週に最低1本映画を観るブログ

毎週最低1本映画を鑑賞してその感想を5点満点で書くブログ。★5つ=一生忘れないレベルの傑作 ★4つ=自信を持って他人に勧められる良作 ★3つ=楽しい時間を過ごせてよかった、という娯楽 ★2つ=他人に勧める気にはならない ★1つ=何が何だかわからない という感じ。観賞に影響を及ぼすような「ネタバレ(オチなど)」は極力避け、必要な場合は「以下ネタバレあり」の記載を入れます。

『ゴジラ対メガロ』★★★☆☆

 

ゴジラ対メガロ

ゴジラ対メガロ

 

こまけえことはいいんだよ的豪快怪獣映画

あらすじ

度重なる核実験で環境を破壊された海底王国・シートピアが、守護神である昆虫怪獣・メガロを出現させ、人類に宣戦布告。メガロを出動させるには電子ロボット・ジェット・ジャガーの誘導が必要で、海底人たちはジェット・ジャガーの生みの親である伊吹吾郎からジェット・ジャガーを奪う。しかし、突然良心回路が作動したジェット・ジャガーは海底人の支配から逃れ、メガロと対峙することに。(amazonより)

 

 まず、この評価は怪獣映画が好きな人に対してである。そもそも大して興味がないとか、細かい整合性のなさが気になるとかいう人は本作は観ないほうがいい(上野あらすじを読んでわかるとおり)。時間の無駄だと思うだろう。

 

 とにかくツッコミどころが3分に一回くらいのペースで訪れるのだからたまらない。冒頭から、大きな湖で謎の浮き輪ボートに乗った少年がやけに陸から離れたところまで漕いで出ている時点で、災難に襲われるためにやっているとしか思えなくて笑えたのだが、その後もツッコミどころは連打される。

 保護者が実はロボット研究所で研究をしていたり(その割に親ではなさそうだったり)、開発したロボットが突然、古代レムリア大陸民の子孫に奪われたり、その奪う理由が何だかよくわからなかったり(なんでジェット・ジャガーによる誘導が必要なんだ?)、さらに奪い方や奪った後の使い方が非常に荒っぽくて無計画だったり、奪いに来た悪漢二人がすごい弱かったり(普通のトラックの運ちゃんに負ける)・・・・。

 

 もう疑問点はゴジラが登場する前に山ほど積み上がっている。ゴジラの印象が薄くなるくらいである。こんなに列挙しているのでさぞこの映画に不満だったのだろうと思われるかもしれないが、そうではない。笑いながらも楽しく観ていた。

 こういう作品を大真面目に批判するのはもちろん間違いで、この作品の中のリアリティレベルが一貫していて、そこに狙いがあるのなら問題はないのだ。

 巨大ロボットを出し、新怪獣も出し、人気があった過去怪獣も出し、ゴジラも出す。子供もキャラにしつつ、街も襲われつつ、とお客を楽しませる工夫は満載である。正直、レムリア大陸って何だったのか、とか、そもそも彼らが何のために怪獣・メガロをすごく苦労しながら使わしてきたのかとか、観ていると何だったか忘れてしまうぐらいふんわりしているのだが、細かいことはいいのだ。

 

 そして全体の半分近くを使って怪獣同士のバトル。着ぐるみと弾着くらいしか使えない状況で精一杯の工夫をした戦いが延々続く。今回のゴジラは「いいもん」なので、気軽に人類のために戦ってくれて、しかも顔も可愛い。

 最後まで見ても結局なんのための何の戦いだったのかはわからないだろう。でも、怪獣は戦っているし防衛軍のメカも出てくるし、ミニチュアもかっこよく壊れるし(特にダム決壊シーンはとても良かった)、大いに満足。

『ゴジラ(1954)』★★★★★

 

ゴジラ

ゴジラ

 

まるでシェイクスピア劇のように骨太な、科学と人間がもたらす悲劇

あらすじ

 原水爆実験の影響で、大戸島の伝説の怪獣ゴジラが復活し、東京に上陸。帝都は蹂躙され廃墟と化した。ゴジラ抹殺の手段はあるのか・・・。(amazonより)

