『犬ヶ島』★★★★☆
『グランド・ブタペストホテル』以来、ウェス・アンダーソン監督の作品は2作目。日本が舞台ということで、とんでもないのを見せられる可能性(日本文化監修ぐらいいないのかと苦笑するしかない系作品)を覚悟していたが、やはりこの監督のこだわり方は、凡百の人とは違っていた。
黒澤明リスペクトに溢れた、子ども時代に観ておきたい佳作。情報量が猛烈に多くてもう1回ぐらい観ないときちんと全体を把握出来ないような気もする。
明確な理由もなく、企業の都合、為政者の怒りと嫌悪、大衆の無根拠な正義感によって隔離政策を行われ、死ぬしかない状態に置かれる犬たち。野良犬だろうと、金持ちのペットだろうと関係ない。それまでは多くの人間たちと共に過ごしていたにもかかわらず、突然、一方的に放り出される。しかも、一見「根拠」と見なせそうだった問題は、科学の力で解決可能だった。しかしそれも、為政者の都合に合わないという理由でなかったことにされる。選挙は違法にコントロールされ、現市長の独裁は続く。大衆はただただ、市長の決定にやんやの喝采をあげるばかり。
この描写が何についての隠喩なのかは、どこの国について考えるか、によって変わってくるだろう。舞台にしている日本の問題なのか、制作側のアメリカの問題なのか。その両方なのか。中国でも、韓国でも成り立つかも知れない。加えて考えるとき、自分を犬の側に置くのか、市民の側に置くのか。
この場合、必ずしも犬より市民のほうが上とは限らない。犬を蔑視している根拠は、大昔の戦争にしかないからである。この力関係はいつでも入れ替わりうる。自分が市民の側だと思っていたら、いつ逆転されて虐殺されるかわかったものではない。
この作品にはシーンの展開や演出、キャラクターの登場のさせ方、BGMに至るまで、黒澤作品、特に『七人の侍』の引用が頻繁に行われる。メインキャラクターが犬6匹+人間1人なのも、それに見立てているだろう。だが、ストーリー展開そのものは『七人の侍』に類似してはいない。ディストピアSFだったり、ロードムービーの構造になっている。
では、なぜ『七人の侍』を想起させたのだろうか。それは結局のところ、主人公たちが行ったのがあの作品と同様、命をかけた救済だったからだろう。非正義、圧政に対する懸命の抵抗。どれだけそれが愚かなことと笑われようと、外見上は目先の問題を解決するだけのことだったとしても、立ち向かっていなければ、事態が悪化したときに何も出来ないままなのだ。
ラストシーン、あまりに楽天的とも取れる終幕を迎える。正直あっけなさすら感じたが、これぐらいの夢と理想を語ってもいいのだろう。愚かなる者は打ち破られ、どこかへ去り、残された者たちは新たな世界を犬たちと作り上げる。
もう少し厳しい終わり方でもいいかもしれない。けれど、新しい時代の子どもたちに見せるには、これぐらい道徳的な終わり方でもいいと、筆者は思う。