週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『ゴジラの逆襲』★☆☆☆☆

ゴジラの逆襲

ゴジラの逆襲

 

突貫工事で作り上げられた凡庸の極み

あらすじ

再び現れたゴジラは、新たな巨大怪獣・アンギラスと格闘しつつ海中へ。政府はゴジラの本土上陸を阻止せんとするが、脱走した囚人の起こした火災がゴジラアンギラスを大阪に誘導してしまう。(amazonより)

 

 好きなゴジラ映画でこんなことは書きたくはないが、本当なのだからどうしようもない。見出しの通りの感想である。

 確か、第1作のゴジラの大ヒットを受けて5ヵ月で作り上げられた、という話。現代劇ならともかく、特撮を含む映画を5ヵ月で作るのは正気の沙汰ではないと思うが、ともかくやり遂げたわけだ。そして、その通りのクオリティに仕上がっている。

 

 脚本自体は支離滅裂ではないが、しかし面白みは全く無い。特撮が入らない分の間を埋めるために、面白くもなんともない一般人の会話が延々引き延ばされている。その内容は特に、ゴジラの抱えている問題と関係はない、ごく普通の(それもこれといって奥行きもない)色恋沙汰である。

 第1作のようにゴジラという存在そのものと複雑に関わってくるような人間ドラマの展開はなく、特徴も無く、意外性もなく、ただただ普通のセリフを喋っているだけ。無理やりゴジラと闘う理由を作ろうとしている様子だが、ごく普通の漁業会社の飛行機操縦士がゴジラに決死の覚悟で立ち向かうまでの強い関心を抱くのはさすがに無理がある。

 

 一方で肝心要の特撮のほうも、非常に厳しい。新怪獣アンギラスの登場はさすがにテンションが上がったが、シリーズでもトップクラスに地味で特徴の薄い怪獣なので、戦い方もまさしく「プロレス」であって観ていてもあんまり面白くない。さらに、どうもフィルムの回転数を間違えたらしく、普通の人間のとっくみあい以上に動きがちまちましている。これが妙な味(怪獣の異常性)を与えてはいるのだが、褒める気にはなれない。

 唯一よかったのは大阪の巨大セットで、これはなかなか見応えがあった。でも魅力と呼べるのはここぐらいだろう。ゴジラの顔のアップも、1作目よりも表情があるのは悪くない。

 

 さらに。音楽が伊福部昭ではないので、あのゴジラのテーマは流れない。それはまあよいのだが、今回の音楽が実に地味で、ほとんど流れない。

 その結果として妙に記録フィルムじみた雰囲気はあって迫力に若干繋がってはいるが、でも映画としてみるとやはりマイナスだろう。ワクワクもドキドキもない。やたら暗い重低音が鳴り続けているだけだと、これもまた異様さの演出には繋がるが、解決や解消が無いのでもやもやするばかりである。

 

 そしてゴジラの倒し方は現場での思いつき。計画性などまるでない。

 その他、登場人物も少なくロケもほとんど無く、予算も時間も無かったことが画面の広がりのなさからも窺える。当時の事情は大いに理解出来るが、とはいえ、今さら観るのは筆者のように、全作品観ようと覚悟を固めた人間だけで充分だろう。

『プロメア』★★★★★


映画『プロメア』ロングPV 制作:TRIGGER  5月24日〈金〉全国公開

頭から終わりまで「最終回」の連打。おバカが作ったに違いない(褒め言葉)

あらすじ

 突然変異で誕生した炎を操る人種「バーニッシュ」の出現をきっかけに、未曾有の大惨事である「世界大炎上」が起こり、世界の半分が焼失した。それから30年後、一部の攻撃的なバーニッシュが「マッドバーニッシュ」を名乗り、再び世界を危機に陥れる。これにより、対バーニッシュ用の高機動救命消防隊「バーニングレスキュー」の新人隊員ガロと、マッドバーニッシュのリーダー、リオという、それぞれ信念を持った熱い2人の男がぶつかり合うことになる。(映画.comより)

 

 テレビアニメを最後まで鑑賞しきれることがなかなかない。面白くても尺が長すぎて、途中でダレてしまうのだ。12話なり24話なり鑑賞しきった時の興奮は他に代え難いものがあるのだが、なかなか習慣づけられるほど最後まで興味を持続できない。これは自分の集中力のなさが原因だし、だからこそ2時間で済む映画ばかり見ているのだが。

