週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『若おかみは小学生!』★★★★★


劇場版「若おかみは小学生!」予告編

 風邪を引いて数週順延していた映画をようやく鑑賞。エンタメ界隈で話題の作品、ようやく観ることが出来た。筆者の周囲では口さがない知人も絶賛の嵐だったので、それなりにハードルを上げて観ることに。

 感想は、「圧倒的佳作」という感じ。傑作、というより、とにかくよく出来ている作品。トリッキーでもなんでもない、正攻法でここまで作り上げたことに感嘆。派手に「ここが凄い!」という映画ではない。観ているうちにじわりじわりと胸の内で暖かくなって、花開いていくような、そして身体が幸福感に満たされているような作品。

 

 たとえば『カメラを止めるな!』の場合は、非常に他人に薦めやすく、宣伝もしやすい。ネガティブ要素を弾き飛ばす仕掛けが映画そのものに存在しているので、わかりやすく褒められる要素があるからだ。

 しかしながら本作の場合、そういう意外性は一切無い。ザ・直球勝負。そればかりか、本作はシリーズ物ではないアニメ映画としては久々に、ターゲットをきっちり子どもに絞り込んでいる。さわやか女子高生主人公夏休みきらきら大人が観て泣ける映画、ではない。そこが凄かった。

 驚くほどに子どもが喜ぶようにきちんと作り込んだ作品なのだ。ギャグもキャラのリアクションも、子どもが観て楽しいように作ってある。ストーリー展開も、子どもが観てもきちんとわかるよう丁寧に、ひとつひとつ飛ばしたりせずに心理を展開させ、主人公・おっこの成長を描き出している。予告編で観てわかるとおり、そのまんま、若女将になった小学生の女の子の成長譚である。

 

 今はアニメ映画と言っても大人をターゲットにした作品がほとんどである。また、ドラえもんやコナン、クレヨンしんちゃんのようなシリーズアニメすら、親の世代が感動するような演出を当然のように入れている。子どもの数が減っている今、そうしたほうが客が呼べるので(大人も感動!的なキャッチコピーで)、プロモーションとしては正解なのだろう。しかし、そうすると子どもがついて行けない部分や、過剰にお涙頂戴の部分が出来てしまい、子どもが喜ぶ絵として楽しい画面作りが滞ってしまいかねない。

 本作はそうしたことを全くしていない。頭から終わりまで子どもが楽しい映画、感動するにしても子どもが自分の問題としてちゃんと受け止められる形に落とし込んで描いている。大人向けに逃げていないのだ。残念ながら筆者が観に行った回はほとんどの観客が大人だったが、子どもたちと一緒に観られたらもっと盛り上がって楽しめたことだろう。

 泣かせようと思ったら簡単で、大人が寂寥感に襲われるような話、お涙頂戴の場面をもっと山ほど作ったら済む。エピローグなんかも作ればより、「泣ける!」みたいな売り方が出来ただろう。しかし本作は、そうした感動させられるシーンをもさらっと流していく。無駄な感動はそぎ落としている。でありながら、物足りなくはない。必要にして十分である。しつこくない。それが素晴らしい。

 何しろ、「イヤな人」がただの1人も登場しないのだ。わかりやすい悪役を設定すれば簡単に盛り上げられるところを、ちゃんと理由やドラマを作って単なる記号的な悪役に済ませず描いている。この短い尺で、この大量の登場人物を、しかも子どもに理解出来るようにさばききるというのはただごとではない。

 

 丁寧なのはストーリー展開だけでなく、作画についても終始、手を抜いている箇所がない。冒頭からずっと、画面隅のモブキャラまで全員きっちり動き続けている。1人1人がきちんと芝居をしていて、おざなりにごまかしている動きがない。複雑かつゆっくりとした動きの神楽のシーンにも、動画の流用の動作がまるで観られないという慎重な作り。頭から終わりまでとにかくキャラクターが動き続けて、しかもその動きがどれもこれも見飽きないほどにかわいい。アニメ映画としてあきれるほど誠実なのだ。

 ストーリー展開そのものについては先ほども述べたように、明快かつ丁寧で、普通にやったら退屈になりかねない。「普通にやったら」というのはつまり、凡庸な演出で済ませ、ありきたりな動作で敷き詰めたら、という意味である。しかしながら、見せ方そのものが終始、誠実で奇をてらわず、観客を楽しませよう、という意識に満ちあふれているので、一瞬たりとも退屈する暇が無い。

