『ゾンビーワールドへようこそ』★★★★★
邦題で盛大に損している王道青春爽快ゾンビコメディ
あらすじ
スカウトに所属する3人組とタフなバーのウェートレスが、ゾンビに侵食されたのどかな町で人類を救うため、スカウトで培った技術を生かして名誉のために奮闘する。(amazonより)
怖がりなのでゾンビ映画に詳しいわけでは全くないのだが、たまに「荒っぽくて楽しい」あの感覚を味わいたくてチョイスすることがある。Amazonでの評価がすこぶる高かったので期待して視聴。
期待通りの直球で荒っぽいがバカバカしくて気持ちいい、青春コメディの王道作品だった。90分という短い尺でキャラを立て、シチュエーションを動かし、気分良く終わる。見本のように良くできた作品。
何がもったいないと言って、日本版のクソダサタイトルで盛大に損しているのが惜しすぎる。本作はボーイスカウトを高校生にもなって続けている3人の少年が成長していく物語で、現代はズバリ『Scouts Guide to the Zombie Apocalypse (ボーイスカウトがゾンビ終末世界へご案内)』。ボーイスカウトならではのシーンやあるあるネタが目白押し・・・・なのだが、あいにく日本人である筆者には、そのあたりのニュアンスは完璧には伝わってこない。
どうやらボーイスカウトを高校生になってもやっているのはクソダサいことらしく、それ自体はなんとなくわかる。向こうではハイスクールに行ったらクラブで踊って勢いで・・・・ぐらいがかっこいいとされているようで、そりゃ山で木を削ってマシュマロ焼いて食べましょうみたいなのはクールではないだろう。
多分「ボーイスカウト×ゾンビ」というのはその辺のニュアンスがわかる人にとってはツボなのだろうが、そうでもない人間に対するアピールとしては「イケてない3人組がゾンビとバトって大逆転!」ぐらいだろう。しかし実際、このボーイスカウトの残念感は日本語に翻訳しづらい。
ストーリーは繰り返すように王道。いまいちイケてない3人組と、憧れの美少女、その彼氏で小馬鹿にしてくるイケメン、そしてドギマギするちょっと年上のエッチな女の子。これだけ要素が揃ったら展開はおおよそ決まってくるが、さらにゾンビ騒動への対処が一つ一つ細かく笑わせてくる。
特別なオリジナリティがさほどあるわけではないのだが、テンポが絶妙に良いので笑いながら見続けてしまう。ローバジェットだが安っぽさはどこにもなく、恋愛要素も程よくあっさり。ゾンビに命を脅かされている割に登場人物は友情や欲望に支配されがちだが、ライトなゾンビコメディでそこを突っ込んではいけないだろう。
取り立ててどこがすごいというわけではない。一つ一つがよくできているので全体として出来が良い。休日に気軽に見るのにぴったり。オススメです。
『キャスト・アウェイ』★★★★☆
あらゆるものにまとわりつかれた人間が全てを失ったとき、辿り着いた場所とは
あらすじ
チャック・ノーランドは、世界宅配便“フェデックス”の敏腕システム・エンジニア。世界中を駆け回り、システム上の問題解決に明け暮れている。一秒も無駄にしないことが彼の信条だった。そんなある日、彼の乗った飛行機が事故を起こす。奇跡的に一命を取り留めたものの、彼が漂流した先は無人島だった。まったく孤立無援の環境に投げ出されたうえ、日常の便宜から切り離され、チャックは生きるために必要な水と食料、寝る場所の確保の問題に直面する。(amazonより・一部編集)
大好きなロバート・ゼメキス監督作品ながら、約2時間半と長尺なのでなかなか観られず、ようやく観賞。監督得意の寓話性と、難しいことを簡単にせず、逃げを打たずにそのままのかたちで届けてくれる語り口が心地よい物語だった。
なぜ主人公をフェデックスのエンジニアに設定したのか初めのうち、非常に不可解だったのだが、世界中を飛び回るということ、「時間」を無駄にせず仕事を行うという主人公の哲学、運ばれている荷物を使った物語上のギミック、などなど重層的な意味合いを持たせるために不可欠な設定だった。
