものが一番よい。この相矛盾した伏線を、とにかく三十分間張り続けることに、成功しているのだ。

 

「なんだあれ?」「おかしいだろ」「今変なこと言ったぞ」「カメラワークに違和感」「動きがおかしい」、そんな部分が頻出するのだが、凄く些細なことでとどめているので「まあいいか」と次の展開に頭が奪われてしまう。

 ついついこういうのは、プロデューサーだなんだがもっとわかりやすく、広い客層を意識して、などと余計な口出しをして、結果として「バカでもわかる伏線」が大量に出てきた挙げ句、客が退屈するものなのだが(個人的イメージですが、これが下手くそな伏線)、この作品はそうではない。チラッと出てきて印象に残るカットが、全て意味を持っている。

 

 そして余りにも早いスタッフロールににやにやしていると、通常のドラマパートへ移行。ここへ来たとき最初は不安を覚えた。やろうとしていることはわかり始めたのだが、普通この中間パートに退屈するからだ。それまではワンカットという緊張感が画面に常に立ちこめていたが、その魔法がなくなると観ていられなくなる可能性もあった。実際、低予算映画なのは間違いないからだ。

 しかし、そこも丁寧な画面作りと実力派の役者たちによる安心感、そして何より、必要最小限に絞ったストーリー展開のおかげで飽きずに観られた。この映画、90分超しかない尺が魅力の一つなのだ。このものすごいテンポでとんでもない量のネタを消化しているので、頭はずっと回りっぱなし。

 さらに、最初のパートできちんとキャラたちのことを好きになっているので、この2番目のパートでも「ああ、あの人ホントはこんな人だったんだ!」と新鮮な気持ちで観られて嬉しい。

 

 主人公の映画監督の娘が青春映画的雰囲気を醸し出してくるので一瞬不安になったが(朝ドラ的熱血風味? まさかこの娘の映画への情熱を描き出すのではないか、と心配した)、そもそもこの映画は娘の熱血を描くためにあるのではなく、最終パートで娘が暴走する伏線でしかないのでこれもまた嫌みがない。さらりとやって終了。この映画はやはり最後まで、主人公である映画監督が情念を取り戻す、という愛と熱狂を(変則的な構成で)描くコメディなのだ。

 

 そして溜に溜めてラストの完全な伏線回収。ここをやるために全てが存在している。これはもう観た人間が共有している感興なのだが、一点、巧みだな、と思ったポイントがある。

 映画撮影の裏側を見せるラストパートで、一番最初に「主人公の映画監督、劇中劇でマジギレ」という、第1パートでは伏線だと誰も感じなかったところを回収して見せたところである。この強烈なインパクトのあるポイントで、客の共感と笑いを誘うことに完璧に成功したので、もうこの映画の仕掛けについて、観客が迷うことはない。その後は「全部このためのフリだったんだ!」と感心し、「次何が来る!」とワクワクしながら、映画の「裏側」を楽しむことが出来る。

 しかも最終的に、この短い尺(第1パートの30分は劇中劇なので、実質1時間)のドラマの中で、登場人物たちは変化と成長を遂げて、一皮も二皮もむけて行く。ラストシーンではとんでもない難行を乗り越えた後の爽快感を、登場人物たちと共に味わうことが出来る。

 

 最後に、この映画が本当に上手いのは、この構成によって、観客を「共犯者」にすることに成功していることだ。表面の映画を観て、裏側の葛藤を知った上で、撮影時の闘いを一緒に経験する、という経緯を通して、まるで自分も一緒にこの映画を撮ったかのように錯覚してしまう。「あーここで怒ってるんだね、わかるわかる」と思わせることが出来ているのだ。仲間意識、である。

 さらに、作品の仕組みとしてネタバレは絶対に避けなければならないので、面白さを人に勧めるときも「仲間意識」が芽生える。これが嬉しい。この辺は計算して作ったわけではないと思うけれど。

 

 凄く些細なことを言うなら、本当のスタッフロールで本当のワンカット撮影風景を見せるのは、ちょっと早いんじゃないかな・・・・とは感じた。もうちょっとこの作品世界で夢を見ていたかったのだ。でも、ホンの一瞬の隙を突いて水を飲んで休憩しているカメラさんの姿を見て(ワンカット撮影はこんなところにも気を遣わないといけないのか、と感心した)、純粋に、お疲れ様でした、という気持ちになった。

 制作に関わった全ての方に脱帽です。