 正直言えば、原作を読んだらもっとしっかり描かれているのだろうな、と感じるシーンは多々あったが、映画単体で充分成り立っている。百分弱の作品とは思えない、濃厚な物語が展開され、まるで1クールのアニメを見終えたような充実感に浸れる。子どもに向けて果てしなく誠実に創り上げた作品は、大人が観てもとにかく楽しい。

 

 しかしこの映画を宣伝する、となったら頭を抱えることだろう。なにしろ、「凄く丁寧に作られた良作」としか言いようがないのだ。何か普通じゃないことをやっていたり、「実は・・・・」と隠された秘密があったりすれば簡単だが、はっきり言って、ない。そういう内容ではない。「とてもよくできている」、ただそれだけの良作である。

 十年先、二十年先になっても価値が減じない、子どもの頃から観られる名作。原作読んでみようかな。

『ナバロンの要塞』★★★☆☆

 

  午前十時の映画祭でラインナップされていながら未見の作品。グレゴリー・ペックは『ローマの休日』『大いなる西部』でかなり好きな役者なので楽しみにしていた。

 観賞しての感想としては、悪くなく、凄くよくもなく、といった印象。

 

 古典的な名画として推薦される作品には大きく分けて2パターンがあり、1・普遍的な内容を描いており、現代で観ても深みを感じられる作品 2・当時は撮影手法やストーリー的に斬新で面白かったので当時楽しんでいた人にとってはいい思い出になっているから名画とされている作品 がある。筆者が観た印象としては、本作は2になると思う。

 内容としてはスパイ物に近いだろう。第二次大戦中、ドイツ軍が構えたナバロン島の要塞が連合国軍の障害になっていた(特に島に構えられた巨大な砲台が)ので、島に潜入して破壊する、という、シンプルに言えばそれだけの話。そこへ向かうのが登山や爆破、殺人など様々なプロフェッショナル・・・・というチーム物の物語になっている。戦争について描いた作品だが、戦車が出てくる以外はおおむね、007等に近い。

 

 アクションシーン・サスペンスシーン・特撮シーンには手に汗握る部分もあるが、あいにく物語そのものは非常に古典的で、問いかけに深みは感じられない。あくまで、悪しきドイツ軍を倒すため、愛国心を発露し懸命にミッションに立ち向かっていく軍人たちの姿を描いているだけで、それ以上の奥行きは存在しなかった。

 時代的な問題もある程度はあるだろうが、古典でも『戦場にかける橋』のような、単純な善悪の問題に割り切らない内容を持った作品も存在する以上、この時代でも戦争について切り込んだ物語が描けなかったわけではないだろう。

 美しいギリシアの海は見応えがあったが、作品としてはすでに古びてしまっている感は否めなかった。

『スポットライト 世紀のスクープ』★★★★☆

 

  実話物映画を連続して観たくなったので評判の高い作品を選択。アカデミー作品賞を受賞した、実際に発生した神父による児童性的虐待とその教会ぐるみの隠蔽、そしてそれを暴いたボストン・グローブ紙の記者たちの物語。

 

 こう言った作品を観るとき、どうしても自分が日本人であることが障壁になる。教会の神父の罪を暴く、という行為の衝撃を、おそらく正確に受け止めることが困難だからだ。問題の大きさは理解出来るが、文字通りの聖域である神父の不可侵性、教会という場所そのものの大切さ、思い出の場としての重みは、当事者でなければわからないだろう。

 劇中で明らかになる問題がある意味で興味深く、他に類例がないポイントとして、「誰もがある程度、そうした虐待が発生していることを知っている」というところにある。教会に行ったことがない自分ですら、ニュース等から神父による虐待の事例は耳にしていた。劇中の新聞記者らも、そうだったのではないか。実際、グローブ紙自体も何度も報じてはいた。しかし、局所的、部分的な「解決」がもたらされるだけで、問題の深刻さは全く伝えられていなかった。

 

 映画を観ていて浮かんだのは、広い白い壁にべったりと薄く塗りつけられたクソ、というイメージだった。非常に薄く、またあまりに長い間、塗りつけられているので見慣れた人間は今さらなんとも思わない。しかも、この壁を取り壊すと多大な労力が必要で、しかも汚れてもなおこの壁を必要とする人、愛している人がいるのだ。かくして、時折悪臭を放ちながらこの汚れた壁は目の前に存在し続けている。