また、この映画で有名な「ウィルソン」だが、無人島で一人きりの主人公に会話をさせて映画の進行を円滑にしつつ、ドラマに厚みをくわえることにも成功している。こうした、見事なアイディアがシンプルな作品を唯一無二のものにしているのだ。
この物語から得られるメッセージは終盤、主人公の言葉で明瞭に語られているが、全てを失った人間がただひとつ、手元に残った真実とは何だったのか。2時間半という尺でありながら、無駄をそぎ落とした作品全体がシンプルに描き出している。表情から立ち居振る舞いまで、冒頭とはまるで別人のような演技を見せるトム・ハンクスが圧巻。
『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』★★★☆☆
オジサンの夢とが詰まった、陽気で愉快でノンストレスな秀作メシ映画
あらすじ
一流レストランの料理人カール・キャスパーはオーナーと衝突。創造性に欠ける料理を作ることを拒み、店を辞めてしまう。マイアミに行ったカールは、とてもおいしいキューバサンドイッチと出会い、元妻や友人、息子らとフードトラックでサンドイッチの移動販売を始めることにする。(amazonより)
『アイアンマン』の監督&出演者として知られるジョン・ファヴローによる小品。芸術的な作品を目指してはおらず、あくまで陽気なエンタメに徹し、イヤな人物はほぼ出てこない。演出も小気味よく、気分よく観られる良作なのは間違いない。ロバート・ダウニーJrやスカーレット・ヨハンソンなど、アイアンマン周りのキャストも登場。
アマゾンでの評価もすこぶるよく、実際観てみても良作なのは間違いない、というか特段不満をぶつけるような箇所はない作品なのだが、どうにもひっかかるところは残った。出てくるキューバサンドは実に美味そう、息子の子役はかわいくて芝居は上手い、スタイル抜群のラテン系美女の元奥さんとはつかず離れずの距離感、勤めるレストランの美人ウェイトレスとはちょっとした恋仲、部下たちは自分をすこぶる慕ってくれる、料理の腕は抜群・・・・。
主人公に感情移入出来るか、乗っかれるかに全ては掛かってくるだろう。前半部分では筆者も、上司の方針と自分のやりたいことの間で板場祭に合う主人公の悩みに共感しながら観ていられたのだが、あっという間にそんな悩みを吹っ飛ばす、愉快なロードムービーへと転換する。まるで中年男性には夢と希望しかないような明るい物語。
もちろん暗くしたり悩みを持続させればいい映画になる、などというつもりはさらさらない。ただ、それではこの物語は何を描いているのだろう。親子の関係性なのか、作り手と批評家の関係性なのか、ものを創るときに何のために作り上げるべきかという問題なのか。どうにもしっくりくるところを見つけ出すことが、筆者は出来なかった。
そう、作中でも登場する問いかけと重なってくるのかも知れない。保守的か先鋭的か、旧弊か斬新か、客のためか自分のためか。そんな二項対立に囚われすぎてわけがわからなくなってしまったなら、旅に出るべきなのかも知れない。つまるところ、どうのこうの言ってないで「美味しい料理」を創るべき、ということなのだろう。
そういう意味で言えば、本作は「美味しい映画」だと思う。気分よく観られ、暖かく劇場から帰れる佳作なのだが。だがしかし。現実のうんざりするような気分を一掃してくれる、明るい物語なのだが。だがしかし。どうも引っかかりが残る。いや、正確に言えば、「引っかかりが足りない」のかもしれない。
気分よく「めでたしめでたし」を味わうためには、主人公にもう少し、山を乗り越えて欲しかったように思う。劇中の料理同様、小気味よいスパイスが欲しかったのだ。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』★★★★★