 そんな人に朗報である。このオリジナルアニメ映画はちゃんと冒頭からお話が始まるにも関わらず、2時間ずっと「最終回」が描かれ続けている。説明し難いが、本当に始まってすぐに「最終回的状態」になり、それからラストシーンまでとにかくずっと「最終回状態」である。

「あーいい最終回だった」というあの感情だけを味わいたい、なんてわがままな欲望を叶えてくれる、極めて特殊な作品といえる。

 

 先に書いたようにすごく特殊な作品なので、いわゆる「ちゃんとした」シナリオ、「ちゃんとした」ドラマ、「ちゃんとした」人間感情を味わいたい、という方には一切オススメしない。ちゃんとしてないからである(笑)。

 ストーリーは過去の熱血アニメ、ロボットもの、ヒーローもの、戦隊モノなどなどありとあらゆるジャンルからの引用が相次いでいる。この辺りは『キルラキル』と同様。したがって、あえて「引用ですよ」というシグナルもなく突然何かを元ネタにしたシーンや展開、あるいは「あるある」が連発されるので、そういうのが全くわからない、という人には鬼門かもしれない。

 

 冒頭から5分ほどでテンポよく設定が見せられ、「もういい? わかったね? じゃあ始めます」と言わんばかりにあっという間に怒涛の激アツ展開に突入。そのあとは、満足にキャラクターの説明もなく、「見りゃだいたいわかんだろ?」といった勢いのまま最後まで駆け抜ける。

 この「だいたいわかる」の加減が本当にギリギリで、人によっては置いてけぼりにされることもあるだろう。筆者も中盤、若干置いてかれている感(他人事感)があった。感情移入できない状態で熱血物語を展開されるとそうなりがちなのだ。

 

 しかし、これは本当に画期的な感覚だったのだが、置いてけぼりも加速していくと一周回ってやっぱりわかるような感覚になる(笑)。ものすごい勢いで先に行かれてしまうのだが、それでもやっぱり物語を見続けていると愛着が湧いてきて、結局感情移入してしまうのだ。

 また、勢い任せのギャグも(『キルラキル』ほどではなかったが)要所要所に入れ込まれていて笑わせてくれる。そんな中であまりに「最終回っぽい激アツ展開」が乱舞するので、だんだんいま、映画の何割ぐらいか、何分くらい経ったのかがわからなくなってくる。

 

 だいたい映画を見ていると、展開から言っておそらく三分の一ぐらいだろう、半分ぐらいだろうという見当がつくのだが、本作についてはそれができない。もう今度こそ最後、ラスト展開か、と思い始めてからが本番、という作品だからだ。

 ちなみに、メッセージがどうとか、考えさせられるとか、そういうのとも無縁な内容なので、そこも予めご了承願いたいところ。『マッドマックス』などもそうだが、意味を破壊していった先に残る高揚感を描く作品というのもこの世にはあっていいと思うのだ。

 正直言えばもっとゆっくり、2クールぐらいかけて観たかった、という気持ちもなくはない。でもそうなると、『キルラキル』とやることは変わらなくなってしまうだろう。2時間で最速加熱、どこまで熱くできるか挑戦して、純度を極限まで高めて精錬した作品といえるだろう。

 

 ちなみに、芸能人キャストの松山ケンイチ早乙女太一堺雅人の演技は素晴らしいの一言。実力ある声優陣の演技の中でも全く浮いていない。絶叫が多い、アニメ以外では表現されない感情が飛び交う内容にも関わらず、最後まで見事に演じきっていた。

 特に堺雅人の芝居は、これまでアニメで聞いたこともないような幅の広さでまさに脱帽。もっと堺雅人出てこないかな、と思わせてくれた。イチオシ。

『ゴジラ×メカゴジラ(2002)』★★★★☆

 

ゴジラ×メカゴジラ

ゴジラ×メカゴジラ

 

 強い意志を持った主人公による巨大ロボットものとしてのゴジラ作品

 あらすじ

政府は、対ゴジラ用兵器の開発に着手し、1954年に死亡したゴジラの骨をベースに生体ロボット、3式機龍(=メカゴジラ)の製造に成功、対特殊生物自衛隊の中に機龍隊が結成される。再び日本に姿を現したゴジラを超攻撃型メカゴジラが迎え撃つ。(amazonより)