 

 きちんと観るのは何年振りだろう。確か大学生の頃に一度観たと思う。その時も楽しんで鑑賞した覚えがあるが、久方ぶりに観てみると、また見え方が異なっていた。今回は、芹沢博士の悲劇としての完成度の高さに目を見張った。

 

 ゴジラの方につい目が行きがちだが、人間サイドのドラマはシンプルながらしっかりしている。主人公・芹沢博士は子供の頃からヒロインと親しい間柄だったが、復員後、大きな傷を負ったことがきっかけで変わってしまった。以前からヒロインと許嫁の関係だったにも関わらず、今、ヒロインには他に付き合っている男性がいる。そしておそらく、芹沢はそのことに気づいている。

 

 ヒロインの父・山根博士が珍しい生物としてのゴジラに異様に肩入れするのは、科学者という人種の他の人々との違いを浮き立たせるためだろう。そして芹沢は、自身の開発した極めて危険な化学物質・オキシジェンデストロイヤーの扱いに苦悩しているが、黙っていることができずにヒロインにその存在を告げてしまう。

 水爆と同列の危険兵器を開発してしまったという壮絶な苦悩、人間を救うこともできるが未来を思えば世に出すわけにいかないという、恐ろしいほどに深刻な悩みが正面から描かれている。何事もなければ、こんなものを抱えていたところで何の問題もなかった。しかし、ゴジラが現れたことで、芹沢は、水爆すら通用しないゴジラを倒すすべを世界で唯一持つにも関わらず、沈黙しなければならないという良心の呵責に苛まれる。

 

 さらに、芹沢は自分とゴジラ二重写しにしていることもうかがえる。水爆という兵器によって住処を追われ、化け物にされてしまったゴジラ。戦争によって居場所を失い、許嫁も失いつつある自分自身。この構造は作中で、常に暗示され続けている。

 本作が恐ろしく上手いのは、このあたりの重く複雑な人間関係が、一切明示されない点である。「結婚」という単語すら出てこないのは驚くべきことだろう。芹沢のヒロインに対する思いに至っては、最後のひとセリフくらいしか描写されていないのだ。にも関わらず、その思いは痛切に伝わってくる。

 表面上はどこまでも、ゴジラの恐怖だけが描かれているが、実際には芹沢という一個の科学者・人間の絶望が通奏低音のように響き続けている。

 

 絶対内緒だ、と言ったにも関わらず、ヒロインは兵器の存在を恋人に伝えてしまった。恋人とともに、芹沢のもとへオキシジェンデストロイヤーを使うよう頼みに来るヒロイン。科学者としても、人間としても、運命を定められてしまう、あまりにも残酷なシーンだと思う。少女たちの祈りに覚悟を決める芹沢。最後に、ヒロインに幸せに暮らすよう言葉を残す。

 悲劇としか表現のしようのない物語である。ゴジラは、水爆や原爆、戦争や空襲そのものの隠喩であると同時に、科学と世界に絶望した孤独な存在の象徴でもあるのだろう。その姿は常にどこか寂しげに、芹沢と二重写しになっている。

 以前見たときはまるで気づけなかった視点で、間をあけて見返すと物語の印象も変わるものだと驚いた。

 

 改めて鑑賞すると、『シン・ゴジラ』がいかに本作にオマージュを捧げていたかがよくわかった。冒頭の構成や、社会全体が窮地に追い込まれていく危機の描写。ゴジラに翻弄され、命を奪われる人々の姿。『シン』は一人の政治家の物語だったが、本作は一人の科学者の物語になっている。あくまで誠実な一人の科学者が、たった一人で下さざるを得なかった悲痛な決意。美しい傑作だった。

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』★★☆☆☆

 

要素を盛り込みすぎた結果、焦点がぼけてしまった惜しまれる一作

あらすじ

 ゴジラを倒して半世紀が経とうとした頃、一隻の原子力潜水艦が巨大な生物と遭遇し、消息を絶つ。防衛軍はこれをゴジラであると推察、その出現を警戒する。その頃、日本各地で次々と怪事件が勃発、調査に向かった報道陣は謎の老人に遭遇し、“護国三聖獣”の存在を知らされる。ついにゴジラが日本に上陸。それに呼応するかのように聖獣たちも目を覚ますのであった。(ゴジラストアより)