 具体的でわかりやすい大事件は、本作中では発生しない。少なくとも画面上では。キャスト以外ではおそらくほとんど金の掛かっていないであろう映画で、しかも物語は実際の記事の裏取りの過程をひたすら丁寧に描いているだけ。極めて地味である。この作品が成功しているのは、目先の派手さを追わず、むしろ我々の暮らしている日常の見え方を一変させているというところにある。

 

 なにしろ、社会の闇、とか裏側、とかですらないのだ。目と鼻の先にある教会で行われ、被害者も加害者も山ほど世の中にいて、新聞記事にもなり、証拠品すら新聞社にも送られ、裁判所でも公開されている事件。通常なら事件と呼べもしないだろう。それが、教会という聖域の力によって何十年も隠蔽され続けてきた。

 本作の最も印象深いシーンはラスト近くで登場する。この事件を明らかにするための手立ては、とっくの昔に新聞社にすべて存在していた、と指摘するシーン。実はこの映画は、このシーンに辿り着くために存在している。手段はずっと在った。誰も何もしなかった、皆目を塞がれていた、というだけだった。

 

「これを記事にするなら誰が責任を取る?」というセリフに対し、「じゃあ記事にしなかった責任は?」と返す下りが、頭にこびりつく。派手派手しく目につく邪悪とか闇とかではなく、我々はただ流れていく日常や、当然視している聖域と向き合わなければならないのだろう。

『アポロ13』★★★★★

 

アポロ13(字幕版)

アポロ13(字幕版)

 

  先週の勢いでロン・ハワード作品を鑑賞したくなり、名作と名高い本作を鑑賞。名匠のさすがの安定感で、徹底した実話路線も完璧に娯楽作品として仕上げている。

 

 正直に言うと風邪気味で、若干頭がぼんやりしているので劇中の科学的なセリフの詳細は頭に入ってこなかった(笑)。なので実際にどのような問題が発生しているのか、詳細までは把握し切れていないと思う。

 しかし、それでも最後までだれずに見せきるのは、要所要所で問題をかみ砕き、次に達成すべきミッションをきちんと言葉で、図面で整理して、「要はこれに成功したらOK」「こうなったらアウト」ということを最低限観客に伝えているからである。そこさえ押さえておけば、3人の宇宙飛行士たちとその家族たち、NASAのスタッフの苦闘をど素人でも楽しみながら味わうことが出来る。

 

 さらに本作の妥協のなさは、それでもなお、科学考証に妥協がなく、描写も手を抜いていないというところにある。わかりづらくとも実際に起きたことは正確に、数字も上げて描写している。実録物とはいえ、そもそも観客に伝わればいいとだけ思うのであれば、もっと軽めの描き方にしても充分成り立つはずなのだ。

 にもかかわらずきちんと詳細を伝えることで、観客を馬鹿にしていない制作側、監督の姿勢も伝わる。わからないとしても実際に起きた事故で、人々が何を懸念し、どこに努力をしていたか、過度にレベルを下げずに多くの人々に理解出来るようこれだけの作品を作るのは、誠意がなければ出来ないことだろう。

 

 CG黎明期の作品なので、ロケット発射の描写などは当然現代の作品と比べて見劣りはするものの、逆にそれ以外の特撮はどうやって撮影しているのかさっぱりわからない(無重力状態の撮影をいったいどうやって行ったのだろう?)。過剰な怒りや悲しみを演出せず、窮地に立ち向かう人々の普遍的な努力と勇気を見せる佳作。

 

付記)ウィキペディアによると、無重力シーンは実際に地球上で急降下する航空機を利用して無重力状態を作り出して撮影したとのこと。他に方法がないので可能性は考えたが、あまりに大変すぎるので「そんなことするはずないよな」と一笑に付していた手法だった。脱帽です。

『ビューティフル・マインド』★★★★★

 

ビューティフル・マインド [Blu-ray]

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  ラッセル・クロウという俳優にどうにもよい印象がない。私生活の傲慢さ、自分の演技力に対する過度な自信、批判に対する怒りなど、あまり人間的にもいかがなものかと感じるところが多く、この作品を見始めたときもどうしてもその印象から逃れられなかった。本作を観賞するのが今さらになったのも、そのあたりの漠然とした感じの悪さが一因だろう。