 

 『デストロイア』以降のゴジラはほとんどリアルタイムで観てこなかったので、今回まとめて観ていくと意外なほど面白くて楽しい。ぱっと見のゴジラの外見やストーリーのコンセプトがライトで当時は観たくなかったのだが、なかなかよくできている。

 本作はまさに想像を大きく超えていて、大勢の登場人物を動かしながら無駄のない脚本、入り組んだ人間ドラマの作り方、ゴジラの恐ろしさ、そして、主人公の造形と演技の見事さが際立っていた。

 

 いうまでもなくゴジラの主人公はゴジラである。なので、人間サイドの主人公はあまり存在感がないことが多い。しかしながら、本作は釈由美子演じる自衛官メカゴジラのオペレータを務めるということで、直接ゴジラと対決する人間というなかなか珍しいポジションにつく。

 この主人公の演技が、失礼ながら驚くほどしっかりしている。当時の人気グラビアアイドルによる主演ということもあり、まあ、期待するのも無理があるというぐらいに思いながら身始めたのだが、きちんと自衛官らしさを感じる「少々堅物で真面目だが優しく、そして危険に立ち向かう勇気のある人物」という人物造形をきちんと表現していた。

 

 訓練シーンやアクションシーンもあるのだが、スタントを使っているとはいえ顔の見えるシーンも多く、そこもきっちりとこなしている。「それらしく」見せるだけでも大変なはずだが、違和感はなかった(もちろん演出のうまさでもあるのだが)。

 キャラクター設定的に寡黙、かつ表情も抑えめのシーンが多いのが奏功してか、ゴジラに尺を取られて人間描写が短い中でもどんな人物かよく伝わってくる。そして終盤の叫びを伴う演技も、「かっこよく叫ぶ」のは非常に難しいのだが、ちゃんと魂のこもった限界状態の人間の絶叫になっていた。

 

 主人公を今回女性に据えたのは、もしかするとハム太郎との同時上映という関係で、女の子にも楽しんでもらう目的だったのかもしれないが、見事に成功していると感じた。

 元ネタとしてはエヴァンゲリオンパトレイバーあたりだろうか。特にエヴァは、ゴジラの生体情報をもとにメカゴジラを作るという設定、終盤の展開からも強い影響を感じた。

 

 今回改めて、ゴジラというキャラクターで格闘シーンを演出することの難しさがよくわかってきた。そもそも、ゆっくり歩くことしかできず、放射火炎以外の攻撃法を持たず、使えても尻尾程度、という怪獣に、毎回華のある戦いをさせるのはとても難しいのだ。つまり、相手にどんな怪獣を配置するかで映画の内容がほとんど決まってくる。

 しかし、怪獣というのはほぼ意志や動機がない。なので外見上の多様性を出す以外、手がないのだが、怪獣を介在させながらもきちんと人間が戦う、という形式をとれば、わずか1時間30分程度のゴジラと怪獣の戦いにドラマをもたらすことができる、ということが本作を見てよくわかった。

『ゴジラ対メガロ』★★★☆☆

 

ゴジラ対メガロ

ゴジラ対メガロ

 

こまけえことはいいんだよ的豪快怪獣映画

あらすじ

度重なる核実験で環境を破壊された海底王国・シートピアが、守護神である昆虫怪獣・メガロを出現させ、人類に宣戦布告。メガロを出動させるには電子ロボット・ジェット・ジャガーの誘導が必要で、海底人たちはジェット・ジャガーの生みの親である伊吹吾郎からジェット・ジャガーを奪う。しかし、突然良心回路が作動したジェット・ジャガーは海底人の支配から逃れ、メガロと対峙することに。(amazonより)

 

 まず、この評価は怪獣映画が好きな人に対してである。そもそも大して興味がないとか、細かい整合性のなさが気になるとかいう人は本作は観ないほうがいい(上野あらすじを読んでわかるとおり)。時間の無駄だと思うだろう。

 

 とにかくツッコミどころが3分に一回くらいのペースで訪れるのだからたまらない。冒頭から、大きな湖で謎の浮き輪ボートに乗った少年がやけに陸から離れたところまで漕いで出ている時点で、災難に襲われるためにやっているとしか思えなくて笑えたのだが、その後もツッコミどころは連打される。