 引き続きゴジラ視聴。ゴジラファンの知人から、近年の作品中ではオススメの一作、と聞かされていて楽しみにしていた。監督も平成ガメラシリーズの金子監督ということも期待の一因。

 観てみて悪くはなかったのだが‥‥物足りないところが楽しめたところを上回ってしまい、結果的にもう一つな印象に。

 

 予算がない時期のゴジラであることは重々承知しているので、怪獣の造形がどうにも安い感じなのは目をつぶる。子供の頃テレビで見ていた、平成になってからのウルトラマンシリーズぐらいの特撮に外観が近いので、映画館で見たらさぞ食い足りない印象だったろうと思うが、これはもう仕方ない。ミニチュア周りの迫力はなかなかのものだったので、総合的にはそこまで悪くはないとも言える。

 また、2001年の日本映画なので、CGにできることにもかなり限界があり、この辺りも冷めがちだが、厳しい中でも上手くごまかせる範囲にしか使っていないので、これもそこまでマイナスにはなっていない。そんな状況で4体もの怪獣を登場させるというサービス精神で、量で押し切ってくれるのは思いの外に嬉しいところ。

 

 また、平成ガメラの監督らしく(これが監督の趣味なのか周囲からの要望なのかはよくわからないが)、オカルト要素を投入しているのも、新機軸として悪くなかった。モスラキングギドラ・バラゴンをあえて日本神話らしい文脈に流し込んで、近代の執念・ゴジラと古代からの守護者・三怪獣を対置したことで、怪獣映画にしばしばおこる「なんのために戦っているのかよくわからん」状態を回避できているのも上手かった。

 さらに、怪獣たちに翻弄されるごく普通の人々の描写は、やはり平成ガメラ同様見事だった。篠原ともえ演じる「若者A」の人生初め、些細な描写から「怪獣によって破壊される日常」を演出するのは、金子監督ならではのテクニックだろう。

 

 では、何が不満だったのか。明確に食い足りなかったのはメインを張っている俳優陣の芝居。脇のどうでもいい一般人は気にならないが、ぞろぞろ登場するメインキャラたちが(尺が足りていないこともあるが)どうにも描写に厚みがなく、演技力も相まって感情移入するに足る人物に仕上がっていない。

 どうしてそこまで、怪獣に肩入れするのか、という裏付けがこの種の作品の場合不可欠なのだが、「B級オカルト番組の記者だけどとても真面目な報道への思いがあり、精神感応能力が高く、かつ父親が防衛軍の准将」というヒロイン像は、演じきるのが難しすぎる過積載設定で、どういう人なのかいまひとつ掴めない。彼女を囲む周囲の人間たちも、テンプレ的な面白キャラの方が目立つ。この辺り、平成ガメラの脚本を担当した伊藤和典の巧みさには全く届いていなかった。

 

 さらに、ただでさえ短い尺の中で大量の怪獣を出し、大量の設定を出しているため、全く消化しきれていないのも残念。ガメラは3作品使ってゆっくりと展開しており、またアトランティス文明といういたってシンプルな説明一本で走りきっているので判り良いのだが、それよりもややこしい説明をそれよりも短い期間で描き切って面白がらせるのは無理があった。

 そのほか、致命的にダメなところは少ないのだが、いまいちな部分が大量に重なっていった挙句、物足りなさの方が満足感を上回ってしまうという実に惜しい作品。ラストバトルが歯切れ悪くだらだらと続くのもよろしくない。結果、どうにも物足りない一作に。

『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』★★★☆☆

 

想像よりもずっとちゃんとした、意外なほど整った脚本の良作

あらすじ

南太平洋で遭難した兄の弥太を探すため、良太はヤーレン号というヨットで出航した。良太には学生の市野、仁田、吉村が同行したが、出航後一カ月目に大嵐にあい、ヨットは転覆し、四人は海上に投げ出されてしまった。その時、良太は海中から現われた巨大な鋏を目撃したが、気を失ってしまった。(映画.comより)