映画史上最大クラスの「後片付け」。未来へ繋がる橋渡しの1作
あらすじ
最強を超える敵“サノス”によって、アベンジャーズのメンバーを含む全宇宙の生命は、半分に消し去られてしまった…。大切な家族や友人を目の前で失い、絶望とともに地球にとり残された35億の人々の中には、この悲劇を乗り越えて前に進もうとする者もいた。だが、“彼ら”は決して諦めなかった。(公式サイトより)
とりあえずネタバレなしを書いたあとで、ネタバレありを書いていこうと思う。ちなみに筆者は、過去のMCU作品は全て鑑賞している。
ただ、この作品感想の書き方が難しい。このブログを読んだから観ようと思った、という人はたぶんほぼゼロで、観る人は初めから(一年前から)見るに決まってるし、観ない人は今さらどうこうもないだろうと思うからだ。
そんな状況であえて書くとすれば、本作はおそらく映画史上でもトップクラスの難事である。スターウォーズの続編に匹敵するレベルだろうが、可能な自由度はスターウォーズよりかなり低い。MCU(マーベル映画ヒーローシリーズ)は各作品世界観や物語の枠組みが異なっている上、基本的に全年齢向けなので極端にダークなことも出来ない。
その上、今回は1年前に事実上の前編を公開したあとで、丸1年間、世界中の数億人のファンがありとあらゆる予想をした状態での完結編公開である。その予想の隙間をかいくぐり、意表を突き、納得させ、過去作の伏線も回収し、かつ、無数に登場する各ヒーローのファンたちがみんな満足するような展開&落としどころを用意しなければならない。あと、もちろんお話として面白くないといけない。
さらに、キャストは誰も彼も他の映画なら主役クラスのハリウッドの大物ばかりでスケジュールを揃えるだけでも難儀、CGも画面の隅から隅まで埋め尽くし、シナリオも複雑怪奇で把握するだけでも困難。もちろん、娯楽映画としてギリギリ許される尺の中に収めなければならない。ファンの期待は史上最高クラスに高まっている上に、絶対裏切れない。おそらく、これ以上厳しい条件の映画は考えにくいだろう。
そして、本作の制作陣、MCUのプロデューサーのケヴィン・ファイギと本作監督のルッソ兄弟は、以上の困難を全て乗り越え、やり遂げたのだ。
ネタバレなしでいえることはここまでだろう。以下、ネタバレありで書きます。
*************以下、ネタバレあり****************
さて、ここからはネタバレありで書きます。
もう言ってしまえば「タイムトラベル」である(笑)。いったいどうやって前作の絶望的な状況を打開してくるか、筆者も一ファンとしていろんなサイトを眺めてありとあらゆる予想を見たが、これはもう、最初期から言われていた、というか言われすぎていて逆にないだろう、ぐらいに扱われていた案だった。
それはそうだ。タイムトラベルを可とするなら、何が起きたってだいたいOKになってしまう。実はこの案、諸刃の剣なのだ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもそうだったが、移動に掛かる燃料が入手困難だとか、条件を付けなければタイムトラベルを解決手段にするのは危険だし、行った先のミッションもほどよく難しくしないと面白くはならない。
タイムパラドックスも非常に複雑な上、上手に回避したところでお話として大して面白くはならない、という厄介な問題である。なので、本作では時間を移動するものの、過去改変ではなくあくまで過去からインフィニティ・ストーンを取ってくる(し、使い終わったら戻す)という最小限の使い方に抑えている。
そして、先に書いた地獄のような全世界のファンからの予想と期待というダブルパンチに耐えるために、本作の制作陣がどんな手を取ったか。
「もっともシンプルな手段を取って前作からの疑問をあっという間に解決させてしまい、物語をその先に進めることで、予想を超えていく」