 保護者が実はロボット研究所で研究をしていたり(その割に親ではなさそうだったり)、開発したロボットが突然、古代レムリア大陸民の子孫に奪われたり、その奪う理由が何だかよくわからなかったり(なんでジェット・ジャガーによる誘導が必要なんだ?)、さらに奪い方や奪った後の使い方が非常に荒っぽくて無計画だったり、奪いに来た悪漢二人がすごい弱かったり(普通のトラックの運ちゃんに負ける)・・・・。

 

 もう疑問点はゴジラが登場する前に山ほど積み上がっている。ゴジラの印象が薄くなるくらいである。こんなに列挙しているのでさぞこの映画に不満だったのだろうと思われるかもしれないが、そうではない。笑いながらも楽しく観ていた。

 こういう作品を大真面目に批判するのはもちろん間違いで、この作品の中のリアリティレベルが一貫していて、そこに狙いがあるのなら問題はないのだ。

 巨大ロボットを出し、新怪獣も出し、人気があった過去怪獣も出し、ゴジラも出す。子供もキャラにしつつ、街も襲われつつ、とお客を楽しませる工夫は満載である。正直、レムリア大陸って何だったのか、とか、そもそも彼らが何のために怪獣・メガロをすごく苦労しながら使わしてきたのかとか、観ていると何だったか忘れてしまうぐらいふんわりしているのだが、細かいことはいいのだ。

 

 そして全体の半分近くを使って怪獣同士のバトル。着ぐるみと弾着くらいしか使えない状況で精一杯の工夫をした戦いが延々続く。今回のゴジラは「いいもん」なので、気軽に人類のために戦ってくれて、しかも顔も可愛い。

 最後まで見ても結局なんのための何の戦いだったのかはわからないだろう。でも、怪獣は戦っているし防衛軍のメカも出てくるし、ミニチュアもかっこよく壊れるし(特にダム決壊シーンはとても良かった)、大いに満足。

『ゴジラ(1954)』★★★★★

 

ゴジラ

ゴジラ

 

まるでシェイクスピア劇のように骨太な、科学と人間がもたらす悲劇

あらすじ

 原水爆実験の影響で、大戸島の伝説の怪獣ゴジラが復活し、東京に上陸。帝都は蹂躙され廃墟と化した。ゴジラ抹殺の手段はあるのか・・・。(amazonより)

 

 きちんと観るのは何年振りだろう。確か大学生の頃に一度観たと思う。その時も楽しんで鑑賞した覚えがあるが、久方ぶりに観てみると、また見え方が異なっていた。今回は、芹沢博士の悲劇としての完成度の高さに目を見張った。

 

 ゴジラの方につい目が行きがちだが、人間サイドのドラマはシンプルながらしっかりしている。主人公・芹沢博士は子供の頃からヒロインと親しい間柄だったが、復員後、大きな傷を負ったことがきっかけで変わってしまった。以前からヒロインと許嫁の関係だったにも関わらず、今、ヒロインには他に付き合っている男性がいる。そしておそらく、芹沢はそのことに気づいている。

 

 ヒロインの父・山根博士が珍しい生物としてのゴジラに異様に肩入れするのは、科学者という人種の他の人々との違いを浮き立たせるためだろう。そして芹沢は、自身の開発した極めて危険な化学物質・オキシジェンデストロイヤーの扱いに苦悩しているが、黙っていることができずにヒロインにその存在を告げてしまう。

 水爆と同列の危険兵器を開発してしまったという壮絶な苦悩、人間を救うこともできるが未来を思えば世に出すわけにいかないという、恐ろしいほどに深刻な悩みが正面から描かれている。何事もなければ、こんなものを抱えていたところで何の問題もなかった。しかし、ゴジラが現れたことで、芹沢は、水爆すら通用しないゴジラを倒すすべを世界で唯一持つにも関わらず、沈黙しなければならないという良心の呵責に苛まれる。

 

 さらに、芹沢は自分とゴジラ二重写しにしていることもうかがえる。水爆という兵器によって住処を追われ、化け物にされてしまったゴジラ。戦争によって居場所を失い、許嫁も失いつつある自分自身。この構造は作中で、常に暗示され続けている。