 アマゾンプライム会員特典でゴジラシリーズが全て観られるようになっていたので、これは全て見るのがファンの義務だろう、とこれから一ヶ月ほどのトライを決めた。30本近くあるので1日1本ペースで見続けないといけないが。

 いきなり、これまで一度も興味を持ったことのなかった作品を選択。エビラの存在は知っていたものの、微妙な時期の微妙な題材のゴジラで、しかも南海の孤島を舞台にしているタイプの特撮は個人的に好きではない(町のミニチュアの中で暴れまわってナンボだろう、と思っているため)。

 

 というわけでろくに期待せずに見始めたのだが、意外や意外、結構ちゃんとした作りの冒険娯楽映画だった。エビラも安直なネーミングの割に造形もよくできていて、南海の孤島に潜む化け物、というキングコング的存在としてはなかなか恐怖感があった。

 

 ストーリーはテンポがいいながらも細かく設定されていて、メイン主人公の「兄を探したい」という動機を縦軸に、泥棒や大学生、インファント島の女性らの思惑が交錯しつつ謎の組織の活動が暴かれていき、そんな中で大怪獣の戦いが始まる。

 『キャスト・アウェイ』的な島からの脱出要素、007的な悪の組織との戦い要素もあり(この組織が何をやりたかったのかは正直よくわからなかったが、「赤イ竹」という名前からして共産系のイメージなのだろう)、90分程度の尺の中で無駄なく話が展開されていく。

 

 怪獣の戦い自体はやや短い。エビラは海から出てこれないし、モスラは島民の願いが届かないと働いてくれないので致し方ないのかもしれない(後は予算の都合)。当時の流行要素をゴジラがちょっとやるサービスカットも数カ所挟まり、今から見ると苦笑する部分も。インファント島の強制連行されてきた島民たちがあっけなく日本語を話し出すのは笑ったが、007の『死ぬのは奴らだ』よりはよっぽど真面目に島の雰囲気を演出していたように思う。

 別に恋愛要素があるわけでもなく、メッセージ性があるわけでもないザ・娯楽映画だが、ダラダラしたありがち展開も使わず、最短ルートでお客を楽しませる職人芸を見た気分。

『ザ・バニシング 消失』★★★☆☆


映画『 ザ・バニシング−消失−』予告編

じわじわと効いてくる絶望。公開当時に観たかった。

あらすじ

オランダからフランスへ車で小旅行に出がけたレックスとサスキアだったが、立ち寄ったドライブインで、サスキアがこつ然と姿を消してしまう。レックスは必死に彼女を捜すが手がかりは得られず、3年の月日が流れる。それでもなお捜索を続けていたレックスのもとへ、犯人らしき人物からの手紙が何通も届き始める。(映画.comより)

 ヒーロー映画観すぎの反動で、マイナーな昔の映画を観たくなり平日夜に観賞。キューブリックが「今までに見た映画の中で一番怖い」と感想を述べたことが大きくうたわれていたので、気になっていた。

 観てみると、期待通りのヨーロッパ映画らしい不穏で静か、そして綺麗な映像。不安と「厭な気持ち」に絶妙に襲われる良作・・・・なのだが、この時代だからこその「未経験の衝撃」はすでに失われてしまっている。それがよいことなのか残念なことなのかは悩ましいところなのだが、その結果として、単なる衝撃に終わらない深い絶望が、身体に染み渡ってくる。

 

 非常にシンプルな物語なので、ほぼほぼあらすじの通りの内容。終始頭に浮かび続けるのは「なぜ」という問い、そして「何が起きた」という主人公と同じ疑問。ヒロインが絶妙に愛すべき、愛らしさと美しさを兼ね備えた人物なので、彼女がいなくなったときの喪失感は、まるで画面から太陽が居なくなったようにすら感じられる。実際、画面の色調はヒロインが居るときと居ないときで全く異なっていた。