 何しろ、線の細い神経質な天才数学者の役に見合っているとは、とても思えない。しかも序盤を見る限り、ごく一部の友人を除いては他人とつきあうことも出来ないコミュ障で苛立ちがちな、だが明らかに天才型の人物である。幸い、寮で同室の友人に支えられて辛い大学院生活を乗り切ったものの、彼が無数の壁にぶつかっているのは明らかだった。ようやく就いた仕事も政府関係の困難極まるものであり、主人公の苦悩は計り知れない。

 

 このあたりを観賞していると、「そんな彼が、自分の天才性と周囲の無理解の狭間で苦しみながら、人間として成長していく物語なのだろうなあ」と想像していく。おそらくほとんどの鑑賞者、特に映画を多く観ている自分のようなタイプはそう考えるだろう。物語の筋立てなどそうパターンは多く存在しないので、だいたいすぐに想定出来る。天才が出てくるお話はおおよそそんな展開になる。

 なので、そうした物語をラッセル・クロウが演技力を駆使して演じるのかー、と感じ、不釣り合いな気がしていたのだ。実際、序盤は大した事件は起きないものの、ロン・ハワード監督の卓抜した演出力で飽きる暇が無い。しかしそうでなかったら、この俳優の眼差しや口元からゆらゆら流れ出ている「傲慢さ」が主人公の人物像とミスマッチで、感情移入出来なかっただろう。特に最初のあたりでは、「周囲に認められない天才」という主人公のキャラクターと、俳優の演技にずっと違和感を覚えていた。

 

 ところが、あるポイントを超えたところで事態は急転する。この映画がそういった映画だということを幸運にも知らずに観ることが出来たので、途中から口を開けっ放しで見入っていた(なのでこの文章でもネタバレは避ける)。見事だった。ラッセル・クロウは極めて的確な演技をしていたのだ。そして監督の演出も脚本も完璧だった。

 詳細を語らずシンプルにいえば、この作品は主人公、ジョン・ナッシュの視点で一貫された物語ということだ。それは終始ぶれない。本当の意味で「弱い」人間、それは天才であるとかとは全く別問題の次元として描かれる。いや、彼が天才だったからこそ、その弱さが最大の物として彼に襲いかかってきたのかも知れないが。

 

 そして視点がナッシュに固定されているので、観客は彼と共通の体験をすることになる。尋常でない混乱と揺さぶりの中で、傷つけられながらそれでも生き続けなければ(=見続けなければ)ならない苦しみと絶望。逃げ出したくなるが、作中でも語られるようにナッシュ自身は逃げることなど出来ない。

 彼の苦しみは、冒頭からずっと巧みかつ緻密に伏線として描かれているとおり、彼自身の傲慢さ、プライドの高さに起因している(この描き方のうまさには息を呑んだ)。もちろん様々な不幸に見舞われてはいるが、彼が自らの業として背負わなければならない問題だったのだ。その重さ、そして周囲の受け止め方。どれだけが実話なのかはこの手の作品の場合、判断が難しいが、少なくとも作中では時代相応のリアルが、くわえて、そんな辛い時代でもあり得たかもしれない静かな闘いの姿が描かれていた。

 

 また、この物語は数学者ナッシュの20代から70代にわたってを描いているが、特殊メークによる加齢は驚くほど自然。いや、のみならずラッセル・クロウの老人演技は驚嘆すべきレベルだった。過度に老いを強調せず、微妙な声色や振る舞いの変化だけで年齢を表現しきっている。人間的にはアレな人かも知れないが、確かに演技力は文句なく素晴らしかった。傑作。

『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』★☆☆☆☆

 

  脳が死ぬかと思った。

 仕事の都合でバブルについて調べる必要があり、当時について描いている作品や書籍をいくつか見ているのだが、バブルで思い出した映画はこれだったのでとりあえず観賞(実際の当時の映像や雑誌なども調べております)。タイムトラベル物は最低限面白くはなるだろうと思っているのだが、しかしひどかった。ありとあらゆるところがひどい。

 