という方法だった。
前作からのいわゆる「引き」としては、
・サノスをどうやって倒すか
・宇宙空間にほったらかされたアイアンマンをどうやって地球に戻すか
・指ぱっちんでいなくなった半分の生命体をどうやって戻すか
・キャプテン・マーベルとはどうやって出会うのだろう
といったあたりで、この一年ほどのファンの予想も、ほぼこのあたりに集中していた。なので、逆に言えば観賞前にファンが考えていたことはここ止まりでもある。
これらを、
・弱ってるのですぐ殺す
・キャプテン・マーベルが持って帰ってくる
・タイムトラベルが使えるようになる
・もう出会ってる(『キャプテン・マーベル』エンドロールで描いたからOK)
とおそろしいほどあっさりと、開始20分以内(たぶん)に回答を用意してしまう。そして、「それはいいとして」とでも言わんばかりに次の展開に進められてしまえば、もう観客としては予想してきていない(予習してきていない)展開に突入してしまい、もう制作者に振り回され続けるしかない状態である。まんまとやられてしまった。
意外性を求められがちな引きというのは日本の漫画でも海外ドラマでも求められるものであり、しかしながら意外性というのは時間が掛かれば掛かるほど予想され尽くしてしまって驚きが減じてしまう。
例を出すなら「黒ずくめのボスの正体」「『ひとつながりの財宝』の正体」あたりだろう。そりゃもう、予想だにしていない答えなど出しようがない。人海戦術で先を越されているのだから(「黒ずくめ」については答えが出たが、案の定予想の通りの人物だった)。なので、強烈な「?」からの驚きに期待感を煽るのは非常に危険なのだ。
その解決策が見事に示された……というか、やらなきゃいけないことがめちゃくちゃいっぱいあるからここに尺を割いていられなかっただけかも知れないのだが、見事だった。
この恐ろしいほど濃密な時間の中にも、喜劇あり悲劇ありの振れ幅の大きさは、過去作からまったく変わっていない。『GotG』や『マイティ・ソー/バトルロイヤル』で取り入れられたハイテンションなコメディの感覚もありつつ、シビアな闘いの場面も悲しみのシーンもふんだんに取り込まれ、しかもそれぞれのシーンが早足ではない。
ついつい運びそのものを焦ってしまいそうになるが、監督たちはこのあたりのテンポに関する感覚が素晴らしく、明確に切るべきところを切り、残すべきところは情感たっぷりに演出している。遊びの要素や過去作へのオマージュも忘れておらず、ファンサービスも満点である。
そして、シリーズいったんの完結作として、いくつかの落としどころが描かれる。シリーズ最初期から登場している面子の、十年以上にわたる旅の終着点として、過度にエモーショナルにもせず、しかし充分に美しい最後が描かれていた。
ソー役のクリス・ヘムズワースは以前から、もう少しこの役をやりたいと言っており、本作でもキャラクターが更に自由度を増して爆笑を誘っていたのでぜひ続編をやっていただきたいが、今回で卒業と以前から発表されていたアイアンマン=ロバート・ダウニーjrとキャプテン・アメリカ=クリス・エヴァンスや、渾身の演技でまさにやりきったという万感の思いが伝わってくる。
アイアンマンはこのシリーズを最初に牽引してくれた立役者だからこその、とどめの一撃。そしてキャップは、唯一の心残りを解消し、「ヒーローでなかった一生」を味わわせるというSFならではの小粋な演出。見事だった。
のみならず、両キャラクターの未来を予感させる演出――現アイアンマンと同じようにガレージを愛し、喜んでマスクを被る彼の娘と、キャプテン・アメリカから盾を引き継いだファルコンが、2代目ヒーローを期待させてくれるのも喜ばしい。
新キャプテンがアフリカン・アメリカンというのはまさにアメリカの歴史を感じさせてくれる。プラスして、おそらく2代目アイアンマン(アイアンウーマン)が登場出来るのは早くて十年後ぐらいだろうが、きっとケヴィン・ファイギはその未来まで見通しているのだろう。