 そして執拗に見せつけられる、悪人の動き。ハリウッド映画のようにわかりやすく不気味に演出されるのではなく、ひたすらに普通の人物として描かれる。この普通さは、映画全編を通して変わらない。ヒロインが失踪した時も、劇的な描写は一切無い。現実に人が居なくなるときはこんなものだ、という事実を突きつけられる。

 

 ただ、本作は1988年、『羊たちの沈黙』以降のサイコサスペンスより前の作品であり、単純な「衝撃度」に期待しすぎてしまうと肩すかしを食らうだろう。筆者もアオリにアオラれたポスターや予告のコピーで過度に期待してしまったのが残念だった。おそらく、公開当時は想像を超えた展開だったのだろうが・・・・。

 特に、犯人の犯行そのものについては(ネタバレは避けるが)とある作品で同様のことを行っており、そちらのほうがずっと衝撃的で絶望的だったので、オチ自体のアイディアに過度な期待を寄せるべきではないだろう。売り文句にしたくなる気持ちはわかるが、劇中の犯罪行為を売りとして前面に出しすぎると、間違った形で期待が上がりすぎてよろしくない。

 

 それよりも、映画全体を通して描かれる、非常に純粋な(ある意味、純真な)悪意は美しくすら感じられる。ヘミングウェイの短編を読んだあとにも似た、素っ気なさが心に残った。小説『模倣犯』や映画『悪の法則』でも描かれていたが、本物の犯罪にはドラマ性などなく、救いもカタルシスも、意味すらもないに違いない。

『名探偵ピカチュウ』★★★★☆


映画「名探偵ピカチュウ」世界最速公開

ポケモンユニバースの第1作として大成功の、子どもから大人まで楽しめる良作

あらすじ

 子どもの頃にポケモンが大好きだった青年ティムは、ポケモンにまつわる事件の捜査へ向かった父ハリーが家に戻らなかったことをきっかけに、ポケモンを遠ざけるように。ある日、ハリーの同僚だったヨシダ警部から、ハリーが事故で亡くなったとの知らせが入る。父の荷物を整理するため、人間とポケモンが共存する街ライムシティへ向かったティムは、自分にしか聞こえない人間の言葉を話す“名探偵ピカチュウ”と出会う。かつてハリーの相棒だったという名探偵ピカチュウは、ハリーがまだ生きていると確信しており……。(映画.comより)

 筆者はポケモン世代ど真ん中で、小学生の頃に発売された赤・緑をプレイして以来ずっとゲームは追ってきている。アニメはさすがに途中で卒業したが、初期の映画はリアルタイムで鑑賞してきた。思い入れは深いほうだと思う。

 なので最初の予告編を見たときは不安になり(というか正直評判にならなかったゲーム『名探偵ピカチュウ』を題材に映画化、という情報を聞いたときから不安だった)、何度も観ているうちに馴染んできて楽しみになり、現在に至る、という感じ。そして観てみての感想も上々。100分未満とあっさりとした味わいながら、画面中を動き回る無数のポケモンが実写映像になっている、というのがもう楽しい。

 

 予告編の時点では喋りまくるライアン・レイノルズピカチュウを楽しむ映画かと思っていたが、実のところ、ポケモンの設定の深い部分にまで踏み込むストーリーにのっけからニヤニヤしてしまった。一発目だからもっと遠慮した内容、あるいは浅い内容になるかと思っていたが、真逆でファンが嬉しくなるネタをぶっ込んできている。

 尺の都合もあり、どのシーンも少々急ぎ足なのは残念なところ。どの場面も「もうちょっと観たい!」と思わせてくる長さになっている。人物の描写も奥行きを作る余裕がないので、どうしてもややステレオタイプ的になってしまっているのは惜しいところ。これはアニメのポケモンムービーを観ていたときもそうではあったのだが・・・・。

 

 子ども向けを意識しての尺だと思うので理解は出来るが、ピクサー作品などを観ていても、子ども向けだからと言って単純明快な人物像しか描けないわけではない。「なぜこの人はここまでの行動を取ったんだ?」と疑問に感じる部分も。タイトル通り、ミステリとしての要素も兼ね備えているので、登場人物の「動機」はどうしても気になってしまうのだ。