 本作が恐ろしく上手いのは、このあたりの重く複雑な人間関係が、一切明示されない点である。「結婚」という単語すら出てこないのは驚くべきことだろう。芹沢のヒロインに対する思いに至っては、最後のひとセリフくらいしか描写されていないのだ。にも関わらず、その思いは痛切に伝わってくる。

 表面上はどこまでも、ゴジラの恐怖だけが描かれているが、実際には芹沢という一個の科学者・人間の絶望が通奏低音のように響き続けている。

 

 絶対内緒だ、と言ったにも関わらず、ヒロインは兵器の存在を恋人に伝えてしまった。恋人とともに、芹沢のもとへオキシジェンデストロイヤーを使うよう頼みに来るヒロイン。科学者としても、人間としても、運命を定められてしまう、あまりにも残酷なシーンだと思う。少女たちの祈りに覚悟を決める芹沢。最後に、ヒロインに幸せに暮らすよう言葉を残す。

 悲劇としか表現のしようのない物語である。ゴジラは、水爆や原爆、戦争や空襲そのものの隠喩であると同時に、科学と世界に絶望した孤独な存在の象徴でもあるのだろう。その姿は常にどこか寂しげに、芹沢と二重写しになっている。

 以前見たときはまるで気づけなかった視点で、間をあけて見返すと物語の印象も変わるものだと驚いた。

 

 改めて鑑賞すると、『シン・ゴジラ』がいかに本作にオマージュを捧げていたかがよくわかった。冒頭の構成や、社会全体が窮地に追い込まれていく危機の描写。ゴジラに翻弄され、命を奪われる人々の姿。『シン』は一人の政治家の物語だったが、本作は一人の科学者の物語になっている。あくまで誠実な一人の科学者が、たった一人で下さざるを得なかった悲痛な決意。美しい傑作だった。

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』★★☆☆☆

 

要素を盛り込みすぎた結果、焦点がぼけてしまった惜しまれる一作

あらすじ

 ゴジラを倒して半世紀が経とうとした頃、一隻の原子力潜水艦が巨大な生物と遭遇し、消息を絶つ。防衛軍はこれをゴジラであると推察、その出現を警戒する。その頃、日本各地で次々と怪事件が勃発、調査に向かった報道陣は謎の老人に遭遇し、“護国三聖獣”の存在を知らされる。ついにゴジラが日本に上陸。それに呼応するかのように聖獣たちも目を覚ますのであった。(ゴジラストアより)

 引き続きゴジラ視聴。ゴジラファンの知人から、近年の作品中ではオススメの一作、と聞かされていて楽しみにしていた。監督も平成ガメラシリーズの金子監督ということも期待の一因。

 観てみて悪くはなかったのだが‥‥物足りないところが楽しめたところを上回ってしまい、結果的にもう一つな印象に。

 

 予算がない時期のゴジラであることは重々承知しているので、怪獣の造形がどうにも安い感じなのは目をつぶる。子供の頃テレビで見ていた、平成になってからのウルトラマンシリーズぐらいの特撮に外観が近いので、映画館で見たらさぞ食い足りない印象だったろうと思うが、これはもう仕方ない。ミニチュア周りの迫力はなかなかのものだったので、総合的にはそこまで悪くはないとも言える。

 また、2001年の日本映画なので、CGにできることにもかなり限界があり、この辺りも冷めがちだが、厳しい中でも上手くごまかせる範囲にしか使っていないので、これもそこまでマイナスにはなっていない。そんな状況で4体もの怪獣を登場させるというサービス精神で、量で押し切ってくれるのは思いの外に嬉しいところ。

 

 また、平成ガメラの監督らしく(これが監督の趣味なのか周囲からの要望なのかはよくわからないが)、オカルト要素を投入しているのも、新機軸として悪くなかった。モスラキングギドラ・バラゴンをあえて日本神話らしい文脈に流し込んで、近代の執念・ゴジラと古代からの守護者・三怪獣を対置したことで、怪獣映画にしばしばおこる「なんのために戦っているのかよくわからん」状態を回避できているのも上手かった。

 さらに、怪獣たちに翻弄されるごく普通の人々の描写は、やはり平成ガメラ同様見事だった。篠原ともえ演じる「若者A」の人生初め、些細な描写から「怪獣によって破壊される日常」を演出するのは、金子監督ならではのテクニックだろう。