まあ細かいことを言えば「なかなか力業だな」と思った部分ももちろんなくはないが(笑)、それら全てを些末なことと思わせてくれて、三時間十分というおそるべき長丁場を一瞬も飽きさせずに観られたことに感謝。
まだまだこのシリーズにつきあわなければならないのだろうなー、と思いつつ、ロバート・ダウニーjrとクリス・エヴァンスの、そしてルッソ兄弟のこれからの新作にも期待しつつ、今日は充実感とともに眠れそうだ。
『her/世界でひとつの彼女』★★★★☆
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ひねったSFのようでその実、無数の問いかけが詰め込まれたシンプルな恋愛物語。
あらすじ
そう遠くない未来のロサンゼルス。ある日セオドアが最新のAI(人工知能)型OSを起動させると、画面の奥から明るい女性の声が聞こえる。彼女の名前はサマンサ。AIだけどユーモラスで、純真で、セクシーで、誰より人間らしい。
セオドアとサマンサはすぐに仲良くなり、夜寝る前に会話をしたり、デートをしたり、旅行をしたり・・・・・・一緒に過ごす時間はお互いにとっていままでにないくらい新鮮で刺激的。ありえないはずの恋だったが、親友エイミーの後押しもあり、セオドアは恋人としてサマンサと真剣に向き合うことを決意。
しかし感情的で繊細な彼女は彼を次第に翻弄するようになり、そして彼女のある計画により恋は予想外の展開へ――! “一人(セオドア)とひとつ(サマンサ)"の恋のゆくえは果たして――?(amazonより)
人工知能は身近な存在になりつつあり、おそらく数年のウチに現実の人間と区別がつかないAIの話し相手が世の中にあふれかえるようになるだろうが、恋をするのはどれぐらい一般的になるだろうか。キャラクターに愛情を抱く人がこれだけいるのだから、少なくない人が恋愛をするようになるだろうと思うけれど。
アマゾンのあらすじは無駄に感情的かつベタに書かれているが、本作は非常にクールで物静かなSF作品。生き方が下手だけれど文才はある男と、AIの恋愛を描いた物語である。監督はスパイク・ジョーンズ。どうも、スパイク・リーとかダンカン・ジョーンズとかアン・リーとかと頭の中でごっちゃになっていたが(全員作風が独特)、視聴済みの過去作は『マルコヴィッチの穴』だけだった。
なまじSFが好きだと、「こういう系の話ね」と勝手に把握した上で、果たしてどこまで行ってくれるのか、と勝手な期待を抱いてしまう。ジャンルフィクションの辛いところかも知れない。人間ではない者との恋愛、人工知能の進化する姿、人体を持たない存在の心、被造物の苦しみ。そうしたテーマが本作でもたっぷり詰め込まれている。
いくらでも主題は明快に出来た内容だろうけれど、見ていると描こうとしている問題があちらへ行き、こちらへ行き、と揺らいでいるようにすら感じられる。結末を衝撃的に描こうとするなら伏線をいくらでも張れただろう。メッセージ性を高めようと思えばできたはずだ。実際観賞していても、この物語のメインテーマをはっきりと読み取るのに苦慮していた。
大きな要素としては、「愛は誰にとってリアルなものか」ということだろう。主人公は手紙の「心のこもった」代筆をするという会社の優秀な書き手である。劇中でも、書き手が誰であれ差出人が女ならそれは女からの手紙だ、とセリフで言及されている。誰が書いていようが、手紙に込められた愛情を読み取るのは受取手である。
AIとの間の恋愛も同様に、その差出人がリアルな人間であるかどうかをどの程度問題にするかが要点になるだろう。AIに愛情があるか、そもそもAIにリアルな意志があるかを確認する術はない。コミュニケーションはすべからく、受け手の問題になる。