 完全なフィクションの世界であるポケモンの物語で、人間の人生を感じさせるのは困難だとは思うものの、これからシリーズが続いていくなら、この部分のナラティブにも力を入れて、アラサーのポケモンファンが観て楽しめる内容になってほしい。

 ただ、その分ポケモンの描写はとにかく力の入れようが凄い。「そういえばそんな設定あったな!」と思い出すような場面、ポケモンの能力の意表を突く使い方、驚くほど原作に忠実だった。人生の半分以上ポケモンファンの自分からしても「あーこれ違うんだけどなー・・・・」と感じる部分は全く無かったので、大変満足。

 

 思いも寄らないくらいちゃんとミステリー要素あり、ダークな部分もあり、都市描写も自然描写もバランスよく取り入れつつ、どんでん返しあり、笑いあり、意外なところで涙あり、と気を抜いていると力強いシーンに心揺さぶられる。ここまでやるには作り手の側に愛情が不可欠だろう。画面の隅々まで敷き詰められた世界観描写で情報過多、というのはスターウォーズを思い出す。ストーリー展開がとても明瞭になり、かつバディものになる探偵物語を題材にしたのは大正解だった。

 ポケモンを始めたばかりの子どもが観ても、ずっとポケモン好きの大人が観てもワクワク出来る1作。ポケモンユニバース第一弾映画としては上々の出来なので、これからどんどん、同じ世界観・同じポケモン描写でいろんな映画を作っていって欲しい、と思う。

『12モンキーズ』★★★☆☆

 

12モンキーズ(Blu-ray Disc)

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 難解なギリアム映画、筋よりも意味の厚みを楽しむべきか

あらすじ

いつも同じ夢だった―空港を駆け抜ける男。膝から崩れ落ちる男。とり乱す女。それを見つめる少年…。 21世紀初頭、全世界に蔓延したウイルスによって、人類は絶滅の危機に瀕していた。生き残った人々は地上を追われ、地下での生活を余儀なくされた。 2035 年、科学者グループは原因を探るために調査を重ね、その謎に“12モンキーズ”が関わっていることをつきとめる。囚人ジェームズ・コール(ブルース・ウィリス)は、特赦を条件に“12モンキーズ”の調査を命じられ、ウイルスが蔓延しはじめた1996年に送りこまれるのだが…。ウイルス発生の鍵を握る“12 モンキーズ”とは一体何か?知られざる化学兵器か?秘密の軍隊か?それとも…?そして、人類の行く末は…。(amazonより)

 テリー・ギリアム監督作品は『未来世紀ブラジル』や『ドクターパルナサスの鏡』を過去に鑑賞してきている。いずれも明瞭な意味合いやストーリーはわからないが、隠喩や引用が飛び交うところ、独特の色彩感覚や画面の構成、登場人物の異常だが憎めない非力な存在感が好みでつい観てしまう。

 本作もどんなストーリーなのか説明するのは・・・・説明そのものはできなくはないが、言ったところで面白さは伝わってこないだろう。一応タイムトラベルものなのだが、面白いのは鑑賞者側も、果たして本当にタイムトラベルをしているのかだんだん疑わしく感じられてくる、という点である。

 

 いつものギリアム映画らしく不条理で不可解な世界観描写の後、1990年の精神病院でのシーン。周囲の患者たちと主人公の言っていることは、同じくらい狂っている。誰が真実を語っているのか、誰を信じていいのかは観ていてもなかなか掴みきれない。

 実のところ、ここがこの映画を見辛くもしてしまっているのが残念ではある。わかりやすく説明してあげようという気はさらさらないので、ひっくり返しや騙し、どんでん返しは追いつけなくなった時点でおしまいである。ただでさえ出てくる人が真実か嘘かわからないことを喋りまくっているので、どこを観ていても混乱する。筋道立ったSFサスペンスが見たい人は脱落していくだろう。

 

 しかし、不条理な世界に放り込まれた心優しい人々が、懸命に生きようとするもうまくいかない様は独特の悲しみを誘う。他にない視点からもがき苦しむ人を描く良作。そんなにアクションしてないブルース・ウィリスの悲しげな眼差しも良いです。