 荒唐無稽なアイディアも全く構わないし、馬鹿馬鹿しいコメディも全然気にならない。だが、最低限娯楽作品として備えなければならない品質は考慮して欲しい。

 素面で書いたとは思えない幼稚な脚本がとにかく苦痛。母親をタイムトラベルして探しに来たはずの主人公は、到着するやいなや一瞬で目的を忘れてバブルの遊びに邁進する。その場その場の思いつきで当時の流行を紹介したり、一方で過去に来ていることをあっという間に失念する主人公が現代(2007年当時)と取り違えてパニックを起こしたり、と人間とは思えない心理の一貫性の中が終始腹立たしい。

 

 そもそも現代に帰れるかどうかもわからない(帰る方法を確認せずに過去に来ている)にもかかわらず、にやにやにやにや笑ってばかりの主人公はアホにしか見えず、感情移入など一秒たりとも出来ない。

 また、その「当時の流行の紹介」も、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のような気の利いたアイディアなどどこにもなく、単純に当時の著名人が登場したり、当時流行だったディスコに行ったり、と思いつきの範疇を出ない。思い出した順番に並べているとしか思えないくらい必然性もない。

 当時の名物が出てきたら必ず説明セリフが登場し、それを棒読みで読み上げるための登場人物も現れる。いや、そればかりか主人公の置かれた状況や心情もセリフで説明される。今時漫画のセリフでもこんなにわかりやすくしたがる奴はいない。「コメディだからこんなもんでいいだろ」なんて思っているのなら張り倒したくなる。

 

 とにかく制作サイドが広末涼子を撮りたい、という欲望だけは伝わってきて、唐突に腰を振りまくって踊ったり、出会ったばかりの男の家に泊まってシャワーを浴びてほぼ下着姿でごろごろしたり(緊張感ゼロ)、オッサンの夢は立派に詰め込まれていた。だが行動は観光地に来た女の子でしかない。これでは魅力を感じようがない。

 阿部寛にここまで精彩がない姿を初めて見た。人物造形に何の奥行きもないからだろう。『トリック』のように大まじめにバカをやるならともかく、バカな状況でバカなことをやって笑いを取るにはテンポが不可欠で、この映画の編集にはテンポ感が完全に欠如しているので笑えるところはひとつもない。芝居で魅せているのは劇団ひとりただ1人という惨状。それも、ふだんの彼が出演しているバラエティ番組に大きく劣るレベル。

 演出も、先述の通りテンポが最悪なので、カットすればいい「ただ歩いているだけのシーン」が頻発する。撮った素材をそのまま使っているのだろう。二時間ドラマでももう少し自然に演技させる、と言いたくなるほどクサくて意味の無い芝居が多発する。まあ、演者の側もこんな破綻しまくったホンで演技もクソもないのだからどうすることもできなかっただろう。まだおバカコメディに振り切ってもらった方がましだ。脚本のアイディア不足も先述の通りだが、「過去に戻って日本経済の崩壊を食い止める」方法が、「偉い人に伝える」以外、具体的に何も方策がないというのも驚きである。そして「信じてください」と言うだけ。

 そして事件解決の手段はまさに目を疑うもの。しかも悪い意味で。久々に唖然とした。あり得ないにもほどがある。ほとんどの場面を1.5倍速で観ないと耐えきれなかった。

 

 2007年と言えば、ハリウッドでは『ボーン・アルティメイタム』『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』『トランスフォーマー』、邦画でも『キサラギ』『秒速5センチメートル』が公開されていた。別に原始時代ではなかったはずだ。こんなものを1800円もかけて観た人間はどんな気持ちになっただろう。

 駄作(それも何の哲学も志も野望もない)を観るといつも思うが、こういうものを作るために業界の貴重なリソースを割かないで欲しい。時間と金と人と資源の無駄である。

『トゥルーマン・ショー』★★★★★

 

トゥルーマン・ショー(通常版) [DVD]

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  『バブルへGO!!』を観るのがあまりに苦痛だったので現実逃避として見始めた。驚くほどの傑作で、完全に苦しみを取り返したレベル。どういう内容なのかは事前によく知っていたが、あらすじから思い浮かべる浅い想像を大きく超えてくる内容で、飽きる瞬間がなかった。

 

 内容はよく知られているとおり、主人公・トゥルーマンは至って平均的なアメリカ人で、平穏な人生を送っていたが、実はそのすべては完全にコントロールされたスタジオ内の街で展開されるもので、彼の人生はテレビショーとして全世界に放送される物だった・・・・というもの。誰もが人生で一度は考える妄想を、そのまま作品にしている。主役は一番活躍していた頃のジム・キャリー。彼が、極めて薄っぺらい白人男性(にみえる)主人公を好演している。