赤の他人への手紙では見事な手腕を発揮する主人公は、最も身近で最も知っているはずの女性に対しては、満足なコミュニケーションを取れなかった。彼はAIの恋人を通じ、そんな自分と否が応でも向き合うことになる。
ただ、本作を複雑にしているのは、同時にAIのヒロインの心理もきっちり追いかけ、悩ませ、行動させているところにあるのだろう。身体を持たない、人間ではない彼女の恋愛。しかも彼女は創られた存在であり、自分を自分で制御することが出来ない。
そんな条件に置かれた一人の存在の心を、しかもセリフでしか描けないキャラクターを、逃げずに描写している。彼女も悩み、傷つき、成長していく人物としてきちんと成り立っているのだ。主人公かヒロイン、どちらかに絞ればよほど簡単でわかりやすい話に出来ただろうが、そうしないことで本作は、展開ごとに無数の疑問や問いかけをこちらに投げかけてくれる。
オチそのものはSFやファンタジーの世界では類例があるものだろう。筆者も途中で予想はついていた範疇のものだが、オチでビックリさせるのがこの作品の狙いではない。あくまで静かに描かれた恋愛物語として幕を閉じる。
わかりやすい答えを用意した物語にしてしまっては、本作の意図からもずれるだろう。ふたりの恋愛模様を描いたひとつの詩であり、そこから何を受け取るかは、これもまた受取手次第なのだ。
『バンブルビー』★★★★★
十代の子には人外の親友がいるべきだ。超正道派SFジュブナイルの佳作。
あらすじ
父親を亡くした悲しみから立ち直れずにいる少女チャーリーは、18歳の誕生日に小さな廃品置き場で廃車寸前の黄色い車を見つける。すると突然、その車が人型の生命体へと変形。驚くチャーリーを前に逃げ惑う生命体は、記憶と声を失って何かに怯えていた。チャーリーは生命体を「バンブルビー(黄色い蜂)」と名づけ、匿うことにするが……。(映画.comより)
トランスフォーマーシリーズについては、だいぶ前に1作目だけ観て、「ふーん」というぐらいの感想しか抱いていない。90年代のアニメシリーズも観ておらず、おもちゃも遊んでいないので何の思い入れもなく、映画はとにかくよく爆発して派手だった、というだけの印象。ストーリーは全くといっていいほど覚えていない。
評判を聞きつけて本作を鑑賞したが、80年代~90年代前半にスピルバーグ界隈で多く在ったジュブナイルSF冒険活劇の直球にして、魅力的なキャラクターの描き方を熟知した監督によるコミカルで心温まるシーン連発のウェルメイドな作品だった。
ツイッター上で「子ども時代はこういう作品を観て育つべきだ」という意見を見かけたが、全くその通り。筆者は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観たときの喜びを思い出した。
ストーリーは『ET』に近いだろうか。「異星からやってきた天然の生命体をこっそり家に匿い友情をはぐくむ」というのは、もうワクワクするしかないだろう。一応舞台は1987年だが、主人公の人物造形はすこぶる現代的。相手役になる男の子は出てくるが、そこまで恋愛描写をだらだらと突っ込まずさわやかな青春を描いているのもバランス感覚が素晴らしい。なんとなく、『魔女の宅急便』のキキとトンボを思い出す。
また、こうした物語ではしばしば、「家族の大切さ」とか「友情から来る絶叫」みたいな、大人が考えがちな愚にもつかない倫理の説明シーン(しかも真新しさのない説教がついてくる)がベタベタと塗りつけられがちだが、本作にはそうした部分が一切ない。あくまでティーンエイジャーの視点から、セリフや説明に頼らず、閉塞感ある日常からの脱却が冒険の中で描写されている。
自分のことしか見えていなかった十代の主人公が、新たな友のために闘うことで、広い世界へ目を開いていく王道のストーリー。しかしながら、各シーン、展開、登場人物、アクション、セリフ、どこをとっても手抜きはなく、アイディアが盛りだくさん。