 

 では、何が不満だったのか。明確に食い足りなかったのはメインを張っている俳優陣の芝居。脇のどうでもいい一般人は気にならないが、ぞろぞろ登場するメインキャラたちが(尺が足りていないこともあるが)どうにも描写に厚みがなく、演技力も相まって感情移入するに足る人物に仕上がっていない。

 どうしてそこまで、怪獣に肩入れするのか、という裏付けがこの種の作品の場合不可欠なのだが、「B級オカルト番組の記者だけどとても真面目な報道への思いがあり、精神感応能力が高く、かつ父親が防衛軍の准将」というヒロイン像は、演じきるのが難しすぎる過積載設定で、どういう人なのかいまひとつ掴めない。彼女を囲む周囲の人間たちも、テンプレ的な面白キャラの方が目立つ。この辺り、平成ガメラの脚本を担当した伊藤和典の巧みさには全く届いていなかった。

 

 さらに、ただでさえ短い尺の中で大量の怪獣を出し、大量の設定を出しているため、全く消化しきれていないのも残念。ガメラは3作品使ってゆっくりと展開しており、またアトランティス文明といういたってシンプルな説明一本で走りきっているので判り良いのだが、それよりもややこしい説明をそれよりも短い期間で描き切って面白がらせるのは無理があった。

 そのほか、致命的にダメなところは少ないのだが、いまいちな部分が大量に重なっていった挙句、物足りなさの方が満足感を上回ってしまうという実に惜しい作品。ラストバトルが歯切れ悪くだらだらと続くのもよろしくない。結果、どうにも物足りない一作に。

『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』★★★☆☆

 

想像よりもずっとちゃんとした、意外なほど整った脚本の良作

あらすじ

南太平洋で遭難した兄の弥太を探すため、良太はヤーレン号というヨットで出航した。良太には学生の市野、仁田、吉村が同行したが、出航後一カ月目に大嵐にあい、ヨットは転覆し、四人は海上に投げ出されてしまった。その時、良太は海中から現われた巨大な鋏を目撃したが、気を失ってしまった。(映画.comより)

 アマゾンプライム会員特典でゴジラシリーズが全て観られるようになっていたので、これは全て見るのがファンの義務だろう、とこれから一ヶ月ほどのトライを決めた。30本近くあるので1日1本ペースで見続けないといけないが。

 いきなり、これまで一度も興味を持ったことのなかった作品を選択。エビラの存在は知っていたものの、微妙な時期の微妙な題材のゴジラで、しかも南海の孤島を舞台にしているタイプの特撮は個人的に好きではない(町のミニチュアの中で暴れまわってナンボだろう、と思っているため)。

 

 というわけでろくに期待せずに見始めたのだが、意外や意外、結構ちゃんとした作りの冒険娯楽映画だった。エビラも安直なネーミングの割に造形もよくできていて、南海の孤島に潜む化け物、というキングコング的存在としてはなかなか恐怖感があった。

 

 ストーリーはテンポがいいながらも細かく設定されていて、メイン主人公の「兄を探したい」という動機を縦軸に、泥棒や大学生、インファント島の女性らの思惑が交錯しつつ謎の組織の活動が暴かれていき、そんな中で大怪獣の戦いが始まる。

 『キャスト・アウェイ』的な島からの脱出要素、007的な悪の組織との戦い要素もあり(この組織が何をやりたかったのかは正直よくわからなかったが、「赤イ竹」という名前からして共産系のイメージなのだろう)、90分程度の尺の中で無駄なく話が展開されていく。

 

 怪獣の戦い自体はやや短い。エビラは海から出てこれないし、モスラは島民の願いが届かないと働いてくれないので致し方ないのかもしれない(後は予算の都合)。当時の流行要素をゴジラがちょっとやるサービスカットも数カ所挟まり、今から見ると苦笑する部分も。インファント島の強制連行されてきた島民たちがあっけなく日本語を話し出すのは笑ったが、007の『死ぬのは奴らだ』よりはよっぽど真面目に島の雰囲気を演出していたように思う。

 別に恋愛要素があるわけでもなく、メッセージ性があるわけでもないザ・娯楽映画だが、ダラダラしたありがち展開も使わず、最短ルートでお客を楽しませる職人芸を見た気分。