 基本的にはこのあらすじをきいてイメージする範囲からぶれないのだが、しかし一つ一つのつくりはとても丁寧。たとえばカメラアングルも、途中まではすべて、盗撮アングルになっている。主人公に気づかれないよう劇中の街に配置されているカメラの視点でほとんどすべての場面が構成されているのだ。『笑ってはいけない』のカメラのような感じ、といえば伝わるだろうか(あの番組も配置された隠しカメラは演者からは見えないようになっている)。あるいは、『テラスハウス』のような。

 このこだわりのおかげで、映画の観客もまた、『トゥルーマン・ショー』の客の1人であるかのような気持ちにさせられる。劇中の世界に取り込まれたような、「共犯者」の1人にさせられるような感覚はときおり、顔を引きつらせるような不安を覚えさせる。ボケッとした顔をして、他人の人生をへらへら笑いながら消費しているのは誰なのか。思わず真顔になる。

 

 実際に今も、特にアメリカではリアリティショーが人気だと聞くが、この物語はもちろん、あり得ない寓話。人生の一番最初、生まれる前から描かれ続け、30年続く人気番組になっているという設定は、もちろん嘘としか思えないながらも奇妙な説得力を持つ。人の人生を二十四時間ドラマ化し続ける、という荒唐無稽な設定も、ぎりぎりのリアリティを感じさせられるように細部が詰められているので、醒める瞬間がない。

 特によく出来ているのはショーランナー(ディレクター兼プロデューサー的なポジションのキャラクター)の造形で、軽薄な人間ではなく、一種の哲学を持って信念と共にこの番組をやり遂げている人物として描かれている。彼もまた30年という長きにわたって一つの番組、一つの企画をやり続けてきた、表に出たがらない伝説の人物、カリスマ性の塊として描写することで、これくらいの人物ならこれだけの困難も乗り越えてきたに違いない、と感じさせてくれる。

 

 劇中で主人公は「スター」と呼ばれる。そして定期的に、カメラの外で番組を無責任に視聴している世界中の人々が登場する。彼らは終始一貫して、仕事中あるいは家で楽しげに主人公の人生劇場を眺め、一喜一憂する。主人公の人生が上手くいけば喜び、危機が訪れると悲しげなリアクションを取る。ごく普通のドラマを観ているときと同じように。過去に起きた出来事を知っている長年のファンは、周りの友人にその知識を得意げに語ったりする。一見するとそれは異常な光景のようにも見える。

 しかし、やっていること自体はごく普通のハリウッドスターに対して我々がとっているリアクションと特に変わらないだろう。たとえばジム・キャリーは長らく目立った成功作がないが、彼の人生に対して我々が抱く感想、冷笑的であったり同情的であったりする感情は、本作の劇中の観客が抱くそれらと構造としては何の違いも無い。ドラマを構成するショーランナーがいるかどうかの違いだけだ。

 

 ラストシーン、観客たちは主人公の決断に快哉を上げる。一見すると大団円のシーンのように感じられるが、筆者は観ていて、彼らの姿は不気味にしか感じられなかった。彼らの万歳には、何の意味も無い。その瞬間画面に映った出来事に対して通り一遍の感動を抱いているだけで、主人公の人生のこれまでと今後に対して、論理的な筋道のある思考は何も持っていない。脊髄反射的な娯楽の消費。人1人の人生を暇つぶしに使う人々の気味悪さがここに集約されている。

 そしてその後、すべてが終わった後に登場人物が呟く最後の一言が本当に秀逸。トゥルーマン・ショーは、しょせんたくさんあるテレビ番組の一つでしかないのだ。

 

 普段は大仰にすら感じられるジム・キャリーの演技がぴたりと嵌まった快作。

 本当の冒険は、人生の枠すら破壊していく物なのだ。この馬鹿馬鹿しいとすら言えるアイディアを、浅薄な道徳や倫理の範疇におさめなかった脚本も素晴らしい。この壮大な寓話の結論は、言葉にしては語られなかった。ラストの表情は、エンタテイメント業界で生き抜くジムでなければ表現出来なかった物だろう。オススメ。