ほんの一瞬しか出てこない登場人物も、現れた途端にオリジナリティあるキャラクターとして人物像が浮かび上がるのは、監督や脚本家がきちんと人間を見て、ものを創っている人たちだからだろう。主人公と敵対する大人たち、両親や軍の関係者も、薄っぺらな悪役としてではなく、あくまで人間として描かれている。
そしてなにより、バンブルビーが終始かわいい! このためだけでも見る価値がある。巨大な鉄の塊であるはずの彼が、愛らしい犬、そして意志を持った友に見えてくるのは、やはり監督がアニメーション出身だからこそなせる業だろうか。ほんのちょっとした動き、手や指先から猫背のカーブ、歩き方の一つ一つまで、「こんなもんでええやろ」で済ませた部分は全く無い。
ここまですることで、初めてCGがキャラクターになる。考えてみれば、ストップモーションアニメの監督は、トランスフォーマーのようなCGでキャラクターを動かしてなんぼの作品には大いに向いているのだ。
少年少女時代には、人外の親友が居て然るべきだし、もしいなかったとしたら、本作のような秀逸で、世界を肯定してくれる物語が必要だろう。オススメです。
『イップ・マン 葉問』★★★★☆
史実とかもうどうでもいい英雄譚化=中華版ロッキー。だがそれがいい。
あらすじ
1950年、イギリスの植民地の香港に、広東省から家族を連れて移住した中国武術・詠春拳の達人イップ・マン。待っていたのは、この地を仕切る洪拳の師匠ホンとの激闘だった。勝負は決着がつかぬまま、武館閉鎖に追い込まれるも、公園で黙々と弟子を指導し続けるイップ・マン。そんな時、中国武術を侮辱したイギリス人ボクサーに立ち向かったホンが…。(amazonより・一部編集)
スカッとしたくてようやく続編観賞。心からワクワクしながら見始めて、期待を裏切らない内容に大満足。
シナリオは実のところ、前作よりも単純・・・・というより、前作以上に完全なフィクションだからか、最早割り切って直球で攻め込んできている。前作のラストで移住してきた香港で苦労する主人公・葉問。妻と子を養うために武館を開くも、未知の土地ではどうしようもなく参ってしまう。そんなとき、占領していたイギリスの警察が横暴に振る舞い・・・・と、前作で日本軍が担っていたポジションを今度はイギリスが担当。
まあ要は、中国拳法vsボクシング、というお話なのだが、もう展開が、前作を意識的に定式化、というかテンプレート化して、中身を置き換えたような感じになってきている。1作目に居たあの人はこの人に役割だけそのままで置き換えられ、それによって葉問に生じる感情も同質で・・・・。
何に近いか、といえばもう、『ロッキー』シリーズだろう(笑)。ロッキーはもうとにかく全作品(5以外)は同じ構成で、それでも面白い、というどうかしている作品だが、詰まるところ面白さは毎回、「ロッキーは今度はどんな敵と戦ってどうやって乗り越えるんだろう」という1点、そしてそれが成り立つのはロッキーのキャラクターがとんでもなく魅力的だからなのだが、本作も2作目にしてその雰囲気を醸し出しつつある。
本作の場合はロッキーと違い、葉問が最初からチート級に強くて絶対に負けるわけないので、むしろ安心しながら観られる。さらに、虐げられる中国の民が外敵と正面から戦い、誇りを守り切るという物語なので、民族的高揚感も含まれている。この辺の若干政治的要素と、今回ボクシングが題材という点で、観賞後の印象は『ロッキー4』に近かった。
そして忘れてはいけないのが今回は、SPゲスト、サモ・ハン・キンポーがいるということ。葉問と対立する流派の師匠を演じているが、いい年齢かつでっぷりした体つきながら、相変わらず動きは若い頃同様目にもとまらぬ早業で、もうたまらない。ある意味、葉問以上の存在感と印象(もっとこの人を観ていたい!と思わせる)を残すあたり、やはりスターだなと思い知る。
さてシリーズ3作目は何と闘うのかなー、とすでに期待。このままいつまでもシリーズに続いて欲しいという気持ちになってきている。